自由貿易の栄光と黄昏
自由貿易それ自体を非難することは、経済論議上、事実上のタブーとなっています。
実際、日本で名の知れた経済学者の中で、公然と自由貿易を批判した人はほとんど居ませんし、世界レベルでも少数派です。
数少ない批判者も、その多くは「自由貿易が全くダメというわけではないけれども……」といった及び腰の批判に終始する人々が大多数です。
一方で、いわゆる経済学者以外では、自由貿易それ自体への批判は珍しくありません。尤も、反自由貿易を唱えた瞬間に『素人』レッテルを貼られて議論の場からの退場を余儀なくされることがしばしばありますが…。
また、国単位で見ても、保護主義に傾倒した国は歴史上多数見られましたし、現代でも少なからず見受けられます。
自由貿易の思想的本場の一つと化したアメリカですらも、歴史的には保護貿易の中で工業発達を遂げた国でありますし、露骨な保護主義思想を隠そうともしないトランプが大統領に就任したりしています。
経済論壇&経済学界隈と、それ以外の実社会との間のこういった齟齬は、一体何を意味しているのでしょうか?
私はこの点について、以下の三つのことを論じていきたいと思います。
①経済学はどのような論理で自由貿易を擁護してきたのか
②なぜ自由貿易は反発に晒されてきたのか
③目指すべき貿易政策
関心のある方はご購読いただけると幸いです。
※※※このコラムは、望月夜の経済学・経済論 第一巻(11記事 ¥2800)にも収録されています。※※※
①経済学はどのような論理で自由貿易を擁護してきたのか
経済学的自由貿易擁護論を理解するには、「比較優位」という概念を理解する必要があります。
例を用いて、比較優位(ないし比較劣位)を説明していきましょう。
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