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SDGsという言葉よりも目の前を見る事の大切さ

今回#未来のためにできることのテーマについて自分自身の思考や経験談を踏まえ記載できたらなぁと思っております。

なぜ今回このテーマに真剣に取り組んで考えていきたいのかと思った際に自分自身の育った環境や助けてくださった方々への恩返しになるのではないかと思い参加させて頂きました

初心者のことも至らない点もあるかと思いますがよろしくお願いいたします。

私が育ったこの街には沢山の人がいて、沢山の観光地、沢山の歴史遺産がある。

苦しい時悲しい感情や楽しかった思い出の街でもあり色んなストーリーが日々生み出される素敵な場所です

こんな環境で育ったんだから不平不満なんか無いと思われることもただあり
本当か?と目を疑ってしまう誰もが同じ環境・同じ教訓でもないのに・・・

私は正直、小学4年生の頃からいじめられ先生方にも避けられそれでも中学生になったら環境も変わるそして新しく頑張っていけると希望や確信をもって必死に生きて頑張っていましたが・・・

そのまま中学生に入学して頑張っていたが中学1年生の頃にいじめは日々再発していきしんどくなり自分自身でこの命も失ってしまってもいいと思うほどに感情の整理や正常な判断が出来ないぐらいに追い込まれ、誰にも相談できずに家に引きこもってしまうほどになってしまい学校に行くまでに胃酸を戻してしまうほどの恐怖心に変わった

落ち着いていけるようになったのも中学2年生の8月あたり
それまで毎日のように親からは当たり前のように学校に行け!や学校からの圧力で正直苦痛の思いがすごく、いかないとダメなのは認識しているが学校の環境やいくだけでクラスだけではなく学年からのいじめの毎日

学校に行く道で学校の先生にみつかり強制送還みたいにかばんをつかまれ学校に着いた際に学校に来ないと安否確認ができないといわれたが正直ほぼ毎日のように電話をしていてどこで安否確認ができていないのか私にはまったく分からずただ単に学校がより恐怖の場所になってしまっていました。

でも唯一信頼して相談を何度も大したことでもなくても相談に乗ってくださった先生が救世主のように来てくださりその場で泣き崩れる勢いで今まであったこと全て話した際に守れなくごめんや一緒に対応策を考えてくださったりどんなときでも親密にまるで本当の父親のように優しくここではじめて大人て信頼してもいいんだと思いました

SDGsを教育的に教えていくことも大切な環境維持に繋がると思うが、その前に真剣にいじめ対策に向き合って欲しいと心から願っています

学生の頃は社会にでたらいじめなんか無いという先生方もいましたが・・・

実際はそうでしょうか
ハラスメントという言葉できっといじめから始まっていたとしてもカタカナを並べた言葉で片付けているだけだと私は感じています

そしていじめにあった人はきっとある意味忘れられない最悪な思い出として一生背負っていかないといけない現状

いじめている人は自分自身がただいじっていただけと軽い気持ちで片付けてしまっているのではないかと思っています。

これは少なからず大人の子供も関係なしに今一度考えるべき問題点ではないかとそして未来へ受け継いでいける1つのことだと思います

「人に恩を持って接することは、決して悪いことではない
人に悪を持って接することは、周り周って自分自身や大切にしている家族や周りの人に帰ってくる」


この言葉を信じて今後の世の中で生きていて良かった!と言えるように最後の瞬間まで関わってくださる方々や読んでくださる方々への恩を忘れずに時分なりに少しずつでも成長していきたいと思います。

約1500字以上の長い文章を読んでいただきそして目に止めていただきありがとうございました。

引き続きよろしくお願いいたします。



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