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幽体離脱時代

毎日書いていたのに。。。。父紹介以降さぼってしまいました。。。。まだまだ続く自己紹介。。。。今年46歳になるので人生ドラマが沢山です。人生ドラマの合間でも今活動している事もちょこちょこ書いていきますね。

このインパクトのあるタイトルですが、そのままの時代でした。

秋田でのほほ〜〜〜んと過ごしていた18年間。19歳から上京してバンタンデザイン研究所という当時中目黒にあったファッション専門学校に通っていました。そこでcandystripperを立ち上げる事になったのですが、デビューショーの衣装を製作する時間が5日。その前にも他のファッションショーを行っていたのですでに睡眠不足の状態での衣装製作でした。日中は学校で帰宅してからの製作。半分寝てるんでないか?という状態でひたすら作り、何とか?!形には出来たのですが、ボロボロでしたね。。。。。

デザイン学科ではなくビジネスプレス学科

ファッションショーなど頻繁に参加していましが一緒に立ち上げた友人も私もデザイン学科ではなくビジネスプレス学科。一応授業ではパターンの授業はあったのですが基本はビジネス寄りの授業。洋服作りは本当に独学でした。。。。そもそもは高校卒業してスタイリストになりたくバンタンに入学したのですが、在学中からアルバイトでスタイリストアシスタントなども経験していたのでスタイリスト学科じゃなくて良いかなぁ。と思いなんとなくプレス学科に進学。。。。そんな自分がまさかデザイナーになるなんてという感じです。デザイナーって仕事は高校生の時は雲の上の存在でした。

友人が凄かった!

今でも彼女はcandystripperを作り続けています。本当に在学中から凄い人!彼女のお陰で私はデザイナーという仕事をする事になったし、道を作ってくれた人でした。在学中頻繁にファッションショーを行っていたのは彼女がイベントを企画運営していたし、とにかくプロデュース力が凄かったのです。あっという間に色々な企画を組んでくるので何とかそれを形にしなくちゃ!と必死でした。気がつけばcandystripperのメンバーは8人!同じ学校の友人もいましたが他の学校の子もいたり。週1で新宿のミスドでミーティング。素人ながら営業チームと生産チームと分かれていて組織として何となく形になっていました。生産チームのリーダーはデザイナー兼の私。この時代が人生の中で一番のプレッシャー&ストレスでした 苦笑

遂に幽体離脱 笑

本当生産チームは服飾学校は出てるのですが素人集団だったのでロックミシン持っていない、製作場所がそれぞれの自宅しかないとか。。。。あとまだまだ利益出るような状態ではなかったのでみんな勿論ただ働き。。。。作業を分担するのですが私が裁断&ロックまでして他のスタッフに渡しに行くなど。今ならば色々な経験をしてるのでメンタル強くなっていますがのほほ〜〜〜んとのほほ〜〜〜んとした田舎娘だったので日々ヒ〜〜ィヒ〜〜ィッとなっていました。納期&メンバーのヘア。慢性的な睡眠不足。ある時やっと納品終わった〜〜〜。とベットで寝ているとフッ!と体がめっちゃ軽くなり。気持ちいい〜〜〜〜感じ。あら?目の前に天井が!!!!!やばいやばい!!!!!早く戻らねば!!!!!とアップアップしていたらド〜〜〜〜〜ン!!!と体が重くなりました。

きっと夢だったのでしょう。。。。


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