見出し画像

母親になって後悔してる❔

生まれたばかりの私をあやす母の写真です。
「母親になって後悔してる」を読み、映画「母性」を見てきました。
自分の母親を思い出しました。
私の母親はすでに亡くなっています。
母親は看護師と言う仕事柄働いている時が多かったです。
父親が「資格がありながら社会に貢献していないのはもったいない」と母に働くことをすすめたそうです。
夜勤明けの母親を父と一緒に車で迎えに行ったりしたことを今でも覚えています。
小さい頃は頭痛で良く寝込んでいた母親の記憶が多いです。
そのためなのか、父親が私と一歳違いの妹を連れて三人でよく出かけていたことが思い出されます。
具合が悪いながらも母はおにぎりを作って私達に持たせて送り出していました。
風邪をひいて私が休んでも母は仕事に出かけまていました。
私は風邪をひくと食べられなくなることが多く、薄暗くなった頃に点滴瓶をぶら下げて帰ってくる母親が待ち遠しかったのを覚えています。
部屋の電気コードに点滴をぶら下げて点滴してくれました。
ふさわしくない医療行為だったんですけどね…

私は母親が好きでも嫌いでもなかったと思います。
好きとか嫌いとか考えたことすらありませんでした。
不満も不平も感じていませんでした。
母親なりにやれることやってくれていたとしか思えないからです。
愛されていたか❔についても考えたことがありません。
そこを考える機会もありませんでした。
「怒られた」記憶がまずありません。
自分の感情で子どもに影響を与える人ではなかったのだと今振り返れば思います。

私もそんな母親の影響でマイペースの母親やっていると思ってます。
母親になって後悔はしていないようです。
じゃあ、生まれ変わったらもう一度母親を選ぶかと問われればどうなのかしら…
選ばないとは言わないなぁ…なくらいの感じです。
「母性」についてはこだわりもなく、「親」であることにはこだわっています。
「母親」と言われるよりも「親」と言われる方がしっくりきます。
「女性」にはこだわりがあるからでしょうね。
「女」であることで悔しかったことが色々な場面であったから。
「母親に気に入られよう」「母親のためにいい子になろう」は母親から教えてもらったことはなかったです。
両親から「あなたが選んだことをやりなさい」と教えられて育ったと受け止めています。
私は私であり、自分で決めたことならそれで構わないと今は生きてます。
私は私の母親が肯定できているから、母親している私が肯定できているのかもしれませんね。
誰かから私の「母性」についてとやかく言われるのは気持ち悪いです。
誰かから評価されたりするものではないと思っています。
「母親」も「母性」も私には重たい言葉ではないことに気が付きました。




いいなと思ったら応援しよう!