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-選択的シンママ-東京で、ひとりで子を育てるということ

私の周りには、結婚して子どもを育てている友人や知人がたくさんいる。シングルマザーの友達もいるけれど、今日は「夫婦と子ども」という形の家庭について、少し思いを巡らせてみたい。

私の周りにいる、数多くの夫婦の形。
私の周りには、男女ともに経済的に成功した人が多い。
だから当然、経済的な余裕が目に見える形で現れ、目を逸らすことがどうしてもできない。

例えば、多くのママたちが肩にかけているシャネルのマトラッセ。
あのバッグは、今では10年前の何倍もの値段になっているらしい。
子どもと一緒のときも、一人で出かけるときも、カジュアルに斜めがけされたそのマトラッセを見るたびに思う。それは、私にとって「財力があり、家庭があり、子どももいて、さらにあの時代にマトラッセを買う余裕があった母親」の象徴のようだと。

そして、耳元や首元で光るヴァンクリーフ&アーペルのジュエリー。
スウィートアルハンブラの控えめな可愛さではなく、存在感たっぷりの大きなアルハンブラが揺れている。それらは、忙しい日常の中でも輝きを失わない、余裕と自信を象徴しているように見える。

また、別の光景も浮かぶ。
赤ちゃんを抱っこしながら、片手でベビーカーを押して公民館へ向かうパパの姿。ママが飲み会や用事で外出している間、家で子どもと向き合う頼もしいパパ。
そんな家族の姿を目にするたび、胸の奥で静かに思う。「私は、そのすべてを手放す決断をしたのだ」と。

一人で子どもを産むというのは、そういうことだ。
別にブランド品や贅沢が欲しいわけじゃない。着飾るためでもない。でも、東京という街で子どもを育てるという現実には、こうした場面と隣り合わせで生きる覚悟が必要だ。モンクレールのダウンを羽織り、肩にマトラッセをかけ、耳に大きなアルハンブラを輝かせながら三越前でベビーカーを押すママたち。その隣で、育児スキルが高く子どもが大好きなパパたち。そんな家庭の風景を横目に、私は一人で奮闘するのだろう。

こういうことを考えるとき、不安が静かに胸を満たしていく。
でも、それでも私は自分に言い聞かせる。「私が自信を持って生きていかなければ、子どもに自信を与えることはできない」と。マトラッセがなくても、アルハンブラがなくても、私は私の力で、精一杯子どもを幸せにしてみせる。いつか一生懸命働いた先に、そんな自分へのご褒美としてアルハンブラを手に入れる日が来るかもしれない。そして、育児が得意で子どもを心から愛するパパだって、もし縁があるならどこかで出会えるかもしれない。

不安と希望の間を行ったり来たりするこの感情。
それが今の私のリアルな心情だ。
雲ひとつない冬の青い空が美しい、静かな昼下がり。

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