《選択的シンママ》AIDのこと-精子ドナーのリアリティ(2)-
精子ドナーのリアリティ第2弾として、AID(非配偶者間人工授精)について今日は発信したいと思います。
選択的シングルマザーのことを考える時に、避けて通れないのが、精子ドナーとAID。
精子ドナーの提供を受けるということは、少なくとも海外では一般的には、AIDで出産することを意味する。
“一般的には”と書いたのには理由がある。
Noteで調べていても、SNSで見ていても、精子ドナー提供者で、タイミング法(つまり性行為すること)で提供している人を見かけるが、
「精子はどうする問題」で記載したとおり、私は性行為には行為に意味が伴うと考えるので、精子ドナーの肉体とタイミング法を行うのは考えられない。
精子ドナーの肉体は自分にとって何の意味も持たないからだ。
さて、AIDについて。
精子ドナーから精子提供を受けて選択的シングルマザーになる場合には、
子供がAIDで生まれたことに何の引け目も感じず、親や周りの人間に確かに愛されているんだと感じながら育っていくことが最重要課題だ。
とはいえ、AIDについての理解がなければ、AIDであることが引け目になったり、負い目になるという感情さえ湧かず、子に共感できない親になってしまう。
AIDについての理解を深めるため、
大野和基さんの"私の半分はどこから来たのか -AIDで生まれたこの苦悩-"という本を読んだ。そこで起きた私の心境変化、学んだことを記していきたい。
AIDの苦悩が理解できるようになるまで
私はこの本を読むまで、正直なところ、DNA上の父親がわからないことがそんなに気になるのだろうかと思っていた。
その理由は自分自身の人生にある。
私自身が幼い頃に両親が離婚、実の父は覚えているが愛情を受けた記憶があまりない代わりに、暴力を振るわれた記憶、そして大人になってからは未熟でか弱い人であるというイメージがある。
父親自身が家出した身のようで、彼の父母や兄弟、親戚について、彼自身が幼い私に語ることはもちろんなかったし、私の母親も語ることもなかったので、父方の家系のどんなルーツがあるのかをほとんど知らない。
どうも母親もあまり知らないようだった。
知らなくても、私は生きてこれたし、アイデンティティクライシスに陥ることはなかった。
なぜなら、私は、暴力的で、未熟で、自分勝手で、か弱い、自分の両親には似たくないと思ってきたからだ。
そんな自分の人生の背景があったので、どうしてそこまでしてDNA上の父親のことを知りたいのか、最初はわからなかった。
私以外にも、世の中には、離婚や、未婚によって、父親を知らない、母親を知らない人はいて、その人たちがAIDで生まれた人たち程の強いアイデンティティクライシスに陥っているわけではないように思っていた。
でも、私が、父方の祖父母や家族を知らなくていいと思うのは、「xxxという特徴があるから似たくない」と断言できるxxxを知っているからなのだと、
本を読んでまず気づいた。
これがAID問題と私自身にまつわる認識の変化だ。
AIDで生まれた人たちの明暗ストーリー
ここから先は、AIDで生まれた人たちのストーリーと共に、彼らの苦悩や、親の正しい行動によって払拭された苦悩、AIDで子が産まれるときに気をつけた方が良いことをまとめたい。
AIDのことを知るのに大変参考になった、"私の半分はどこから来たのか -AIDで生まれたこの苦悩-"。
この本に登場するAIDで生まれた人たちの中で、自身がAIDであったことを10代後半以降に知った人と、10歳以下で知っていた人では、親に対する感情や自分の人生に対する充足感、納得感が全く異なっている。
前者の場合、親を憎んでいたり、自分の人生の喪失を感じ壮年期を葛藤と共に生きたり、親探しに若年期〜壮年期の貴重な時間を費やしたりしていた。
後者の場合、親のことも恨んだり憎んだりはしておらず、DNA上の父親と交流している人もいれば、1度だけあった人、同じDNAから生まれた異母兄弟たちと仲良くしている人、特徴だけ知って特に接触しない人、と選択肢はバラバラだが、総じて、自分の人生への納得感は高いようである。
日本では、戦後すぐの1948年、慶應大学病院で人工受精が始まってこの方、ずっと匿名で精子が提供されてきたし、提供されたカップルにも子に真実を伝えないようにアドバイスしてきたそうだ(P41, "私の半分はどこから来たのか -AIDで生まれたこの苦悩-")。
しかし、それには無理がある。父親と全く似ていない(例えば自分は数学がすごく得意だけど、母も父も数学が苦手とか、身長や体格が全く異なるとか、活発さや一人を好むなど性格的特徴が全く異なるとか)ということや、遺伝性の病気の心配をしたところ自分には何のリスクもないことが分かったとか、普通に生きていれば、生活の中で綻びは簡単に存在するのだ。
慶應大学病院で1948年から2017年までの約70年間の間にAIDでうまれた子は1万5,000~2万人を超えるという。
”私は何者 AIDで生まれた子供たち”というNHKの特集に登場する方(医師の加藤英明さん)の一人も、この本に出てくる。
加藤さんは、医学部生の時に遺伝子検査をして偶然自分が父親と血のつながりのないことを知った。なんと29歳の時だった。
DNA上の父親は、慶應大学病院の医学部生。卒業生名簿を頼りに父親探しをしたという。そして、同じドナーから10人以上の子供が産まれていることがわかった。確率論的にはかなり低いが、それでも近親婚のリスクはあることから、女性と付き合う前にはそれとなく、父親のことを確認していたという。
このNHKの特集は、大人やTeenagerの年になってから、偶然知ることになったり、突発的に知ることになった事例が中心なので、この番組や記事を見た人からは、AID=子供にとって悪のように捉えられるリスクが高い。
しかし、本の中に出てくる海外の事例では、AIDで生まれたことに何の引け目も感じずに家族の愛情を感じて生きている人の話も出てきている。
もちろん日本と同じように子供が偶然知ることになり深い憤り、疑い、苦しみを持つことになるケースもあったが、そうでないケースも多く紹介されていた。
それは、子供の「出自を知る権利」が守られている国でのポジティブな事例が多かった。
子供の出自を知る権利が法律で保障されている国は以下の通り。
スウェーデン(1984年制定法)
オーストリア(1992年制定法)
スイス(1998年制定法)
ニュージーランド(2004年制定法)
フィンランド(2006年制定法)
イギリス(2004年制定法)
オーストラリアのビクトリア州(1995年制定法)
これらの国では、AIDによって誕生した事実を子供に早期告知の重要性を病院から求められており、「いのちの誕生」に関するストーリーを理解できるような絵本も配布されている。
まずは命が誕生するプロセスについての説明、そしてあなたが生まれてきたプロセス、理由の説明。それがわかりやすくまとまっている絵本で、近年では日本でも同様の絵本が用意されているそうだ。
また親に対しては、子がAIDで誕生したことを自然に、そして明確に理解でき、自分の出自に引け目を感じたりしないように告知していくことが、同然の義務として教えられている。
AIDで誕生したことを知ってから(海外事例)
海外でも80−90年代前半には、子供が出自を知る権利に関する法令はあまり制定されておらず、匿名ドナーも多く、データベースへの登録義務もなく、病院側も開示を前提とした管理していなかったため、後から自分のDNA上の父親が誰かを探そうにも、探せないということもあったそうだ。
だから自分でインターネットの掲示板に同じ境遇の人を探すポストをしたり、アメリカのコロラドでは、DSR(Donor Sibling Registry)というサイトを立ち上げて、8万人以上もの登録者を持つサイトにまで育てた当事者もいる。
それだけの数、AIDで生まれた子たちは、自分たちがどこからきたのか知りたいと思っているのだ。
一方で、出自告知を5歳前にされて、最初は少し奇妙な感じもしたが、何の引け目も感じずに育ってきて、ドナー探しもしていないというオーストラリアの兄弟も出てくる。親は出生告知をした上で、子供たちにたっぷりの愛情を注いで育てたという。息子の言葉は以下の通り。
家族の間に秘密があるというのは健全ではないし、AIDで生まれたことを隠すこと自体、AIDを否定しているのと同じようなものだ。
日本でも最近では、子の出自を知る権利を尊重し、小さい時から伝え続けてきているカップルもいるそうだ。(NHK特集)
家族というのは血のつながりではなく、お互いが与え合ってきた愛情によって形成されると私も信じている。だからこそ、AIDで子供を産む場合には、告知関連において子供が健康的な人生を送れるようにする目的に合わせて、子供たちとの信頼関係を保てるように以下のことを留意したい。
DNA上の父親が存在すること、その父親の基本的な情報を知るのは子の心身ともに健康な人生のために必要なこと。アイデンティティ的な意味に留まらず、病歴や近親婚を防ぐために、自分がAIDで生まれた子供であり、DNA上の父親がどこの病院でいつ使われたドナーで、他に血が繋がっている人が何人いるのか知る必要があること。
AIDで生まれたことを、正しく、早くから(3-4歳頃から徐々にランディングする)子供に教えること。そして継続的にその事実を伝え、子供が納得し、また何の引け目も感じずにその事実を受け入れられるようにすること。そのために親のカウンセリングも必要。補助教材も世の中に存在する。
子の知る権利を尊重すること。つまり、できるだけ非匿名ドナーを選ぶことが、子が深く知りたいとなった時に得策。
3点目については、ドナー側の人権はどうなんだという話もある。国や地域によっては、匿名を約束されたドナーも追跡できる法律ができたそうだ(オーストラリア、ヴィクトリア州)。
ただしオーストラリアで70年代からAIDを含む生殖医療に従事してきた医師の話では、ドナー側の事情も時代とともに変わってきていて、オーストラリアでも20代の若者があまり先のことまで考えずにドナーになるケース多かったが、今では既婚者ですでに子供がいる人が、妻の了承を得て(時に妻の推奨を得て)ドナーになってるケースも多く、そのような大人の男性は、その後の人生で起きうることも想定した上でのドナー提供であると言えるという。
子供が自分のルーツを知りたいとなった時に、できるだけ情報提供という観点で協力してあげられるように、やはり非匿名ドナーを選ぶことがこのためになると私は考えている。