《選択的シンママ》おひとりさまだって悪くない
前回の投稿から間が空いてしまいました!
海外に行ったり、仕事が忙しかったりと、バタバタしてしまいました。
今日はいろんな調べ物の結果ではなく、一個人の気持ちを、簡単に、つらつらと書きたいと思います。
つらつらと生まれたその気持ちのきっかけは・・・
本当に子供が欲しいの?
という、迷いであり、問いです。
子供が欲しい理由はいろいろあるけれど、やっぱり、家族が欲しいという気持ちが強い。
必ずしも「家族」でなくても、周りに仲間がいればいいんじゃない?とも思う。
ここ数年で、多くの友人は結婚し、子供を産んでいったけど、そうでない女性たちとも出会った。
某推し関連で、海外で出会った方は、50代のシングル。
海外の大学を出た後、好きな仕事で日々を楽しく過ごしている。推し活をする経済的な余裕もあり、推しの存在も彼女の生活の一部。
仕事をしっかりやりながら、いろんなコンテンツを見たり、美術を楽しんだり、本を読んだり、海外を旅したり。
お料理を楽しんだり、人と会ったり。
その生活のどこが寂しいというのだろう。
また、別の推し関連で知り合った人たちは、30代前半、40代、50代と世代はバラバラ。
共通の推しという存在を通じて仲良くなって、
推しが訪れたレストランを一緒に巡ったり、推しのツアーに合わせて日本中を巡ったり、
いつか一緒にソウルに行こうねとか、チェジュ島に旅行に行こうとか、
そんな話で盛り上がる。
こんなふうに、好きなものが一緒の人たちと、好きなものについて思う存分語り合い、楽しく過ごす。
この生活が10年後も20年後も続いたらいいと思う。
他にもある。
この夏初めて訪れたスリランカで出会った、40代、50代の女性グループ。会社の同僚として出会った3人は、海外旅行も一緒に行くほど仲良くなったという。
空気がゆっくり流れて、日本とは違う、食べ物、文化、人の暮らし方を味わえるスリランカで出会い、毎朝毎晩、食事をご一緒した。
仕事をしっかりして、休暇を思う存分満喫し、また東京に戻りバリバリ働く。
スリランカという共通の思い出のある私たちは、たまにスリランカ料理を振る舞っていただき、スリランカの楽しい思い出に花を咲かせる。
業界の違う私たちが仕事で出会うことはない。
普段出会うことのない業界の方々だけど、ああ、こうやって、東京の中で、出会うことのなかった私たち、見えないところでお互い、毎日しっかり働いて、社会の中に生きて、ちゃんとやっているんだなぁと思わされる。
普段はバリバリ働き、休暇のたびに、異国に旅をし、リフレッシュする。そんなメリハリのある、平和で穏やかな日々を過ごせることは、とても幸せなことだ。
ここで紹介した人たちはほとんどが年上(一人だけ年下がいる)で、全員女性だ。
世の中には、女性同士の関係は怖いとか、おばさんは若い子に厳しいという迷信を信じている一部の人もいるようだが、
そんなことは全くない。
私たちは心の底から相手を思いやり、一緒の時間を楽しみ、困難があった時には支え合うのだ。
まさにSisterhoodが芽生えた。
私は、彼女たちに出会って、かわいそうだとか、寂しいだとか、そんな気持ちになることは全くなかった。
それぞれが自分の人生を楽しんでいて、好きなことに真っ直ぐで、そして自分の生活を支える、つまり自立するということにも確固たる姿勢で挑んでいて、十分にバランスが取れた人々に見えるのだ。
彼女たちにも、私にも、十分に美しく愉快な人生があり、それは、何かによってより満たされるものでも、奪われるものでもないのだ。
そんな人生を思うとき、私は子供を産まなければ不幸なのだろうか。自分の家族を作れなければ寂しいのだろうか。とふと思う。
いろんな人生がある。
ただ一つ言えるのは、私は人との関係の中で、喜びを見出し、楽しみを倍増させ、日々の意欲を湧き立たせる、まさにsocialな人間であるということ。
それが必ずしも子供を持つことなのか。
それとも、今の生活を続けていくことなのか。
ふと、そんなことを思って、読書の手を止めた秋の夜長でした。
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