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-選択的シンママ-性行為の絶対ライン
先日、ついに人工授精をしてくれる産婦人科に行ってきた。
産婦人科には、精子提供をしてくれる友人も一緒に来てくれた。
最初は1人で先生からさまざまな説明を受け、友人に精子提供してもらう場合のプロセスの説明を受けるために、
後半は友人と一緒に診察を受けた。
友人にやってもらう、血液検査、精子のクオリティチェック。
そんな話を先生から聞きながら、ふと思った。
人工授精なんてしなくても、ここにいる身体上の女性と男性。
本当は、性行為をしちゃえば早いよね。
なんで私たち、ここで真剣に、何十万というお金をかけて妊娠する方法の話を聞いているんだろう。
しかし同時に考える。
私たちは、性的嗜好が違う。私は、異性愛者の男性が好きで、彼は同性愛者の男性が好きだ。
だから、身体的には問題なく性行為ができ、それだけで子供ができるかもしれない2人が、
性行為をすることはない。
人工授精するからこそ、それぞれの性的嗜好が尊重される。
逆に、お互いの性的嗜好を無視し、肉体的にだけ性行為をすれば、私たちの人間としての尊厳は踏みにじられる。
性的嗜好が尊重されるということは、人間としての尊厳が尊重され、保たれることだ。
こういった、性に対する考え方、自分と他者それぞれの嗜好の尊重の仕方は、
大人になる過程で全ての人が学ぶべきだし、深く考えるべきだと思った。
これに纏わって、一つ考えたことがある。
先月話題になった滋賀医大のレイプ事件だ。
事件の詳細を読んだ時、
もちろん女性に非は無く、無罪になったとしても全面的に男性側が悪く、女性を責めるつもりは一ミリもないが、強く思ったことがある。
もし私に娘ができたら、将来飲み会などでこのような状況になった時に(いや、なる前に)、いろんな性的要求を冗談のように言われたとしても、それが意に沿うものでなければ、
「はい?ありえないんだけど」と言えるようになってほしい。
そんなことを言われたら、迷わず席を立って帰れるようになってほしい。
自分の子供だけでなく、家族、親戚の子、友達、友達の子、後輩など全ての人に伝えたい。
「自分の性を尊重すること、相手の性を尊重すること。自分が尊重されていない時は、迷わず、Noといおう。」
こういった話と、私と友人の、お互いの性的嗜好の尊重は、繋がっているのだ。
自由というのは相互の自由を承認し尊重することだ。