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DoingとBeing
私は考えすぎな人です。
友人からも時々言われます。
考えすぎるからこそ、このnoteにも書きたくなる。
本当は対人で、話したいと思ってる。ぶちまけたいと。それはもはや対話ではなく。
ここ数年、ヨガと出会い、誘導ヨガに参加する中で、「考えすぎ」は緩んできたと感じていました。
あれをしなければ、これをしなければ、ではなく、
まあいっか、なんとかなる、という気持ち。
が、自分と向き合うワークの中で、
色々な人生の出来事に対し、色々と考えて、「まあいっか、なんとかなる」と、結論付けていたのかなと気が付きました。
ヨガの目指す、日常的な瞑想状態=Beingを観察し続ける、ではなく、
あれもやりたいな、これもやりたいな、と、
「何をするか」ありきの、心の平安を求めているというか。
いつかは、私が心から楽しめる「活動=Doing」がメインになる暮らしが来るだろう、という期待とか。
ワークの過程で、
「人生を豊かにできるかどうかは、何をするか、ではなく、どうあるか、です。DoingではなくBeingがすべて。」
「専業主婦でも、会社で働いても、親の遺産で働かずに暮らしていても、本人が幸せに自分の人生に納得し感謝して生きていれば、それが宇宙の望みです。」
「あまり考えすぎない方がいいかな。」
と、言われてはじめて、
Doingをすんごい意識していたんだと気がつきました。
だって、Doingを変えたほうがわかりやすい変化だから。
そして、考えすぎと言われても、ワークだから考えてアウトプットしたんじゃないか!!という気持ちもありつつ、
日常からこんなことをずーーっと考えていたのかなとも思いました。
そして考えるのって結構楽しい。好き。
考えすぎってどういう状態なの?
(こういう状態でしょうね(笑))
まあ、とりあえず今の自分はDoingにどっぷり、ということがわかりました\(^o^)/
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