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相手のあり得ないと思う言動に対して

春になり息子も年長組になっていました。
ママたちの意識はもうすでに小学校に向いていました。
私は同じ小学校に行く子たちと近所の公園で遊ばせたいと思い、
年長組になってすぐにみんなに呼びかけ、公園で集まりました。
子供たちは遊具やらで楽しそうに遊んでいました。
ママたちはベンチに腰かけ、一人のママが勢いよくしゃべります。
そして、話が思わぬ方向へと進んでいきました。
そのママは皆で一緒に幼稚園の係りをやらないかと言ってきたのです。
私は断りましたが、
結局そこにいたメンバーと以前やったことのある人が係りになりました。
そして、子供たちが「おやつー」と走ってきて、
みんなでおやつを食べていた時のことです。
息子がポロッと飴を地面に落としてしまいました。
私は「あらら、どうしよう・・」とビニールの袋を出そうとしていたら
係りをやりたがったママが「そこらへんにポイってしたら」と言ったので
私は驚き、黙ってしまいました。
しかとされたと思ったそのママは、私が話しかけた時、しかとしたのです。
鈍感な私は聞こえてないのかと思い、また同じことを言いましたが無視。
あ、さっき私も何もいわなかったから仕返しかーとようやく気づきました(汗)

この後、教会でのバイブルサロンで、
「相手の言動でありえないと思ったことでも受け入れる必要はありますか?」と、私は牧師先生に質問しました。
しかとするつもりはなかったんだけど、結果的に相手にはそう伝わってしまったようだし、もっと何かいえばよかったかな・・と気になっていました。
”ゴミをそこら辺に捨てる”という行為は私からするとあり得ないことなのですが、牧師先生は、「あなたがどんなにあり得ないと思うことであってもそれはそれでいいの。」と言ったのです。「どんなに違うなって思っていても相手はそう思っているのだからそれを否定せず、そういう考え方もあるんだねと受け取る。」というような事をお話してくださいました。
当時の私には言われてる意味がよくわからなかったのですが、ローマ7章などを見聞きしていくうちに、相手の言動を否定する必要はないということがわかりました。
相手はただそう思った、
私とは違うけど、あなたの考えはわかりましたということ。
それは私の方が正しいと相手を裁く必要はないということを学びました。
人間は神の目にはどっこいどっこい、どんぐりの背くらべのようなもの。
裁くのは神様のみであると思いました。


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