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愛猫の死と信徒さんとの交わりの中で学んだ大切なこと
愛猫との突然の別れから2ヶ月くらいは過去の写真を見ながら愛猫のことばかり考え、愛猫との16年間の生活を振り返ったりしていました。
息子が生まれ、育児に没頭していた時期でも写真をみると愛猫はいつも息子の側にいて、思っていたよりも多くの写真があり、また涙が出ました。
愛猫の後ろ足が立たなくなり、はじめに主治医に診てもらったときに言われた言葉にショックを受け、ずっと頭から離れずにいたことがあります。
「どうして後ろ足でしっかり立てなくなったのですか?」との私の問いかけに主治医はこう答えたのです。
「スコティッシュフォールドは仕方がないんですよね。奇形があるので加齢とともにどうしても骨が変形してしまうんです。」
私は相当なショックを受けました。
耳が折れているのは奇形から始まったというのは知っていました。
でも、骨が次第に変形していくということは知らなかったのです。
はじめから骨が変形するとわかっていながら繁殖する人間の欲深さや醜さを強烈に感じました。
自分の楽しみや金儲けのためにはどんなことでもする人間の罪深さを知りました。
そして、私は自分のために周りを動かすのはやめようと思ったのです。
このように思えたのは、集いを月一自宅でしてくださっている信徒さんの存在がありました。
教会や月一の信徒さん宅での集いでも
交友関係の広い彼女はいろいろな方をお招きし、おかげで私は普段出会うことのないような方たちとの交わりの中で多くの学びがあり、影響を受けてきました。
そしてどちらの集いにも参加されていた彼女の友人が一人おりました。
ある時期から、友人から会いたいと連絡がきて約束するものの何度もダメになっていると聞かされたことがあり、その信徒さんは「彼女と会う理由がないのよね。約束しても相手が具合悪くなったり、こちらに急用が入ったりして会えないんだから・・」と言ったのです。
このとき、いつも自分都合で人と会っている私には「え??会う理由がない??どういうことだろう??」と思いました。
それから間もなく、信徒さんとその方の間でやりとりがあり、もう彼女とは会うことをやめましたとお話してくださいました。
理由をを尋ねると信徒さんは、「私たちクリスチャンとその方の周りにいる方たちの価値観が違いすぎて、自分たちとは違うなと強く思ったみたい。なので、もうここにはお誘いしません。」と信徒さんは言いました。
いつも自分のために相手を動かさず、相手の必要を満たそうと一生懸命な信徒さんの姿をみて、私とは全然違う人付き合いの仕方をしているなと感じました。
大抵の人たちは、まず自分ありきで相手を誘うと思うのですが、この信徒さんは全く違うのです。
人間関係に悩むことが多かった私は自分が不安なので、自分のために相手を動かしたり、コントロールしようとすることは当たり前のようにやっていました。
自分がどうしたいのか、ではなく、
相手がどうしたいのか
相手が何を望んでいるのか、それを観察してそれに応えていく信徒さんの姿を目の当たりにし、クリスチャンの在り方を教わっているような気がしました。
彼女は自分のために動いていない、神様のために動いているのだと気づかされたのです。
私もこのようなクリスチャンになりたいと思いました。