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無能警備員

有名ブロガーから警備員へ。

転職回数がおよそ30回で1年以内に退職を繰り返していたバリバリ社会不適合者の私が同じ警備会社に4〜5年も勤務しました。

もはや奇跡です!


  • 仕事を覚えたくない

  • 責任を負いたくない

  • 辛い思いしたくない

  • 金を触りたくない

  • 好きに休みたい

  • 疲れたくない

  • 忙しいのイヤ

  • 金欲しがる


雇用側としては絶対に雇いたくない人材ですね。

このような糞メンタリティでも、クレームなし、トラブルなし、涙なしで元気に勤務できました。


そんな天国みたいな環境でも「給料が少ない」という理由で引退を考えてます。


不真面目なのに金は一丁前に欲しがるなんて、とことんクズですねぇ。

どのような職種でも拘束される運命なので、勤め人自体がもう無理ということです。


お花を積みに行くノリで金が必要な時に稼ぎに行きたいんですよ、私は。


好きな時にブログを書いて投稿して、Twitterでクソリプを飛ばしたい人生でした。


今回は記念碑的に警備会社でどのように過ごしたかを振り返ってます。


もちろん私が普通に素直に働いてるわけがありません。怒られる内容モリモリですが時効です。

選んだ理由


私がお世話になった警備会社を選んだ基準は、当時の求人の中で一番給料が高かったからです。


当時は趣味が転職で飽きたら退職するを繰り広げて、実社会でリアルキッザニアを1人でやってました(大人)


リアルキッザニアの方が金もらえるし臨場感があるから面白いです。


当時は転職回数を100回にするために、転職活動をがんばってました。仕事を覚えて飽きたら辞めるを繰り返してました。


その中でバイトのスタンダードとして警備員は必須だと考えました。

神戸の求人と迷いましたが、高い電車賃を払いたくないという理由で大阪市内の警備会社に決定。


面接の時間に遅れそうになりましたが、行くの止めるか迷った末に少し遅れてちゃんと行きました。

テキトーに決めた会社に数年も所属するとは夢にも思いませんでした。


研修のビデオは半分寝て過ごし、貰った資料は1週間以内に断捨離です。


研修内容を全く覚えてないですが困ったことないです。研修中もイスに座ってるだけで給料が発生してラッキーくらいしか残ってないです。


✯初めての仕事


私が警備員として初めてした仕事は、駐禁対策で自社の車で待ってることでした。


みんながイベント用の柵を立てに行ってる間にぬくぬくと車内で待機。スマホも触ってても良いと公式に許可を貰いました。


30分ほど1人ぼっちで車に残り、Twitterをして過ごしました。


その後の仕事も大したことなく、30分ごとに休憩だったので楽でした。

正社員はゆるふわキャラ揃いで、バイトも緩い人ばかりなのも素晴らしい。


美しいイルミネーションを拝めたし、交通費を節約できてラッキー。色んなイベントに参加できて楽しい。


そこで警備員という仕事に可能性を見出しました。


一年も休む


途中で私はフィリピンに滞在するために、警備会社を離れます。


普通のバイトならば一旦退社しないといけないですが、籍だけ置いて1年間も警備員として働かなかったです。

その時はコロナが流行して、私は日本に戻れず帰国になってしまいました。

なんとかして帰国できた頃には無事に貧乏になってしまいました。


フィリピンではブログ収入でやって来ましたが、コロナ禍の広告収入はかなり下がっていたので働かないといけないです。


フィリピン滞在中も警備会社からちょいちょい連絡があったので、帰国したタイミングで警備会社に連絡して速攻で復帰しました。

その後も1ヶ月単位で休んだり、寒さを理由に出勤を減らしても怒られずに自分の気分のままに出勤してました。

✯警備の仕事内容(本題)

イベント会場の警備

施設の巡回警備

工事現場の警備


ほぼNGなしで色んな現場へ行きました。


休憩時間の多さ、立ってるだけの時間、監視が少ない環境。


暇な時間が多いので、暇な時間を活用したいとすぐに思いました。


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