LOW-GUY住人日記。 ぞの
どうも僕、ぞのです。
突然ですが、みなさんは「インターン住人日記。」を読んだことがあるだろうか?新卒の女の子が、モテアマス界隈に立ち入ったことから始まる、彼女のリアルを切り取った半年に及ぶジャーナルである。その最後の記事では、彼女はこのように幕を閉じていた。
さて、これからお読みいただくのは、逆に『インドから帰って来れなかった』男によるおよそ5年間を振り返ってみる日記である。モテアマスに”沈没”し、目のクマが取れなくなり、髪は抜け、ち⚪︎こをフリー素材にされ、育毛剤を買える様になり、存在するだけで重鎮として扱われる老害になり、結婚をすることになったおよそ5年間で、彼は何を思い、何を学んできたのかー
ことのはじまりは
「27歳 無職 パートナーと複雑な関係」という僕と、モテアマス3周年のイベントだった。
5年前、喜劇の様な人生を送りたいと思いながら、お金のない僕は自分で作った自転車で日本を旅していた。その道中、福井県 鯖江市の森ハウス(シェアハウス)に滞在していた時の事である。
こう言いながら、僕を誘ったのは実は現在 長崎県 福江島でニートのための家をこさえているコバさんだったりする。そしてこれは当時、森ハウス代表がコバさんに「威勢のいい変な奴がいる」的なかんじで紹介してくれていたと後で知る。
旅先は急遽にして、東京 三軒茶屋。早朝6:00から「ブッダマシーンでラジオ体操」というヤバそうな企画があるとの情報を仕入れ、手土産にはお金がないから自分で作ったビールを担いで、初めてのモテアマスに踏み込んだ。そこから4時間の間、僕は暗いリビングにて一人で待つことになる。
4時間後に起きてきた、住人 筋肉くんに「タイムテーブルに1時間おきに企画が置かれているけど、概ね開催されないのがモテアマスです。」と教わる。更に、誰の繋がりもない中、事前知識がないと理解できない会話が飛びかったと思うと、来場者が増え益々分からない会話がもっと盛り上がる、というサイクルを10周くらい繰り返し、そこから3日の間、僕は風邪を引いて寝込みリビングの床から動けなくなる。
周年イベントも終わり日常を取り戻した夜。当時の住民達が囲む団欒のリビングにて、僕は初めてカズキタ氏に認知された。
ロケット鉛筆の法則 : 入居期
ご存じの通りモテアマスには独自の法則がたくさん存在している。その法則には結構ちゃんと筋が通った理由があるから、一見カオスのようだが成り立っていたりする。僕は老害なので、ここからは”あまり表に出ていないが”、実はカズキタ氏が仕掛けている法則を交えながら、5年間を振り返っていく。
初めてモテアマスで寝泊まりしていたのは駐車場に張ったテントだった。
当時のモテアマスは、僕の様な”変な住民”が増えて来ているタイミングだった。現在よりも一般的な秩序が重んじられていた雰囲気を覚えている。そんな中で僕はというと、カズキタ氏を中心とした層からいっぱい持ち上げてもらっていた。
この状況について、一般的な回答は以下の様になるだろう(当時の僕もこう考えていた)。「なんか面白いやつみたいだな、あいつ」もしくは「なんか調子こいてんな、あいつ」であって、まさか意図的に新入りを中心に置いているとは思わないだろう。
【ロケット鉛筆の法則】
新入りはコミュニティの中心に祭り上げる。
それに合わない層が出ていく。
コミュニティに流れができて、健全な感じになる。
ここで言う出ていく層は、ある程度長く住み、幅を効かせている老害っぽい層だけではない。次のステップに行きたいのに何となく居心地がいいから留まってしまう層もそこには含まれ、彼らが足を踏み出すきっかけにもなっているのだ。モテアマスを見舞ってきた読書の方々ならば「確かにあの住人は祭り上げられてたかも」という人が一人二人思い浮かぶはず。
そして、ここでの祭り上げが身体に合う人間は次のステップへ進むことになる。
グットニートの法則 : 開花期
テント住人で多方面からちやほやされた僕はすっかりモテアマスが好きになっていた。実は僕がテントで住んでいたのは断続的で、累計半年いかないくらいだったと思う。しかし、多分長さではなく”やります!”と言い、本当にやることが大切なのだと思う。
これまで数え切れぬほどの企画でカズキタ氏と遊んで来たが、僕の初めての企画は「汁だけ担々麺」だった。
松陰神社駅の近辺にある「スナックニューショーイン(後のスナックマキタ)」を借り、汁だけ担々麺のイベントを開催したが、来場者はたった一人(げんごさん)であった。帰りの世田谷線でカズキタ氏が窓の外を遠い目で眺めながら「やることが、大事なんです。」と声にならない声を発したことは今でも忘れられない。そして、この人と企画をやるのはたのしいと潜在意識に刷り込まれた瞬間だったと思う。
それから僕はいくつかの企画をやり始めるのだが、この頃のハイライトになるのはやはりラジオ関連であろう。作った番組は10本以上。色々あってクラファンで屋台を作ったり、そういえば「こちら鶏ハム放送局」という界隈の人の番組をまとめたWebサイトも作った。想像以上にやっていたのか、相方だった星野源さんとの会話は、今でも少しラジオの間の取り方に方になる。
相変わらず、仕事についてはフリーターみたいな形であったが、こうやって企画をやっているうちになぜか仕事の声をかけてもらえる機会が増えてきた。それは予想もしない業種であることが多い。その声かけを受けて達成していたら、僕はお金に困ることはあまり無くなっていた。
【グットニートの法則】
夢の様な現実離れしたことを思いついた
それをどんな形であれ、やる
それをみた誰かに声をかけられる
それをどんな形であれ、やる
繰り返し
しかし、ただ実直にずっとやっていると普通にしんどい。頼まれることのレベルが上がれば、それだけ難易度もあがり、どんな形であれが通じなくなってくる。そこで依頼を受ける時に期待値を調整したり、誰かを頼ったりなどテクニックを身につけていくことにはなるのだが、基本は「やることが、大事なんです。」がモテアマスの根底にある法則だと思う。ここで間違わないで欲しいのが、大事なのは頼みや誘いを受けるだけではなく「やること」だ。
ただ、この法則は多分、一般的な処世術の一つで、モテアマスの深みはもう少し先にある。
HOME “NOT” ALONEの法則 : 成熟期
(ここからは、共感が得難い内容になるのであまり書きたくはないのだが、同じ様に強めの経験を積んできて、理解してくれる人へ伝わったらと思い記していく。)
モテアマス一味として立派に顔が知られる様になった頃、どでかい運動会の統括をやった。100人を集め、クラファンで50万以上を集め、スプシ30枚で管理・進行して、体育館を借り切った大イベントだった。イベント後の打ち上げは15次会まで続き、解散した時には運動会から数日間経っていた様な気がする。ここまで読んで来てもらって何となく気づいた方もいると思うが、割と繊細な僕がこんなイベントの統括を傷なしでできるわけがない。
終わった後の僕の精神はズタボロだった。何故なのかサウナでいっぱい考えた。わかったのがこの時の自分の動機の持ち方が不器用だったかもということであった。
一見、純と不純が混じった身勝手なものだが、この欲望の動機があるから頑張れた。動機は不純である方がエネルギーが生まれ、高尚な企画や創作物ができていくとは思っているので、ここは問題ではない。この動機はうまく使い、健全な気持ちを持っていられるようにしたい。
終わった後に感じているこれが今回の問題。全員がなんか憎い。もちろん僕が一人でやった企画ではないが、発起人というある意味、犠牲者を引き受けた傷は深い。全員がなんか憎い。
【HOME “NOT” ALONEの法則】
全力を出せる場と想いがあれば、全力でやりきればいい。それは貴重なことだから。
だけど、そんなものは直近で見てないと深すぎて、理解できないので、多くの人に分かってもらうのは不可能。
だけどだけど、あなたの頑張った分か、それ以上の信頼を持ってくれる人が数人でも確かにいる。それで十分。
水風呂で、この様に気づけた時に一気に荒れた心がラクになった。当時、右腕左腕として、動いてくれたリコちゃんとげんとは舎弟の様にぞのに花を持たせてくれるようになった。カズキタ氏からは「ぞのさんとならできる」と声をかけてくれる企画が増えた。マキタさんは「ぞのさんが頑張ったんだから!!」とみなの前で声を荒げてくれた。僕が思い出せていなかったり、気づけていないみんなの信頼も多分ある。
同じくらいかそれ以上に愚かで、欲深くて、優しくて、発想力があって、愛があって、がんばっている人がこの家にはいるからわかってくれる。わかってくれてる安心感がある。本気になると、なかなか理解してくれる人がいない人生を歩んできたけど、僕はこの家では一人じゃなかった。そして、逆に僕の様な人がモテアマスにいた時、なるべく声をかけたいと思っている
そんな信頼達が、新たにモテアマス来る人達にも蔓延し、とうとう僕はモテアマスで老害になってしまう。
子育てシェアハウスの法則 : 老害期
突然だが、あなたは"法人"の意味をご存じだろうか?現代において、人間であれば誰しも生まれた瞬間に、いくつか法律により権利を持つのだが(所有権とか)、その権利を人ではない会社や団体などにも一部持たせるのが、法律によって人と同じ様に扱う、略して"法人"ということなのだ。
でもまあ、僕が好きなのはその団体などを人として見る感覚が好きで、モテアマスも人だと思っている所がある。更に、こうなると文化とも呼べ、持続可能なコミュティになったのだと考えている。だって、何となくこれがモテアマスだと所属する人がわかっていれば、カズキタ氏という代表取乱役が1人で頑張らなくても自発的に誰かが取り乱していくから。
そして、カズキタ氏が代表という言葉を避けて、あくまで「主任」と自らを呼ぶのもここからわかる。彼は「モテアマスという人であり、赤ちゃん」を最前線で育てあげた親にすぎないのだから。別にモテアマス=カズキタということではないのだ。いや、ではなくなったのだろう。
アメリカンシットコム 「フルハウス」さながら、たくさんのパパとママがモテアマスベイビーと遊び、学ばせ、粋で優しいバカでいて欲しいと願い、彼の成長を見守ってきた。時々、警察にお世話になる時もあるけど、成人した彼に、我々も救われていた。
2024年10月31日をもって、彼は家を出る。彼には何人かの子どもがいて、色んなパパやママの元でこれからも育っていく。
いよいよドラマの最終回がやってきた。
子育てシェアハウスの法則
モテアマスはカズキタ氏が育てはじめた赤ちゃん
家の中のあれこれは「これがモテアマスちゃんの意向ならば / ためならば」という緩衝材や生きる糧になるようになり
外部には「うちの子はしょうもないんですけど、可愛くってねえ」と子煩悩にさせ
そんなパパとママが増えて、カズキタ氏だけの子どもではなくなった
しかも預かり知らぬ所で、どんどん成長する
コミュニティの自走化である(子育て完了)
「ロケット鉛筆の法則」「グットニートの法則」「HOME "NOT" ALONE」を超えた先に親になるとは思わなかった。モテアマスで名を馳せている人は、実は面倒見のいい人で、どこか親っぽい。具体的に言えば、その人達はカズキタ氏は第一の親として敬愛しつつ、自分も親の一人だという自覚がある(カズキタ氏万歳にはならない)。親は自分の利益よりも、子がよくなることに動いてしまう。
実は親であるほどに、この家ではカーストの上位を得ていたのかもしれない。現在、次の場所を立ててる人達を見ると大体、モテアマスで名を馳せており、そんな親っぽい奴らだ。
それでもモテアマスちゃんの第一の親として一番血を捧げてきたのはこの人であるだろう。これから各所で次のモテアマスちゃんが育つ。私達の中でもモテアマスちゃん2世の第一の親になる人が現れるということだ。カズキタ氏のこの言葉は子育てを終えて、孫に会うことをたのしみに待つ、おじいちゃんの感覚なのかもしれない。
よかったね、モテアマスちゃん。君は親ガチャに成功したんだきっと。(老害感)
ことのおわりは
「31歳 婚約中 会社員と個人事業」という僕と、東京 足立区での同棲生活だ。ここら辺にはカズキタ氏もおっくんもいるし、たまにマキタさんも来るし、ポールさんも電車の中吊り広告でたまに見かける。
カズキタ氏とはたまにサウナに一緒に行く。ここで暮らしていると、あの頃の日々はまるで旅だったかのように思える時がある。全ては手に入れてないけど、20代後半に3周年イベントでモテアマスに足を踏み入れた時から、そこのカオスな世界観の中で、月並みに社会でのステータスは概ね得てきたと思っている。一般社会にいてもどうにかなっていたのかもしれないが、ゴールはほぼ同じだった様な気がする。だけど。
僕は多分、何か大物になるような気が30代の今でもしている。今回紹介した法則意外にもたくさんの法則をカズキタ氏の少し後ろから見てきたし、これからも見ていくから。
もちろんただの大物ではない。そしてそれは僕、一人だけではない。
「あの人もモテアマス三軒茶屋っていう伝説のヤバいシェアハウに関係していた人らしいよ」。
同じ釜の飯を食った、曰く付きの大物達に愛を込めて。
LOW-GUY住民日記。終わり。
最後に告知です
2024年10月26日、ついにモテアマス三軒茶屋爆破フェスが決行されました。
サイレントフェスや伝説のすた丼など、盛りだくさんのコンテンツを詰め込んだ爆破フェスは、大量の来場者ですし詰め状態になり、三茶のインドを体現するカオスを極めたフェスになりました。
しかしここで皆さんにお願いがあります!!
爆破クラファンは100人を超える方々に支援していただいたものの、爆破フェスを豪華にやりすぎたせいで絶賛大赤字を記録しています。
黒字になるまでクラファンは続行します!!
新しいリターンも用意しているので、ぜひ引き続きご支援をお願いいたします。
🔗 クラファンリンク: