テイカーからギバーを目指し、さやに戻るまで さや
明日、一年間住んだモテアマスを去る。
東京に戻ってきた一ヶ月間は引越し準備にフェスの準備、あまりに忙しすぎて寂しさを感じる暇もなかった。
最後にちゃんと気持ちを整理しておきたくて、モテアマスでの一年間を記録に残したくてこのnoteを書いている。
本当はここに書くべきかギリギリまで悩んだのだけど、爆破フェスで「モテアマスでの遺恨を昇華するお焚き上げ」を企画した自分が遺恨を残したままでは終われないと思って、今の正直な気持ちを記そうと思う。
アバジャン入居拒否事件
モテアマスが一年後になくなり、中心メンバーが新拠点を探すなか、上馬に物件が見つかった。
「モテアマスがなくなったらアバジャンに行くの?」
という会話が日常的に行われており、私も当然上馬に移るものだと思っていた。
……が、入居を拒否されることになる。
理由は、経済的な事情。
私は当時経済的に非常に困窮しており、区の支援制度を利用してなんとか家賃を支払っている状態だった。
納得できず、直接理由を聞いた。
「信頼しているから教えて欲しいんだけど、私がアバジャンに行けないのは、私がテイカーだったり人間性に問題があるからってこと?」
「……まあ、それもある」
どこまでが本当の理由かはわからないけれど、冷蔵庫の中身を食べるだけ食べて補充しなかったり、テイクをしてばかりだといつか受け入れてもらえなくなるという話をされた。
めちゃくちゃ衝撃を受けた。
私はたしかに体調を崩しがちで迷惑をかけてしまうことも多かったけど、自分に出来る範囲でやっていたつもりだった。
最初は衝撃、次に怒り、じわじわと恥ずかしさと情けなさ、そして今までたくさんのギブを当たり前だと思って受け止めていたことに対する感謝と申し訳なさが込み上げてきた。
モテアマス入居当初の話
少し話を戻すと、私が入居した2023年9月頃のモテアマスは、今ほどギバーやテイカーという概念が浸透していなかった。
冷蔵庫の中身は勝手に食べられる。食器は積み上がっている。机の上は汚い。
そんな汚さに最初は度肝を抜かれつつも、私は順応していった。
「私、朝起きてお茶を入れるような丁寧な暮らしがしたいんだ」
ソファに横になって携帯を弄りながら、同じくソファでごろごろしていたアキくんに私は言った。
そういえばアキくん、今もう18時だけど、朝からその体勢じゃなかったっけ。
「無理無理。3日も風呂に入ってないような女には無理や!」
「まだ2日だよ!!」
そんなやりとりが心地良かった。ここでは誰もちゃんとしていないから、ちゃんとしなければいけないと思う必要はない。
冷蔵庫には腐った野菜や賞味期限切れの調味料が積み上がっていたけど、それも私は嫌いじゃなかった。
当時ブラック企業を退職したばかりで社会に疲れ果てていた私は、とにかく放っておいて欲しかったのだ。
気が向いた時に洗い物をした。朝は比較的元気だったので、前日の飲み会で放置された缶をひとりで掃除した。
ギブしているという感覚は全くなかった。
だってモテアマスという場所で出ている以上、そのゴミを捨てることは自分の出したゴミを捨てるのとなにも変わりはないのだから。
同じ理論で、自分の洗い物は放置してしまうことが多かった。
やれる時にやればいい。
総合して家事をしているのであればそれでいいだろう。
そう言い訳をし、私が放置した洗い物をやってくれる人の存在を気にとめることがなかった。
モテアマスへの新しい風
上馬にアバジャンができた頃、中心メンバーがごっそり抜け、モテアマスは目に見えて荒れだした。
汚いとか、物が散らばっているとか、そういう訳では無い。
汚いのは元々なんだけど、人が減ったことで活気がなくなった。
洗い物の溜まったキッチンを見て「汚い!」という人が居なくなった。
そんな折、モテアマスに新しい風が吹くことになる。
ギャラ弟子、しょうごさん(そーすけさん)の入居だった。
しょうごさんは「一日一善」と銘打って、積極的に洗い物をしたりご飯を分け与えてくれた。
少し前のモテアマスには、料理をする時は勝手に食べられることを見越して多めに作る文化はあれど、あえて「これ食べて!」と言うようなことはなかった。
なんとなく空気が変わってきているのを感じた私は、しょうごさんを真似して自分からギブをしてみることにした。
グッドニートハウスでの生活
9月、グッドニートハウスで1ヶ月暮らすことになる。
モテアマスでの教訓を生かし、初日から家の掃除をし、ご飯を作って自分で自分の歓迎会を開いた。
振舞ったハンバーグとチーズケーキが功を奏したのか、グッドニートハウスの住人たちには快く受け入れて貰えた。
新しい人と仲良くなるのに、なにかギブをするというのはとても性に合っていた。
毎日キッチンの掃除をしているうちにキッチンの物の在処に詳しくなったし、クリームソーダを作って遊びに来た人に出しているうちに、クリームソーダ&しゃぼん玉ショーを開催することにもなった。
私がこんなふうに人に与えられるのは、モテアマスや今までの人生でたくさんの人から受け取ってきたからだ。
これからは与えてもらうばかりではなく、返していこう。テイカーではなくギバーになろう。
そんな風に決めた。
モテアマス爆破まで
モテアマスに帰ってきて、最後に今まで与えてもらった恩を返そうと、なるべくギブをするように心がけた。
ご飯は基本的に多めに作って爆破準備住人に分け与え、参加していない飲み会の片付けをし、noteの更新役に立候補した。
ちょうど、アドベントカレンダーでギバーやテイカーというキーワードが頻発し、色々な人が自分なりのギブとテイクについての考えを形にしている段階だった。
モテアマスでギブをする日々を続けるが、五島にいた時と違って心が満たされなかった。
今考えるとそれも当然で、なにかをすることが「好きな人に喜んでもらいたい」ではなく「ギブをしないとここに居てはいけない」という動機に変わっていたからだ。
頭の中で損得を計算するうちに、受け取ることが怖くなった。
せっかく友達がご飯を作ってくれても、嬉しい気持ちの端っこには常に申し訳ないという気持ちがあった。
市長との会話
友人のシェアハウスに遊びに行った日、市長と散歩しながら帰った。
どういう会話をしたかはあんまり覚えていないけど、こんなことを伝えた気がする。
「私はなにもしない時から市長のことが好きだったよ。市長は最初からずっと、相手にちゃんとしていることを求めなかった。だから私は市長の前では気を張らないでいられた。
今、市長がみんなのために料理をして、それで市長が楽しいなら私も嬉しいけど、だからといってそれが理由で市長への気持ちが変わることは無いよ」
他の人にどう思われてるかは知らないけど、私はそのままの市長が好きだった。
私に影響されてみんなのために料理をするようになってくれた市長も好きだけど、別に料理をしなくても道案内を私に任せきりでも、市長が市長でいてくれたらそれでよかった。
そしてその言葉は、私自身がだれかにずっと言って欲しかったのかもしれない。
だれもが誰かにとってのテイカーだし、ギバーでもある。
ありのまま生きているだけで、喜んでくれる人や場所は探せば絶対にある。
それでも生きていくためには、料理や洗い物、ゴミ捨て、お金の計算、地道な作業が必要になる。
そういう地味で面倒な作業をやってくれる人がいるからこそ、自分のことで悩んだり泣いたり笑ったりできるんだと思う。
私が今日まで、帰る家があって、ご飯が食べられて、温かい布団で眠ることができたのは、助けてくれる人達がいたからだった。
ご飯を分け与えてくれたかなこさん、洗い物をしてくれたはやてさん、くだらない話をして笑ったアキくん、エクレアを三人で分けてくれたげんとさん、ただ話を聞いてくれたたつきさん、ちやほやしてくれたおしげさん、歌を歌ってくれたエパさん、タルトを作ってくれたどりちゃん、モテアマスに連れてきてくれたかとちゃん、たくさんの美味しいものを教えてくれたささみさん、仕事を紹介してくれたみょん太郎、いつも見守っていてくれたぞのさん、車でずっと手を握ってくれていたかおるさん、五島に導いてくれたコバさん、
そしてなにも無かった私を住まわせてくれたカズキタさん、
モテアマスという居場所で、ただの私でいさせてくれてありがとうございました。
この場所にいられたことを胸に、
自分はたしかに伝説のシェアハウスモテアマス三軒茶屋の一員だったと誇りを持って生きていきます。
どうかお元気で。
また会ったら、今度は私のご飯を食べてください。
最後に告知です
2024年10月26日、ついにモテアマス三軒茶屋爆破フェスが決行されました。
サイレントフェスや伝説のすた丼など、盛りだくさんのコンテンツを詰め込んだ爆破フェスは、大量の来場者ですし詰め状態になり、三茶のインドを体現するカオスを極めたフェスになりました。
しかしここで皆さんにお願いがあります!!
爆破クラファンは100人を超える方々に支援していただいたものの、爆破フェスを豪華にやりすぎたせいで絶賛大赤字を記録しています。
黒字になるまでクラファンは続行します!!
新しいリターンも用意しているので、ぜひ引き続きご支援をお願いいたします。
🔗 クラファンリンク: