大家から見たモテアマス解剖学 ポール
こんにちは。
ポールと呼ばれています。
皆さんがこの記事を読んでいる二日後には、モテアマスは概念になってることでしょう。あるいは、すでに概念になった後かもしれません。
僕自身、モテアマスって無くなるんだ、となかなか実感がなかったのですが、最後の爆破フェスで楽しそうなみんなを見ながら、「ああ、こうやって年に一度、集まれるのはこれが最後なんだなあ」と思って、寂しくなりました。
僕は自己紹介で「大家です」と言ってますが、それはチヤホヤされたいためだけの自称で、実際は、借りているだけの立場です。
寛大な所有者さんからは、貸していただきありがたい限りです。
それと同時に退去後に所有者さんに何て言われるか、シンプルに心配で、震えてます。
今日は、そんな概念上大家から見た、モテアマスの出来事を羅列していきます。大いに主観が入った記事になってますので、その点、ご了承の上、お読みください。
第0章 カズキタさん武田さんとの出会い
僕とカズキタさんとの出会いは、新潟のゲストハウス五ろりでした。
確か、2014年の年末とかだったと思います。
胎内にある、古民家を改装したゲストハウスで、僕は一泊していました。
その時にたまたま一緒に泊まっていたのが、カズキタさんと武田さん「白雲楼道中膝栗毛」ご一行の皆さんでした。
ここで、武田さんのことを補足しておくと、武田さんは、カズキタさんとモテアマスを始めた
3人のうちの1人です。
初対面のカズキタさんたちの印象は、「1人話出したら、ずっと同じことを復唱している怖い集団」でした。
「それって、〇〇じゃん」
「〇〇」「〇〇」「〇〇」「〇〇」
って感じでした。
例えば
「なんか、ポールだね」と1人が言い始めると、
「ポールじゃん」「ポールだ」「ポールっぽい」
みたいな感じ。
完全に場の空気を持っていかれます。
後日、カズキタさんが言ってたんですが、
「ゲストハウスに複数人で行くと、本来マイノリティーな旅人なのに、ゲストハウス内ではマジョリティーになることができて、旅先でもホーム感出る」
まさにそんな感じでした。
正直ゲストハウスというより、カズキタさんや武田さんと言った、栗毛の皆さんのイメージがめちゃくちゃ強かったです。
ちなみに、僕は年を越すその瞬間まで、ずっと栗毛の皆さんが持ってきたスーファミをやってました。コンボイの何たら。
で、非常に濃い年末年始を過ごしたのですが、その時、僕のあだ名はポールになりました。
多分、巻いてたマフラーがポールスミスだったかなんかなんですが、誰に聞いてもなぜポールになったか覚えてません。
その時に、facebookを交換したことが今日に至ります。
その年、偶然イベントやらなんやらで、何度かお会いし、
「そいえば、シェアハウスをやりたいんすよ」
とご相談をもらいました。
第1章 物件を借りる
物件をいくつか紹介し、実際に観に行きました。
確か、山手線の北の方の駅で、六部屋くらいの一戸建てでした。
その物件は、暖炉があったり、シャンデリアがあったりしたんですが、なかなかの魔改造っぷりで、
「うーん、まあ、こんな物件もあるよね」
くらいで、契約には進みませんでした。
その間、僕は起業し、全く仕事がなかったんですが、お手伝いしている不動産会社さんから
「今運営しているシェアハウスを手伝ってほしい」
ということで、女性専用のシェアハウスのトラブルの対応や入居者募集を行うこととなりました。
起業し、2年目の時に、僕の本業でメディアにいくつか取り上げられ、その時にお会いした大家さんに
「シェアハウスやってたよね。三軒茶屋に社員寮があるんだけど、使い方を考えてくれない?」
と言われ、物件を見に行くことに。
立地も大きさも申し分ないのですが、もともと事務所のような内装で、
この広さをこのまま使うのはやや自信がなく、イベント的に
「この物件の活用案のワークショップをやりましょう」
と声をかけ、20人くらいの人に集まってもらい、みんなから活用案を出してもらいました。
子ども食堂やドローンレース場、シングルマザー向けシェアハウスなどいろんなアイディアが出ました。
イベント自体は
「楽しかったー」
と言ってもらえたのですが、皆さん、どこか他人事、唯一
「ここ住みながら運営したい」
と言ってくれたのが、カズキタさんでした。
何なら、次に会った時には既にカズキタさんは、今の住まいの退去連絡してました。
そのまま、三茶の飲み屋で、三軒茶屋15LDKの物件を借りることを決めました。
その時のメンバーが、カズキタさん、武田さん、そして僕でした。
第2章 入居率30%時代
一年目は、当然ながら、入居率はめちゃくちゃ低かったです。
入居率が低いと、まあシンプルにお金が困りました。
クリスマス、家に帰ったら、何にもないリビングに、ピザ箱が置いてあり、中には二枚、ピザが入ってて、
「よかったらどうぞ」
とのこと。そのポツンとリビングの真ん中に置かれてる感を、今だと想像できないですよね。
モテアマスで一番さみしいクリスマスでした。
同時に、夜遅くに帰ってきてもパーティーの名残のあるのは、今と変わりませんね。
その頃、カズキタさんと僕の間では、なかなか意見が合うことはありませんでした。
お互い大人なので、感情的に喧嘩することは少なかったですが、意見の食い違いは大きく、衝突もありました。
カズキタさんとしては、何もない家に人を呼ぶのは難しいから、投資して人を呼び込みたいと考えてました。
僕としては、入居率の低い物件に、一度にたくさんお金をかけても、住むか分からないし、イベントやったり人が泊まったりしても、それって僕自身には一銭も入らない(もちろんカズキタさんにも入らない)のにやって意味あるのかな、と思ってました。
そういった意見の食い違いから、アプローチが異なるため、喧嘩することもありました。
カズキタさんとの衝突を繰り返す中で、お互いの意見の落とし所が見えてきて、僕自身お金をかけるべきところには、かけよう、とだんだん思えるようになりました。
これからシェアハウスを運営したい・始めたいと思っている人には、
・お金をかけるべきところにかける
・お金をかけるべきところは、自分1人で決めず、管理人の話、住民の話をよく聞く
・経済的にお金をかけることが難しい場合は、いつならかけられそうか聞く
・衝突を恐れず、共同運営者とは腹を割って素直に話す
ということをお勧めします。
また、入居率が低い時に、一番の問題は、
「女性にどうやって入ってもらうか」
ということでした。
既に、男性が3名入居している物件で、そこに住もうとする入居者を探すのはなかなかの至難の業でした。
最初の女性住民を確保するため、武田さんに早急に一人暮らしをやめてもらい、おしゃれな家具をリビングに置いてもらうことにしました。
また、「今の家、維持したままでいいから」と、無料で女性に住んでもらったこともありましたし、
「引越し、手伝うから住もう」と勧誘したこともありました。(結構うまく行きました。カズキタさんと僕は、2人で、ファミリーサイズの冷蔵庫を階段で運び、死ぬかと思いました。)
人間やればできるもので、ノリのいい女性がどんどん入居してくれたので、自然と家が盛り上がってきました。
女性がいるといい、男性がいるといい、という話ではなく、どちらもいることでコミュニティは盛り上がりやすくなるなあと思います。
第3章 三茶のクレイジーハウス「モテアマス」爆誕
最初の一年目の入居者を集めるべく、(カズキタさんが)飲み会をたくさんやってました。
20代前半の給料では、こんなに居酒屋で飲んだら絶対、お金持たないよな、と思うのですが、宅飲みだと安いし、時間も気にしなくていいし、メンバーが最高なら、宅飲みほど楽しいものはないよな、と思います。
最初の盛り上がりができるまで、カズキタさんや武田さんがどんどんイベントや飲み会をやってました。
そんな飲み会をやっていると、遊びに来てくれた人たちが
「そいえば、三茶のクレイジーハウスって、今、空いてる?住みたい」
と言ってくれ、入居者が徐々に増えていきました。
また、入居者が新しい入居者を呼び、どんどん盛り上がっていきました。
ポータルサイトや不動産会社を使わず、口コミだけで入居率が100%になる不動産ってほとんどないじゃないですか。
満室までは10ヶ月かかりましたが、口コミだけで入居率が上がったのは、コミュニティとして、とてもいいものになりました。
「シェアハウスを運営したい、コミュニティを作りたい」
と思っている人は、見せかけの賑わいや入居率を目指すのではなく、最終的なコミュニティの姿を想像するのがいいと思います。
盛り上がっているシェアハウスは、入居の目的が「ここに居たい」になっていることが多いです。
「どこでもいい」「立地がよかったから」「安価だったから」ではなく、純粋に運営している人や場所のファンになってくれる人が増えることが、シェアハウスの盛り上がる大きな要素だと思っています。
と、偉そうなことを言ってる僕ですが、当時は迷走してまして、入居者に
「入居希望者がいるので、面談してください」
と言われたものの、どうしていいか分からず、圧迫面接をしてしまい、後日
「あの時の空気は地獄でした」
と住民に言われました。マジでよく入居したな。
で、入居者が、徐々に集まり始めたタイミングで、カズキタさんがいきなり
「シェアハウスの名前、モテアマスにしようと思う」
って言われました。
正直、僕は当時
「えー、ダサくないですか」
ってリアクションをしたと思います。
「住所に書くの恥ずかしいっす」
でも、今になって、本当にいい名前だったな、と思います。
シェアハウスの名前が変な名前だと、面白がって呼んでくれる人がいますし、また、SNSのエゴサも簡単です。
変な名前にするの、おすすめです。
第4章 エリートサラリーマン&東大生時代
モテアマスの入居率は、10ヶ月で、満室となりましたが、住んでた住民は、東大生4人いましたし、エリートサラリーマン5人いました。当時の住民が16人でしたので、4人に1人は東大生、3人に1人はエリートサラリーマンでした。
収入的にシェアハウスじゃなくてもよかった人たちなんですが、「ここがいい」と言ってくれた人たちでした。
会社で「え、シェアハウスなんかに住んでるの?」って言われてたそうです。
そうだよね。
この頃、住民の属性が似ていたため、なかなかに同質性の高いコミュニティでした。シェアハウスの中での摩擦はあまりありませんでした。
僕自身は、全く問題なくて、「みんな家賃の支払いが早くて助かるなあ」と思ってました。
カズキタさんが連れてくる人は、今に至るまで、本当にいろんな方が多いので、リビングでイベントをやってると「あの人は変な人だよね」って言ってることも多かったです。(僕自身も言ってました。)
住民から
「イベントをやってるとリビングに出てきにくい」
と言われることもありました。
シェアハウスはリビングでイベントをやることが多いため、住民とイベントで来る人のバランスってすごく難しくて、大家の僕としては、住民にお金をもらってるし、なるべく住民の負の感情は取り除きたいし、カズキタさんが面白い人を連れてくる流れは止めたくないな、と。
カズキタさんが面白いことはしたいと思う気持ちは応援したいけど、住民にも住んでほしい、ダブルバインド。この辺りはすごく悩んでました。
悩んでました、と言いつつ、元AV女優の女性が来た時なんかは、僕は、鼻の下を伸ばして、リビングにずっといました。
多分、モテアマスにタイプの女の子が来たときの僕は、ずっとリビングにいたと思います。すみません。
面白い人、変な人、というのは、正直、評価するその人の感性、感じ方次第で、どう捉えることもできます。
この辺りは、シェアハウスを運営する上では、入居希望者を呼ぶ際に、イベントについて、ある程度言語化できていれば、もう少し摩擦は減るんですが、それでもやっぱり住んでいる人と遊びに来る人の摩擦を完全にゼロにすることは難しいと思います。
でも、摩擦を恐れず、「この家は、こういう風にしていく」と表明していくことは大事だと思います。
入居者が変われば、家の雰囲気は変わりますし、シェアハウスの運営の中で、重視することは変わっていきます。
また、当時のモテアマスには、イベントをやる、というのは入居者募集の目的もありましたし、既に入居していた入居者もイベントがきっかけで入居していたので、「イベントをやってるとリビング行きにくい」という意見には必ずしも、同意するのは難しかったです。
僕から見たカズキタさんは、「こうしたい」と決めると衝突を恐れず、進めるタイプでした。
僕はどちらかというと優柔不断というか、いろんな人の顔色を伺うタイプなので、どちらにも良い顔しながら、話を聞いてました。
本当、よく飲みに行って、話を聞いてました。まあ、僕がやったのは、聞くだけでした。
この頃のモテアマスでは、カズキタさんがモテアマスで目指したいことと、住民が希望することのバランスを取る難しさに直面していました。
また、僕自身は住民と歳が近く、すごく飲みに行ってたこともあり、友人である住民の話を優先するのか、カズキタさんを応援し面白いことをやっていくのか、ずっと悩んでました。
感慨深いですね。
この頃の思い出は、クラブに住民みんなで行ったことです。
僕自身、頑張ってナンパしたんですが、声が通らず、全く相手にされませんでした。
また、東大生とお好み焼き食べに行った時、僕は広島出身なのに、僕だけ上手くお好み焼きを作れなかったのですが、
「なんでそんなに上手くひっくり返せるの?」と聞くと
「うーん、学歴ですかね」と返されたことが印象的でした。
感慨深いですね。
第5章 フリーランス爆増時代
エリートサラリーマンや東大生が多かった頃から、徐々に、フリーランスの入居者の割合が増えてきました。
きっかけは、シェアハウス内にドミトリーの部屋を作ったことで、シェアハウスの家賃を安くすることができたことです。
「安くしよう」
と決めていたわけではなく、カズキタさんが
「この人にどうしても住んでほしい。なんとか家賃を下げる方法はないか」
と考え、ドミトリーにすることになりました。
で、フリーランスが増えると、面白いことに会社員も、仕事を辞め、フリーランスになってたりします。
会社にずっといると、出会えない人の働き方を見ることで、
「意外と自分もこの生き方ができるかも」
と思えるんですよね。
モテアマスに来て、キャリアを自由に選択する人が増えた、自由なキャリアになった人が多いと思います。
また、カズキタさんは積極的に仕事を振っていたので、「そのお金で家賃支払えています」という住民が出始めたのも、この頃ですね。
僕自身は、家賃さえ入っていればいいので、審査もしませんし、申込書ももらいません。
なんなら家族の情報とかも知らないので、夜逃げされたら終わりですね。
余談ながら、家賃については、期日までに間に合わない場合、言ってもらえたら待つようにしてます。
僕自身もお金で困った経験、多いんですが、家賃って生活費の中での割合がかなり大きいんですよね。
お金困ったから、家賃払えず、そのまま家まで失うと余計に貧困は加速しますしね。
最終的に、3年くらい滞納分を払い続けた方がいましたが、無事最後の家賃もお支払いいただきました。
逆に、家賃が遅れることを言わない場合は、めちゃくちゃキレる様にしてます。ネチネチいいます。
だって、言いにくいとしても、言わなきゃいけなければ、信頼を失うのは本人。
期日までに支払いができる、謝罪ができる、嫌な報告ができる、はできるようになってほしい。
急な出費で、支払いができない、ということに関しては目を瞑るので、他二つは頑張ろう、と伝えていました。
仕事ができる様になれば、家賃も滞納しなくなるしね。
その頃のモテアマスの思い出は、ネットワークビジネスな皆様がリビングで8人くらいきてホームパーティをやってたことがありまして。
最初は、ネットワークビジネスだと思わず、普段通りのホームパーティだと思ってたんですが、なんかやたら、まな板やら包丁やら浄水器やらスポンジやらを持参していて、備品を使う度褒めてるんですよね。
「この包丁切りやすい」「まな板いい感じ」「やっぱこの浄水器で作ると違うわー」「めっちゃ汚れ落ちる、このスポンジ」
とかですね。
「なに言ってんだ、自分で持ってきたんだから、使いやすいのとか当たり前だろ」
って思ってたんですが、ネットワークビジネスを宣伝するためだったんだろうな、と今ならわかります。
で料理も出来上がりパーティが始まり数十分後に、帰ってきた陽気な住民が、まな板や包丁に書いてあるブランド名を読み
「えー!!なにこれー!!!ア⚪︎ウェイじゃん!!!!あの、ねずみ講でやばいところでしょー!!!!やばー!!!!」
住民のテンションはめちゃくちゃ高かったんですが、対照的にリビングの空気は凍り、テンションの高い住民は困惑しました。
間が持たなかったのか、ネットワークビジネスな皆様は、偉い方から順番にご帰宅されました。
ちょっと見てられなかったです。
第6章 部屋をモテアマスから、人をモテアマス、入居率200%時代
時間を持て余したフリーランスたちが、平日の昼間からリビングにたむろするようになりました。
それまでは、リビングに人がいることはほとんどなかったんですが、徐々に増えてきました。
その頃のモテアマスの課題は、
「泊まりに来たい人がいるけど部屋がないから泊められない」
ということでした。
お金が入ればなんでもいい僕としては、全然問題なかったです。
が、コミュニティを面白いものにしたいカズキタさんは、どうやって人を泊められるかを考え、結果生まれたのが部屋を増やすことでした。
1階の部屋3部屋を全てドミトリーにし、また、3階に奴隷部屋を作りました。
いえ、僕が作ったわけではなくて、住民が作りたい、とのことで作りました。
まず最初、小屋部屋ができました。
「小屋部屋、作りたいからお金くれ」と言われたんですが、僕は結局二段ベッドのお金しか渡しませんでした。
なぜか残りはカズキタさんが払ってました。20万くらいかかった、と記憶してます。もしかしたらもっとかかってたかもしれません。僕が払ったの、数万円でした。
カズキタさんの、コミュニティを面白くしたい、という気持ちとお金がどこから来ているのか、結局、銭ゲバな僕は最後まであまり理解できませんでした。
できた小屋部屋の評判は、かなりよく、みんな快適だ、と言ってました。
ただ一点だけ、「屋根をつけた関係で、エアコンが全く効かない」と言われていました。
僕は
「部屋の中に作る小屋に屋根いらないだろ」「そもそも部屋の中に小屋ってなんだよ」
と思ってました。その後、作った住民が小屋の屋根に穴をあけ、エアコンが効くようにしてました。
次に、小屋部屋のクオリティーを見た別の住民が3人部屋を作りました。
なかなかこちらも評判が良かった様です。
最後に、奴隷部屋を作ると言い始めた時は、本当に意味がわかりませんでした。
5人部屋にする、とのことでした。7平米しかないのに、無理だろ。
寝た人には、暗い、狭い、寝にくい、と言われました。知らないです。
奴隷は我慢しろ。
ちなみに、ドミトリーでエアコンが消えてるのは見たことありませんでした。
水道光熱費が心配な僕は、ちょこちょこ部屋に入ってはエアコン消してましたり注意していたりしてましたが、次第に諦めました。
また、モテアマスは外へも拡張しました。
駐車場に、モバイルハウスを置いたり、テント住民が生まれたのもこの辺りです。
モバイルハウスは、軽トラックの荷台に、住居ユニットを作る移動式の家です。
風呂やトイレなどの水回りはないので、それは家のものを使います。
最大4台のモバイルハウスを配置してました。
僕自身も作ったんですが、すごく夢がありますね。
僕のモバイルハウスはめっちゃ乾燥します。
ちなみに、テント住民は、アスファルトの上にテント引いて寝てました。
テントだから家賃を安くしてほしい、とのことでした。僕は、「まあ、お金もらえるからいいか」と思ってました。
テントは、夏は暑いし、冬は寒いです。
モバイルハウスが来て場所がなくなってからは、モバイルハウスの上に乗せてたりもしました。
僕のモバイルハウスの上に乗ってましたが、登り降りで、めっちゃ揺れ、それで起きます。
また、テント住民は、最初こそテントにいましたが、夏や冬の寒暖差からか、アスファルトの硬さからか、雨の日のしんどさからか、その後リビングのソファで寝て、普通にドミトリーで寝てましたので、ドミトリーの料金をもらうようになりました。
部屋が増え、モテアマスが拡張し始めたので、再び、いろんな人が泊まりに来るようになりました。
第7章 場所のシェアから時間のシェア
カズキタさんがいろんなゲストハウスに泊まるからか、はたまた、フリーランスになった住民がいろんなところに移住したからか、日本全国から遊びに来る人がいました。
その中には、「東京に週10日来るので、モテアマスに住めないか」という話があり、二拠点住民が爆誕しました。
この頃、泊まりに来ている人は増えたんですが、
「気づけばあの人、いつもいない?」
みたいな人がいたことから、
「ポールさん、住民じゃないのに、おかしくないですか」
と言われることもしばしばありました。
僕としては、家賃もほしいし、住民のストレスも溜めないようにしたいなと思ってまして、
僕がマウント取って泊まりに来る人に「おい、家賃はらえ」って言ってました。
住民に言われた、というのもありましたが、僕自身、家賃払わずにいる人が気になってましたしね。
が、僕があんまり言うと、住民も言うようになっちゃったので、この辺りは、塩梅が難しかったです。
最後の方は言わなくなりました。
まあ、この宿泊者と住民の関係性の話は、モテアマスの最初から、終わりまで、ずっとありました。
カズキタさんは「そもそも住民のみんなも、入居前に泊まりに来てたから、もっと寛容になったら良いのにね」と言ってまして、僕もその通りだと思います。
あまりにもリスペクトのない人は、帰ってもらう様にしてます。銭ゲバな僕としては、住民、大事だからね。
そんな中、二拠点住民というふわっとした立ち位置ができたのは良かったと思います。
月十日だけ泊まりたい、それ以外の日、その部屋は、別の人でも使える、という仕組みですね。
二拠点住民は、お金が入るようになるので僕も、住民も、何より常に空いているベッドが増え、モテアマスが盛り上げたいカズキタさんも良かったと思います。
まあ、二拠点住民は、100%埋まることはなくて、すべての年月で平均した稼働率としては50%くらいでした(高い時は100%超えてました)し、ベッドの調整はいつも大変でした。シェアハウスを運営している人の中で、「お金が増えるから二拠点住民を増やしたら良い」という方には僕はお勧めしません。むしろ、個室として家賃をしっかりもらってる方が管理も楽、お金も変動なく入ってくると思います。
ドミトリーの住民の中には、鍵をかけ二拠点住民を入れないようにしてる人もいました。
途端に泊まれるところがなくなったり、その人が二拠点住民や同居人にマウントをとってしまうこともありました。
その住民が言ってることの一部が分からなくもないのですが、モテアマスでは初期費用も退去費用もとっておらず、また、最低契約期間を決めてるわけではないので、モテアマスに住むのが嫌なら、あるいは今の居住形態が嫌なら、退去が一番いいと思っています。
何も、100%シェアハウスの運営方針に同意してほしい、というものではなく、概ね同意してもらえて、合うか合わないかは都度判断してもらう、という形にしてました。
一生住むわけではないしね。
また、あまりにも合わない場合は、退去してもらうこともありました。うちだけがシェアハウスじゃないよ。
この辺は、カズキタさんと決めてました。僕も、お金がほしい、と言いつつ、1人の入居者により、他の入居者が退去したら、元も子もないです。
そういったところから、入居前には、お試しで泊まりに来てもらうことがとても多いです。
結果合わない、となったらなったで、問題が起こらないので良かったりします。
ドミトリーの入居者同士の、相性問題から、生まれたのがコックリさんでした。
最初、ドミトリーの相部屋問題にうんざりしたカズキタさんが「部屋割りはコックリさんで決める」と言い始めた時、
「またすごいこと言い始めた」と思ったんですが、結果すごく良かったです。
と言いつつ、別のシェアハウスで真似しにくいのですが、一応、説明しときます。
毎月、コックリさん方式で、10円玉を置き、10円玉が止まるところで部屋を決めていました。
コックリさん、という霊的な力を借りて、10円玉が移動するはずなんですが、ドミトリー住民はめちゃくちゃ指に力が入っており、自分の住みたい部屋に誘導しようとしてました。
ハリーポッターの組み分け帽さながら、「〇〇部屋は嫌だ、〇〇部屋は嫌だ」という感じでした。
コックリさんでドミトリーを決めるのは、まあ、住民は大変そうなのですが、毎月コックリさんで移動するので、ドミトリーにある荷物が誰のものか分かり易いんですよね。
二拠点住民でも、結構荷物を置いている人がいるんですが、そういったものも少なくなります。
また、相部屋の人との相性も、1ヶ月だけ我慢すればいいか、と思えば、我慢できたりします。
気づけば1組、付き合い、結婚しました。コックリ婚と呼ばれてます。
第8章 天才カズキタとの付き合い方
ここまで読まれた方で、勘の鋭い方は、そろそろお気づきかもしれないんですね、
「あれ、ポールって何もしてなくない?」「ただ、ケチなだけじゃない?」
と。
そうなんですよね。
モテアマスってコミュニティ運営の天才、カズキタさんが率いてきて、僕自身は、何もしてこなかったです。
また、この記事から、僕自身の自尊心の高さというか、承認欲求の高さが透けて見えたかもしれません。
その通りです。
僕自身は、カズキタさんに運営を委ねながら、チヤホヤされたいと思っていました。
いやいや、言い訳をさせてもらうと、僕自身、前に出て頑張っていた時期もあったんですよ。
でもね、天才カズキタさんとのやり取りの中で、基本的にはカズキタさんに任せよう、と役割分担を決めました。
この章では、自尊心とプライドの高い僕が、嫉妬に塗れながら、プレイヤーとなることをやめたか、という話になります。
ですので、この章は、事業オーナーながら、天才プレイヤーを抱えてしまった人に向けて書いています。
カズキタさんが、シェアハウスを運営する中で、明確にチヤホヤされ始めたのは、モテアマスが始まって一年、フリーランスが入居し始めたあたりからでした。
もちろん、その前から、チヤホヤされていたんですが、一年経つ頃にはカズキタさんが意図して作ったいろんな施策がうまく機能し始めました。
まあ、カズキタさんは、モテアマスにお金も時間もめちゃくちゃ投資してたので、勝てないですよね。
僕自身、その頃お金がなかったですが、少し余裕のできた今だったとしても、カズキタさんと同じくらい、頑張れるか、というと無理ですね。
ただ、事業オーナーということで、僕自身、やりたいことはめちゃくちゃありまして、
「ここはこうしたい」「こうした方がいいんじゃないか」
という意見は、カズキタさんにぶつけてました。
一定、飲んでもらったこともあるんですが、最終的には、カズキタさんに委ねたことが多いです。
あくまで最終的には、ですね。
僕自身は「カズキタさんに委ねよう」と、その結論に至るまで、5,6年かかったと思います。
遊びに来る人は、「カズキタさんに会いたくてきました」という感じだし、
僕は、ずっと入り浸ってる人に向けては「いやいや、家賃払ってよ」って言ってたし、
遊びに来る人に対しては、カズキタさんは「面白いね、いいね」って言ってたし、
僕は、「いやいや、それはキモくない?」って言ってました。
カズキタさんは、現状がどんどん変化し、面白くしていきたいと思ってましたし、
僕は、今の住民が満足し住み続け、変化なくお金が入ればいいと思っていました。
やりたいことがすごく対照的だったんですよね。
モテアマスに遊びに来る人・住民の中には、正直僕のことが苦手だった人も多かったのではないでしょうか。
また、シェアハウスの細かいアプローチでも、やりたいことが変わってきました。
僕自身、モテアマスに人が集まれば集まるほど、モテアマスに執着していたのですが、その執着心とカズキタさんへの嫉妬心に気づき、一部の運営を手放すことにしました。
正確には、完全に手放すことはできなかったため、別のシェアハウスを増やすことにしました。
現在、モテアマスを含めず15棟運営するに至るのですが、他人の才能に嫉妬したり、自分の力の及ばないところに執着するよりも、一度、自分で一からシェアハウスをやってみることを始めてみました。
自分でシェアハウスをやってみて分かることは、
「絶対モテアマスに住みたい」
っていう人と
「自分はモテアマスには、住めないけど、他のシェアハウスには住めそう」
という人がいるということでした。
僕は、自分でやるシェアハウスは、正直つまんないんじゃないかな、と自信がなかったのですが、いろんな人に手伝ってもらい、ありがたいことにうまく行っているように思います。
その中でも、モテアマスで、カズキタさんがやっていたことから改めて学ぶことが多かったです。
例えば、新しい入居者が来たら、食卓を囲むこと。
一度、食卓を囲めば、住民の雰囲気が分かるし、水回りの一通りのチュートリアルが終わります。
現在は、3名の管理人と2名の共同運営者に手伝ってもらい、計16棟のシェアハウスを運営しています。
一口にシェアハウスと言っても、共同運営者や管理人により、全然違うシェアハウスになります。
執着については、もう一つ、長い間住んでいたモテアマスを完全に退去することにしました。
家にいると、いろんなことが見えすぎるというか、住民の意見を聞きすぎちゃうというか、何より、僕自身、やりたいことが色々出てくるというか。
でも、カズキタさんのことを応援したいという気持ちは僕自身の根底にありました。
なので、モテアマスを退去しました。
その後、たまにしか行かなくなったので、一部の住民からは、
「ポールはモテアマスが嫌いなんじゃないか」
と言われていました。
確かに、モテアマスではトラブルばっかりだし、大変なこともあるけど、今も昔もめちゃくちゃ好きです。
むしろ、好きすぎて、その好きな要素、いい要素を自分で潰しちゃう恐れがあったので、退去し、かつ、別のシェアハウスを立ち上げることにしました。
本当だよ、住民から誘われたら喜んで行くよ。
カズキタさんが好きでモテアマスに入居した・遊びに来た人からすれば、僕が苦手で退去する、遊びにきたくなくなる、という状況は避けたいなと思い、退去しました。
運営を始めて、5,6年経ちましたが、カズキタさんの横に立つよりは、後ろに立っていて、困ったことがあったら支える立場になることにしました。
うっかり、天才と組んでしまった事業オーナーの皆さんには、自分がプレイヤーとして活躍できる別のステージを見つけること、そして日付を決めて、第一線を降りることをお勧めしています。
第9章 コロナ禍で見えた、セーフティネットとしてのシェアハウス
自分でシェアハウスを始めて、完全に退去するまでの間で、コロナ騒動がありました。
コロナの時は、みんな大変でした。仕事がなくなってしまった人もたくさんいて、まじ生活できんの?どうすんの?という感じでした。
「実家に帰ろうかな」
そんな話もありましたし、モテアマスの住民ではありませんが、
「半年分の仕事がぶっ飛びました」
と言っていた、結婚式のカメラマンもいました。
コロナの時は、電車に乗って移動することもできない時期で、みんなどうする?という感じでしたが、モテアマスにいて、本当に良かったな、と感じました。
みんなで一緒に、飯を食べたり、夜な夜なボードゲームをしたり、外に机を出して朝ごはんを食べたりしました。
まじ、ご飯が娯楽でした。
住民同士で仕事を振り合ってました。補助金の書き方をみんなで勉強してました。
僕は当時振れる仕事がほとんどなかったので、家賃を一定期間待つことにしました。
大変な時こそ、モテアマスでよかった、と思います。
モテアマスはセーフティーネットとして機能することがよくあります。
例えば、台風により、避難勧告が出た時。
近くの木造のシェアハウス(他社運営)から、「家が飛ぶかもしれないから来ました」と言ってきている人がいたり、避難所から「つまらないのできました」っていう人もいたりしていました。
遊びに来てた人はみんな、お酒を差し入れてくれていたんですが、家の備蓄をどんどん食べていました。
酒が増え、備蓄が減りました。
「避難とは?」と思っていました。
めちゃくちゃ酔っ払った住民もいたので
「いよいよヤバい時は、この酔っ払いは置いていこう」
という話もしてました。
また、未成年が家出先として来ていたこともありました。
未成年が家出で来る、となると、一般的に誘拐の恐れもあるので、警察に届出をしたりします。
家庭環境には、色々ありますが、別の家庭や家庭の外の大人がどんな人がいるかを知れるのは、いいことじゃないでしょうか。
いい大人が楽しく暮らしていることや、感情丸出しで喧嘩していること、いろんな生き方をしていることなど、僕は大人になるまで知らなかったですが、大人になってもこんな世界があるのなら、大人になるのも悪くないと思うだろうな、と。
偉そうに言ってますが、当然のように、僕は何もしていません。
第10章 終わり
モテアマスの終わりは、大体だいたい3つの要素で決まっていました。
一つ目は、収益が出ず、運営が成り立たなくなったら
二つ目は、カズキタさんが飽きたら
最後は、契約から5年経ったら
実は、モテアマスは最初、5年契約でした。
カズキタさんとは、5年契約で話していましたが、大家さんから、もうちょっと延長していいよ、となり、いつまで延長できるのかはわからなかったですが、僕らとしてはギリギリまで運営したいと思っていました。
最後の一年は、結構ギリギリに決まりました。
なので、何かを感じ取った住民から、「そろそろ終わりなんじゃないですか」と聞かれた時には、「少なくとも半年前には伝えるから」とずっと逃げてきました。
でも、一年前に最後の年を知ることができ、住民や遊びに来てくれたみんなに、ゆとりを持って、しっかりお伝えできたのは、すごくよかったです。
モテアマスは幸いなことに今の所黒字(退去精算が怖い)、カズキタさんも最後まで楽しんでくれてたみたいで、よかったです。
モテアマスが終わる、なんて、みんな知らなかったんじゃないですかね。びっくりした?
終わる1年半前は、本当にいろんなところのいろんなものが壊れました。
エアコン、乾燥機、トイレ、などなど。
正直、もう終わるから直さなくてもいいかな、という気持ちもあったのですが、最後まで気持ち良く住んでもらいたいな、と思ったし、何より終わることを伝えられなかったので、直しました。仕方なくね。
僕自身、モテアマスに住んだことにより、昔より、ちょっとだけいろんなことが許せるようになりました。
そして、譲れない価値観もはっきりと分かるようになりました。
多分、モテアマスに住まなかったら、カズキタさんや武田さんと出会っていなかったら、モテアマスを運営していなかったら、住民1人1人に出会えていなかったら、今とは全然違う自分だったかもしれません。
モテアマスは、概念上の爆破により、なくなってしまいます。が、全国にモテアマスのDNAを受け継いだシェアハウスが誕生します。
また、モテアマスのDNAとは多少違いますが、僕自身の運営するシェアハウスにも、確実にモテアマスで学んだことが生かされています。
モテアマスで出会った人と、始めたシェアハウスもあります。
だから、大丈夫だよ、と言いたいです。
が、この間、爆破フェスを見ながら、こうやって、この場所にみんなが帰ってこられるのは、もう二度とないのだ、と思いました。
住民が、元住民が、遊びに来た人が、「ただいま」と帰ってきて、ゲラゲラ笑えるモテアマスはもう二度とないのです。
住民の足の臭いがする玄関や、入りきらない靴箱、数ヶ月に一度カビだらけのシャワー室や、寝転ぶと痒くなるソファ、外階段を無理やり内階段に改造した階段、勉強するには情報量の多すぎる勉強部屋、そして人体模型の眠る床下、張り紙だらけの昼間はほとんど陽の当たらないリビング、止まる事のないドミトリーのエアコン、食卓を支え続けるキッチン、大きい冷蔵庫があれば場所を取らないはずなのにケチっていろんなところから集めたばっかりに一人暮らし用の冷蔵庫が5台、たまに門松が貼ってある殺傷力の高いリビングの天井、大量の洗い物に流れない流し台、謎の大仏、付けると誰も切ってくれない電気代の高い外照明、1階2階の個室の各部屋は角部屋を除きすべて東よりの南向きで毎朝いい日光が入ります。
モテアマスで、めちゃくちゃたくさん笑いましたし、めちゃくちゃ怒りました。
僕のことを好きな人も苦手な人もいましたし、僕自身も好きな人、苦手な人がいました。
運営を始めた頃、僕は26歳でした。今以上にもっと未熟でしたし、迷惑をかけまくっていたと思います。思い出したくもない恥ずかしいこともあります。
それでも、たとえ、何年かで終わるとしても、たとえ、天才に対し嫉妬で狂ったとしても、たとえ、迷惑かけまくっても、また26歳に戻れるなら、モテアマスに住みたいと思います。
爆破フェスから帰る際、
「じゃあ、またどこかで」
と言ったんですが、11月からは、ここで会うことは、もう二度と無いんですよね。
「また明日」
と言って、それぞれが部屋に帰っていく、あの時間は、もう二度とこないんですよね。
はい、まあ、モテアマスも、僕の記事も、この辺で、終わります。終わりが見えなくなってきましたので。
なんか、湿っぽいですね。
また、どこかで会おうね。こんな長文をここまで、読んでくれてありがとう。ポール
あ、先週彼女と別れました。
彼女、募集中です。