『眠れる森のビヨ』考察~眠れる森という名のユートピア~
前回に引き続き『眠れる森のビヨ』についての感想を書いていきます!
ちなみに前回の記事はこちらです↓
前回は演劇部目線でたらたら関係ないことを書いていたのですが、今回はストーリーとかそっち系について!
今回こそネタバレしかないので、これからDVDとかで見ようと思っている方は読まない方がいいです!先入観どころかただのネタバレを知っちゃう形になるので…。
そして、今回は結構考察とかが多いんですけど、しがないオタクの端くれの一意見ということであたたかい目で読んでいただけたら幸いです…。
感想に行く前に森ビヨと主演を務めたBEYOOOOONDSのホームページ貼っておきます!
それでは!さっそく感想書いていこうと思います!
今回の舞台、『眠れる森のビヨ』は、結論から言えば5年間昏睡状態だったヒカルの夢の中の話って感じなんですね。
皆さんがどう考えたかは分からないんですけど、私は登場人物全てヒカルの記憶か現実問題とのリンク、として捉えています。つまり、出てくるキャラクターは基本的に本人の意思で動いているのではなく、ヒカルの記憶から生み出されているもの、またはヒカルが置かれている状況を分かりやすくするためのもの、って感じです。
今から話していくのは、現実世界では起きていないであろう内容についての私なりの解釈を書いていこうかなと思います!
ヒマリという現実世界の人間
ヒマリの存在は、結構本当に謎。わりと序盤から出てくると思うんですけど、本来ヒマリはヒカルたちより5歳年下なので、ヒマリが出てくる場面全てが現実世界では存在しないんですよね。ヒマリとは何者でどうして存在していたのでしょうか。
考えられることとしては、妹のような存在のヒマリを置いていってしまったことへの後悔や心残りがあるから。でも、にしては夢の中のヒマリは割と意思があるし、頼りない瞬間もない。だからこの説はなしですね。
次に思うのは、ヒカルの心の中に残っている現実世界で生きなきゃという意思の象徴。こっちの方がまだありかなって思うんですけど、それならもっとヒカルが演劇部にのめりこんでいくのを止める役割に行きません?脚本で悩むヒカルに発破かけるし…。ヒマリ自身の意思が強すぎるんだよな~。
こう考えてみると、あれはやっぱりヒマリ自身?と思いたいところだけど、ラストシーンではヒマリは夢のことは全く知らない様子。んんん…。
自分的に一番優勢な考え方は、ヒマリという存在を現実世界の橋渡しであること、これこそがヒカル自身が夢から覚めることへの意思の強さを表しているという説。現実世界でヒカルにとって思い入れの強い相手を置くことで、ヒマリが発する一つ一つの発言も夢の中のヒカルにとってとても大きな意味を持ち、強い影響力を持つ。ヒマリが発破をかけてくれたのはもしかしたら昔のヒマリに言われたことがあるのかもしれない。それか夢の中だからこそ、誰かにそう言ってほしかったというヒカルの理想が詰まっているか。…って感じで結論になっていますかね?伝わっていますかね?
夢の中のヒカルが見る夢
ヒカルは夢の中でもしっかり夢を見ています。
冒頭見ている夢は、町の人が凍ったように動かなくて、ヒカルや劇部のみんなも固まってしまう。それを一人悲しそうにヒマリが見ているという夢。
これは、まあまさに今のヒカルの昏睡状態を表している状態ですね。まるでいばら姫のようにヒカルの生きる町だけは時が止まっていて、5年経った今も夢の中に居続けている。ヒカルの町の外を生きるヒマリは固まったままのヒカルを見て、早く起きてと悲しい顔で今日も願う。この後の話の展開にも通じる夢ですね。
ヒマリに話している夢の内容は、凍えそうなぐらい寒い空間の中で、少し離れたところでヒマリは眠っていて、起こそうとしたらいきなり目の前に壁が現われて、その後に大きな音がして…、っていう内容でしたね。あれ、どういう意味を表しているんでしょうかね。ドーンドーンって頭の中で響いていて、最後にドカーンってものすごい地響きが…って話している時にヒマリはどんどん表情が曇っていくし。
私の中の推論ではヒマリを現実の橋渡し役としているため、ヒマリが寒いところで眠っていて起きなかった、起こそうとしたら壁が出てきて起こせなかった、という流れは、その時点でのヒカルの現実世界への現状の理解度を表しているのでは?って思っています。壁が現われるあたり、まだまだ現実世界の記憶を思い出すのはずいぶん遠いみたいですね。凍えるほど寒いのは、氷河期的な表し方で、それだけ今のヒカルにとっての現実世界は遠い過去という感じなのでは?
物語のラストでもヒカルは夢の話をします。いつものように演劇部の仲間と楽しく笑顔で過ごしているけど、これは夢だと分かっているため1人涙が止まらなかったという夢。既に現実世界に戻っているヒカルは、あの楽しかった演劇部としての日々が永遠ではないともう気づいています。大人になりましたね~。にしても、夢見ている時にこれ夢だ!って気づけるのすごいですよね。私今まででこれは夢だな!って思えたことないんですよね~。
ツムギ大暴走
いやいや。夢の中なのにこいつめっちゃ意思持って動くじゃん!なんなんこいつ!!!って初めて見た時は思いました笑。
暴走のスタートは、舞台装置ぶっ壊しね。いや、同じ演劇部員として自分や部員がめちゃくちゃ頑張って作った舞台装置をぶっ壊したツムギは嫌いです笑。どんな理由があったとしても信じられない行為。ノゾミからしっかり何かしら制裁を受けてください笑。
その後、大会に行くことを引き留めるヒマリに急な攻撃。え、ツムギ、お前は暗黒の妖精なん???急に魔法使うじゃん。え?…まあそこは夢の世界ですからね。ご愛嬌ってことで。
からのヒカルがここは現実ではないと気づくのをめちゃくちゃ引き留めだすのもツムギなんですが。言ってしまえば、舞台装置ぶっ壊した理由を尋ねるのがこの流れの始めなのでしょうがないと言えばしょうがないですが。
ヒカルは、ツムギが舞台装置をぶっ壊した理由を"ヒカルとこの世界の結びつきを強めるため"って言っていましたね。それが本当だとしたら、ツムギから見るとヒカルがこの世界から消えてしまいそうだと気づいていたということになります。
が、最初にもお伝えした通り、ツムギ自身がそう考えて動いたとは私は考えません。夢はあくまでも夢だと思っているので。
そうだとしたら、この一連の暴走にはどういう意味があるのか。
それは、ヒカル自身がこの夢の中に居続けたい葛藤なのでは?ってことです。
この夢の中はいわばヒカルにとってのユートピアです。毎日演劇部の子たちと全国大会出場を目指して汗水たらして切磋琢磨に努力する。ヒカルにとって生きてきた17年間で一番楽しかった日々なのでしょう。"永遠に続けばいいのに"とヒカル自身が感じていて、終わりを予感しつつも終わってほしくないと強く願っているんですよね。その願いが叶い、ヒカルは今永遠にあの時楽しかった日々をまた繰り返しています。それはヒカルが起きない限り永遠に続くでしょう。
こんな居心地良い場所、そう簡単に離れたくないと思うのが人間じゃないですか?だって、ヒカルが気づきさえしなければ永遠にユートピアにいられるんですよ?そりゃあ葛藤しますよ。
徐々にこれが現実ではなく夢だと気づくけれども、ここにいたいと葛藤しているのも事実。それを表しているのが演劇部の中でも一番仲が良かったツムギがこの1連の暴走をすることです。それだけ葛藤が大きいんです。
夢にしがみつく崋山高校演劇部員
現実に戻ろう、ヒマリの元へ帰ろうと決めるヒカルに対してバキバキに自我を持って迫ってくる部員のみんな。いや~、ここのシーンめっちゃ恐怖ですよね。
「私たちが傷つかないとでも?」
「死んでしまった私たちとはもう一生会えないんだよ?」
「この手を取って?ヒカル君」
…怖いよ!!!そしてずるいよ!!!そんなこと言われたらヒカル急に悪者みたいに仕立て上げるじゃん!と思いながら見ていたんですよね笑。
とは言いながら、あのシーンも実際に夢子やノゾミが言っていたのではないという考えの下考察していきましょう。
結論から言うとあれも葛藤ですよね。さっきのツムギとのシーンとの違いとしては、今回の葛藤は現実に戻るか夢の中に居続けるかではなく、劇部のみんなを置いて戻ることへの葛藤だと考えています。
ブロック大会へ行くバスの中で事故に遭い、自分以外の部員はその事故で全員命を落としました。彼ら彼女らと会って話せるのはもうこの夢の中だけ。現実に戻ったらみんなの死を受け入れながら1人生きていくことになります。自分だけが運良く助かって良かったのだろうか。みんなと一緒に死んだ方が楽なのではないか。現実に戻ったヒカルにはこの考えは一生付きまとうことになるでしょう。
また、部員の子たちが言っていた言葉、全てがヒカルが思っている言葉なのでしょう。だからこそ、ヒカルは葛藤するのです。自分だけが生き残った世界に生きる価値はあるのだろうか、と。
恐らくその価値を作ってくれたのがヒマリの存在なのかなと思います。彼女が悲しむ姿を見たくないとヒカルは現実に戻る決意をするんですね。そのヒマリが"5歳年下の小学生のヒマリ"なのか"高校2年生のヒマリ"なのかは分かりませんが、ヒカルが悲しみしか存在しない世界に生きることを喜んでくれる存在がいることはとても大きな意味を持つのだと思います。
このバスは僕たちをどこに連れていくのか
「君たちは僕をどこへ連れていくの…?」とツムギに問うヒカルは自身で「自分を殺してこの世界にいつまでもいさせようとしているの?」という答えを出します。
ツムギの反応からして答えは否って感じでしたが、じゃあどこに向かうんでしょうか。
私の考えですが、夢は自分の経験や見聞きしたことしか映さないと思っています。つまり直接的にでも間接的にでも体験しないことには夢は見れません。だから、どれだけ素敵な話でも自分が望むラストに向かうとは限りません。
そう考えると、おそらくこの夢の中で全国大会に行くことはできないでしょう。だって間接的にでも"演劇部の全国大会"を体験するのって難しくないですか?正直ブロック大会さえも夢では見れてないんじゃないですかね?
それかブロック大会や全国大会にさくっと勝って終わるか。体験していない以上ブロック大会や全国大会での経過を細かく描写することはできませんが、地区大会、県大会と勝ち進んでいる記憶はきっちりあるので、勝ったという事実だけは感じることはできるかもしれませんね。
そして、全国大会に行こうが行けまいが、その先はもう未知ですよね。山上部長や浜田先輩が引退した記憶はないわけですし。
そうすると、この夢はまたこの舞台の冒頭に戻るのではないですかね?2年生の演劇内容決定の会議らへんまで。それこそまさしくヒカルのユートピアは永遠に続くわけです。
あのバスは永遠のユートピアに連れていくのかもしれませんね。
題名やビジュアルについて
あのキービジュアル。あれどういう意味なんですかね???
ヒマリだけベッドで寝ています。しかもこの衣装は現実世界のヒマリが演劇部で着る衣装でしょう。でもヒマリってむしろ今回の舞台の中で唯一起きている存在ですよね。んんんどゆこと???
そこでタイトルに戻りましょう。この舞台のタイトル『眠れる森のビヨ』の意味。単純に眠れる森の美女のオマージュで~す…ではないですよね。
恐らく、この"眠れる森"とはヒカル自身のこと。ヒカルという眠れる森の中で生きているのは崋山高校演劇部のみんなです。そして、"演劇部に所属しているヒマリ"はこの眠れる森には唯一現れない登場人物です。
そのヒマリが目を覚ますことは、眠れる森の魔法が解けることを指します。つまり、ヒカルが目を覚まして現実世界に戻ること。
だから、あのキービジュアル自体が既にヒカルの眠り続けてユートピアにいる状態を表現しているのでは?っていうのが私の中の結論です。そう考えるとみんなが劇の中の衣装を着ているのもうなずけませんか?
いや~、長々と書きましたね。途中で主張おかしくなってない?って部分もありそうで怖いけど見直すのも長すぎてめんどくさい!またいつか修正します笑。
後、これ書いて思ったけど、感想っていうより考察では?って感じの内容でしたね笑。
しかも本来はGW中に出そうと思っていたのに気づけばGWも過ぎ去ってしまいました。もう書くのやめようかなとか思ったりもしたんですけど、結構GW中に書いていたこともあり、書ききっちゃいました笑。書くと言いながら書かずに終わることも多い私がちゃんと書いたのめっちゃすごい(自画自賛する内容じゃない笑)。
最後まで読んでくださりありがとうございました!!!