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神戸マラソンを走って
昨年、神戸マラソンに友達2人と参加しました。
人生初のフルマラソン。無事全員完走しました。
思ったことを書き残しておきます。
良かったこと
①沿道からの声援
月並みな感想ではありますが、
沿道の皆さんから沢山のパワーをいただきました。
練習では、10km走り終えただけでも
「当日あとこれ3セットもするんかい…」
と息も絶え絶え
「今日の活動はこれで終了とする!」
と言い放ち、大の字になって家で寝てしまいたくなるぐらい疲れ果てていました。
マラソン当日は20km走っても
「まだまだ行けるなぁ!」
という感覚!ずーっと応援していただいているので心のHPは満タン!
なるほど、たしかにこれだけの人が参加するわけだ、と得心しました。
(その直後から膝に未曽有の激痛が襲来し、歩みを止めますが…)
大人になると誰かから声を出して応援してもらうことは皆無に等しいです。それをスタートからゴールまで数時間にわたって浴び続ける。自分の想像以上の力が出せるのも当然。
「やっぱり応援には力があるんだな。」
少し前まで野球とソフトボールを通じて感じていたことを別のスポーツで体感すると、少し新鮮な気持ちとともに自分のパーツがまた一つカチッとはまったような気がしました。
走らなくても声援を受けられる機会があってもいいなと、マラソンを終えた今では、ぼんやりと思います。
②よく見える沿道の人々
視覚的にもたくさんの力をもらいました。
神戸の街というよりも人。
色んな人がいるなぁ、と思っていたら折り返し地点に着いていました。
随所に現れる黄色い服を着たボランティアの方々、
運営のお仕事をしていた高校の先生、
神戸のタレント、ターザン山下さん、
なぜか恐竜の被り物を被っていたマダムたち、
セレッソ大阪の応援を叫ぶヴィッセル神戸サポーター、
お孫さんのネームプレートを掲げるおばあちゃん、
まるでミラコスタかのようにマンションの上から手を振る女性、
走らなければ見えなかった人の姿がそこにはありました。
来られないと言っていた伯母も応援に駆けつけてくれました。私が高校時代に一筆したためた団扇を持っていたのですぐに気づくことができました。夏の大会で応援に来てくださった方全員に差し上げる団扇。その団扇には「必勝」の2文字が、あの頃のまま記されていました。あんまり市民ランナーに勝ち負けの感覚はないのに。「超越」とかにしておけばよかった、と走りながら思いました。
③食べ物のありがたみ
空腹は最高の調味料とはよく言ったもので、身体がエネルギーを欲している時に食べたものは心に残ります。
道中、友達のお母さんがバナナを1本ずつ差し入れしてくれました。バナナを受け取ったのは舞子駅を通り過ぎてすぐのあたり。折り返しの直前で、3人それぞれ言葉にせずとも疲労の影がちらつき始めた頃でした。バナナを食べると、ほうれん草を食べたポパイさながら、はたまた仙豆を食べた悟空さながら、みるみるうちに身体が元気を取り戻すのが分かりました。バナナに対する敬意と想像以上に疲弊していた自分の身体への不安を抱きつつ、左手にバナナの皮を持って折り返したことを覚えています。
苅藻あたりの給水所で飲んだ冷え切っていないRedBull、
ランナー受付時に購入した味の濃すぎるAMINO SAURUS gel、
走り終えてから支給された普通のゆで卵とチーズ、
これらも疲れ切った身体を癒し、思い出として深く刻まれました。
朝、母に渡されたアンリのフィナンシェは、喉が砂漠になることが自明だったので42.195kmを共にしました。フィナンシェと共にマラソンを走ることもこの先はないだろうと思います。
しんどかったこと
・みんな疲れる
フルマラソンのデメリットを挙げるとすると、この一点に尽きます。
走者の自分が疲れることは言わずもがな、前述した沿道の人々も心なしか疲れていたように見えました。
若宮橋を超えたあたり、30km近辺からが勝負でした。
アグロガーデンを過ぎたあたりで、その日3度目となる恐竜マダムたちの応援を受けます。誰よりも目立つ格好から、周りよりも元気な声が聞こえます。ただ、心なしか午前中よりも元気がないような…
わずかながら声色に疲労が纏わりついているというか、なんとなく口数が少なくなっているというか。走り過ぎた数秒の出来事なので偶々だったのかもと今は思いますが、
「なんかみんな疲れてね?」
という思いが頭の中を一瞬で支配します。
そこからの高松通は本当に地獄でした。
倒れて足を伸ばし続ける人、苦悶の表情を浮かべて膝に手をつく人、それらを横目に見続けながら200m歩いては800m走るを繰り返しました。地獄絵図の一部にこんな場面があったような気がする、と本気で思いました。
ノエビアスタジアムの付近が疲労のピークだったように思います。
ヴィッセル神戸の本拠地とあって沿道にはサポーターの一団。ユニフォームを着たランナーを発見すると、そのチームの応援歌を大声で歌いあげます。この声援も疲労がピークに達していたためか、どこか投げやりなものに聞こえてしまう。
「自分たちが騒ぎたいだけでは?」
「サッカーファン以外の人には厳しい五月蠅さ…」
などとネガティブに捉えてしまいました。申し訳ない。
応援の形は人それぞれ。応援したいとその場にいてくれるだけでいいのに。身体と心が繋がっているということを痛感した出来事でした。
このようにマラソンは長丁場。どれだけ声援から元気を得られるとしても、応援する人も疲れてしまうので、どこかでどうしようもなくしんどい時間がやってきます。正直、生きる中で味わう必要もないしんどさだと個人的には思います。先に挙げた3点の良かったことをちょうど相殺するしんどさでした。
さいごに
今回KOBEマラソンに参加したのは、親友であるI氏からの誘いがあったから。めちゃくちゃ疲れると分かっているのにフルマラソンを走るのはどういいう了見かと思いつつも、フルマラソン未経験の自分が批判するのはフェアではないという予てからのモヤモヤを解消する機会を与えてくれたことに感謝しています。結論からして、良いことも多いがやっぱりしんどいので、フルマラソンをおススメもできなければ強く批判もできないどっちつかずな位置に帰着しました。この文章がフルマラソンを走る人に届いて、走るかどうか決める助けになれば幸いです。