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#20 怪しいバイトはじめました【オキシトシなんとか】

青年期⑩

「ある日ですね、とある人物から連絡があったんです。例のブラックバイトをやっていた時の先輩です」

――本当に続けているし。仕方ないですね。で、その方は何の要件だったのですか? 半グレ店長絡みですか?

「いえ、どちらかというとその先輩も店長には恨みつらみはあった側だと思います。彼は要領良く立ち回っていたので被害はあまり被っていませんでしたが」

――では、何の用で?

「稼ぎの良いバイトがあるのでやらないかと」

――うわぁ、明らかに怪しい。

「そんなことないとは言い切れないのが悲しいです。その先輩、仮に岡田さんとしますね、彼は関西からプロミュージシャンを目指して上京してきていた方なんですが、たまにバイトを紹介してくれていたんです。謎のツテで。まぁ大体怪しいバイトでしたけどね」

――怪しいんですか?

「怪しくて胡散臭いんです。それもですね、まずは私にやらせて安全そうだったら自分でもやるんですよ、あの人。ちゃっかりしているんです。でも、実入りはかなり良かったので都合が合えば紹介してもらっていました」

――受ける七篠さんも大概です。紹介された仕事の内容を幾つか教えていただけますか?

「守秘義務もあるので……」

――言える範囲で構いません。

「分かりました。一つは治験のバイトです。新薬のお試し版実験台みたいな感じでしょうか」

――それは危なくはないのでしょうか?

「全く危険が無いわけでは無いでしょうね。そのための高額報酬ですし。ですが、既に動物での実験を経てきているわけですから過度に心配はしなかったです。今だと少し悩むかもしれませんが」

――少しではなく大いに悩みましょう。

「まぁ多分大丈夫です。事前に二十〜三十ページに及ぶ資料を渡されて説明もありましたしね」

――その内容を言える範囲でお願いします。

「ちょうど〝インフォームドコンセント〟の概念が日本に根付き始めた頃ですので、かなり気合が入った詳細な説明資料でした。具体的には、実験の趣旨、薬の効果、実験の手法の詳細、プラセボ効果についての説明、個人情報の取り扱いに、困った時の相談窓口までびっちり書いてありました。まぁ読んでいたのは私くらいですけどね」

――そうなのですか?

「ええ、周りの被験者は常連ばかりだったみたいで、書類の最後のページにサインだけして放り投げていました」

――豪胆というか何というか。

「慣れって怖いですね」

――ちなみに、プラセボというのは?

「服用者が信じていれば、たとえ薬が偽物でもある程度の効果が出てしまうという一種の思い込み効果です。それで、その思い込みによる効果を回避するため、服用者は自分が飲むのが本当に薬なのかどうかは一切知らされないんです。もしかしたら私が飲んでいたのは小麦粉だったりしたのかもしれませんね。ちなみに、配る方も知らされていないそうです」

――それは非常に興味深いですね。

「ですよね。私も興味本位で参加しちゃいました。でも、良くある短期の治験はそこまで実入りが良いものではなかったですね。採血の注射怖いですし。個人的には現場に出る方が遥かにマシですね。長期のやつなら話はまた変わってくるのかもしれませんけどね」

――ちなみに、治験にはどれくらいの回数参加したのですか?

「日本では二回です」

――日本では、ですね。分かりました。それについては、また後でお聞きします。他にはどのような仕事をされましたか?

「変わり種ですと、アパートやマンションに住むバイトです」

――住む? それだけですか? そんな仕事があるのですか?

「はい、それだけです。勿論家賃は掛からず、それどころか逆にお金が貰えます。……住むのは人が亡くなった物件ですが」

――後半の部分とっても大事ですよね? そんなにサラッと言わないでください。それ都市伝説とかで有名な事故物件のやつですよね? 実在したのですか……?

「勿論しますよ。人は死にますし」

――その仕事はどうやって見つけられたのですか?

「岡田さんによると、新聞の求人広告で見つけたそうです。『賃貸等の市場価格調査』という名目で募集されていたと言っていました。それで妙に賃金が高かったので応募したとか」

――なるほど。それにしても、そもそも何故そのような仕事が存在するのでしょうか?

「マネーロンダリングならぬ、ルームロンダリングのためです」

――詳しくお願いします。

「例えばですね、ある部屋で誰かが老衰で亡くなってしまったとします。松延さんはその部屋に住みますか?」

――嫌ですね。

「何故ですか? 殺人や自殺では無いですよ? というか、そもそもこの日本で人が死んでいない場所なんて果たして存在するのかって話ですよ。飢餓に、災害に、戦争もありましたし」

――そうですけど……そうなんですけど、なんか嫌です。

「ですよね。それを世間では心理的瑕疵と呼びます。そして、その心理的瑕疵には告知義務があります。契約の際に『前の人は亡くなりました』と告知しなければなりません。告知を怠って、かつそれが借主にバレた場合、貸主は大変なことになります。損害賠償とか」

――借りる側としてはありがたい義務ですけどね。ちなみに、その告知義務はどのくらいの期間有効なのですか?

「分かりません。三年で十分という意見もあれば、二十年は必要だなんて意見もありますし。明確には定まっていないそうです」

――そうですか。でも、そうなると借り手が見つかりませんよね。不動産屋さんや大家さんは困っちゃいま……あ。

「そうですね。そのために、このバイトが成立するんです。ルームロンダリングです。誰かが亡くなった部屋に、例えば私が住みます。そして、私が引っ越しして、次の方が入居します。すると、間に私というクッションを挟んだことで告知義務が消失します」

――なんですか、それ。そんなのアリですか?

「どうなんでしょうね。少しズルいかもですね。でも、そうでもしないとその物件は一生使えないですよ。都市部の土地なんて限られていますし、仕方ないのでは?」

――それは一理あるけど、でも……。

「まぁまぁ。一昔前の話ですから。今はそんなバイト無いと思いますよ。企業のコンプライアンスも厳しくなっていますし、バイトまで雇って、騙す気満々で悪意を持って隠していたなんてバレたら大変なことになります。それに間に人を挟んだとはいえ、周辺住民が口を滑らせれば即バレますし。だったら、最初から告知事項を伝えておいた方がトータルのダメージは少ないです」

――なるほど。

「それに人を雇って住まわせるのもお金がかかりますしね。私なら、社員や親戚を住まわせるか、何なら名義だけ借りて住まわせたことにします。はは」

――……。

「いや、冗談ですって。そもそも、もうこんな仕事成り立たないですから。今や、ネット上には、事故物件開示サイトがありますし。どこのアパートで人死にがあったかなんて一目瞭然です。昔なら管理会社が変われば分からなくなったりしていたそうですが、今ならすぐバレます」

――では、もう存在しないと?

「する意味がないです。『事故物件だから割引するよ』というケースは勿論今でも存在するでしょうが、住むだけで一方的に賃金をもらえる仕事なんてもう成り立ちません。インターネットが普及して間もなかった当時だからこそ成り立っていた仕事だと言えると思います。高度に情報化された現代においてはまず無理でしょう」

――分かりました。……でも、私はやっぱり人の亡くなった部屋は嫌です。怖いです。

「そうですね。みんなそうでしょう。でも、家賃が半額だったら?」

――……そ、それでも嫌です。

「一瞬悩みましたね。ふふ。でも、そういうことです。半額なら住みたいって人は山ほど居ます。何を優先するかは人それぞれですから。それもこのバイトが廃れた理由の一つでしょうね」

――理解できました。ところで、住むと言っても具体的には何をするのですか? 期間とかは?

「私が最初に住んでいたところはレポートを書かされていました。岡田さんの所では、特に何も無かったそうです。それどころか、住む必要すら無く、名義貸しだけ行っていたそうです。期間に関しては、基本的に三ヶ月でしたね。それ以上住むことは無かったです」

――物件や、その管理者によって違いがあるのかもしれませんね。

「そうですね」

――ちなみに、どのような部屋に住みました?

「結構良い部屋が多かったです。良いマンションの上の方の階だとか、プールがある部屋だとか、エレベータで玄関直通でワンフロア占有できる部屋だとか。広すぎて落ち着きませんでしたよ。まぁそれくらい高い部屋でもないと、バイトを雇って安くない賃金を払うのは割に合わないでしょうけどね」

――羨ましいような、そうでもないような。そういえば、今までお住まいのアパートはどうされていたのですか? 解約しましたか?

「いえ、契約したままです」

――何故ですか? 片方は家賃がかからないとは言え、二重生活は経済的にも負担が大きいのでは?

「そうですね。確かに引き払った方が良かったでしょうね。ただ、メインの拠点としてどうしても残しておきたかったんです。先程、松延さんには意地悪を言いましたが、私自身も正直人死にがあった物件に住むのは怖かったですから」

――そうなのですか?

「はい。ですので、事故物件の部屋に行くのは昼間だけでした」

――行って何をしていたのですか?

「何も無い部屋で受験勉強をしていました。それで、夜には元の部屋に帰って寝る生活です」

――居住実態が無いと看做されて問題にならなかったですか? 

「いえ、全くですね。居なくてもバレないと思います。雇い主も四六時中監視するわけにもいきませんし。というか、むしろ住まない方が部屋が汚れませんから、退去時のクリーニングの手間も省けて却って良かったのではと思っています」

――なるほど。雇い主にとっては、誰かが住んだという〝履歴〟があれば問題無いということですね。

「そうです。事実ではなく、履歴です」

――では、何故わざわざ日常的に通っていたのですか?

「理由は二つあります。一つは捗るからです。とにかく何も無い部屋なので嫌が上にも勉強が捗るんです」

――それで、学習室代わりに使っていたと?

「そうなります。意識を切り替えられるので集中できました」

――もう一つの理由は?

「私がなんだかんだで真面目な人物だからです」

――……は?

「いや、本当なんです。名義貸しだけでお金を貰うのは悪いかなって。それで、出来るだけ人目に付くような時間帯に訪れて、周囲の方に積極的に挨拶して、部屋と周囲を軽く清掃していました。ほら、部屋って住む人がいないとどんどん傷むって旅好きの俳人の方も言っていたじゃないですか」

――律儀ですね。周囲へのアピールは、事故物件に対するイメージの払拭や、居住実態を主張するためでしょうか?

「まぁそんな感じです。毎回ちゃんと小綺麗な格好で行っていました」

――なるほど。真面目というよりは小細工に余念がないというか、抜け目ないというか。

「もう少し他の言い方ありませんでした?」

――小賢しい?

「……もういいです。続きをどうぞ」

――そのアルバイトはどのくらい続けていましたか?

「一年半くらいです。楽だし、稼げるしで、本当に助かりました。このバイトのおかげで経済的に大幅に余裕が出て、勉学に励む時間を捻出できました」

――彼女さんにはそのバイトのことは?

「言っていませんでした。何かをしていたことはバレていたとは思いますけどね。『来る時はできれば前日、遅くても一時間前に言ってほしい』と伝えていましたし」

――怪しすぎませんか? 私なら浮気に違いないと勘ぐります。

「はは、そう言われてみれば確かに怪しいですね。それで言えば、ある日、家に帰ったら『掃除しておいたよ』って部屋中片されていたのは、それこそ何かの痕跡を探していたのかもしれませんね」

――かもではなく、十中八九それです。間違いないです。

「それは何かサプライズでも仕込んでおくべきでしたね、反省です」

――それらのアルバイト以上のサプライズはそうそうありません。

「そうですか。では、もう一つのバイトについて語ったら卒倒してしまうかもしれませんね」

――まだあるのですか?

「はい。ある意味で人生の転機になった仕事でした」

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