母の愛を思い知るがいい!(お局看護師の独り言)
おはようございます。お局です。
突然ですが、あなたが働く理由とはなんでしょう。私の働く理由というのは子どもたちを育てるため、その一点に尽きます。
二人の息子を育てるうえで、必要なのがお金です。
世の中金だよ、金!!なんて極端なことはいいませんが金銭的な余裕は精神の安寧をもたらします。
なので、子どもを育てているからこそ、できるだけお金のいい夜勤ばっかりしています。
私自身は、独身時代に掃除が嫌い過ぎてミニマリストになっていった過去があります。今も掃除は嫌いですが。20歳くらいの頃、物がないことで掃除が楽になる!ということに気が付いてからはあっという間に自分の物に執着しなくなりました。
なので、自分にお金をかけることはあまりないです。強いて自分にかかっているものと言えば、食べ物や酒代、たまの旅行ですね。
美容院もめったにいきません。割と自分で切ります。
持っている服は夏場はTシャツ3枚、冬場はパーカーやトレーナー3枚程度です。多分、私のことを実際に知る人は、こいついっつも同じ格好してんな、とお気付きのことと存じます。その通りです、いつも同じ格好しています。
ズボンは最近3枚のうち2枚が破れたので、足りなくなったので息子のズボンをはいています。気が付かれたら怒られます。
が、息子も気が付いたら私の服を着ていたりします。似たもの親子です。
基礎化粧品はワセリンです。お風呂上りも寝る前も朝起きてもワセリン塗りたくります。仕事場にワセリンのでかいやつおいてます。
同僚にロッカーから出し入れしているのを見られて、病院の物を横領していると勘違いされかけました。ちゃんと自分で薬局で買ってます。レシートを残しておくべきだと学びました。
子どもにもワセリン塗ってます。子どもの肌はいつもつるつるぷるぷるです。うらやましいです。ぷにぷにしたくなる頬っぺたですよね。
つんつんするとやめて、って真顔で言われますのでめちゃくちゃやりたいんですけど、やめます。触っていいよ、って寄ってきた時は思う存分むにむにします。
そんなぷにぷに肌を目指して自分の顔面に塗りたくっているのを職場で見られて笑われました。うそでしょ、だそうです。けど、正直保湿なんてワセリン一択で十分なのです。
まあ、心も肌も敏感なので他になにか入っているものを使うと肌があれる時があるっていうのもありますが。とても繊細な乙女なんですのよ、おほほ。
男性にもおすすめですよ、ワセリン、一つどうですか。肌変わりますよ。
あとは日焼け止めを塗って、すっぴんでどこへでも行きます。
それが旅行であろうと、大事な場であろうと、化粧品は持っていきません。人の結婚式とかに出席するときは美容院で髪型と一緒に顔面も作ってもらいます。突貫工事です。
といった感じで、化粧品ほぼ持っていません。
買って数年経ってもなくならないので、病院に寄付したりしてます。某ブランド物とかも一点豪華主義!みたいに思ってた時は買ったりしましたが、持ってても使わないものは宝の持ち腐れですし。持ってないものは旅行に持っていきようがないですね。
友人や家族にはどんびかれます。一番ドン引きしていたのが私の姉妹です。同じ親から産まれたはずの姉妹なのに、遺伝子的には親よりも近いはずのこの存在なのに、この違いはなんなのでしょう。
姉妹と自分が似ても似つかないのが私が血液型占いとかを信じない理由です。
え?すっぴん?いつも?デートも?すっぴん??マジで?すっぴん最強とかFF5やん、っていう感想をいただいたりもします。世代がばれます。
あ、わたしの素顔が美人とかそういうわけではないです。すっぴんっていうことでドン引きされて振られた過去もまあまああります。
ちゃんとしている人が好き、だそうです。悲しかったです。
汗っかきな上にお化粧下手くそなまま進化しなかったので、化粧しても途中でどろどろになるのでしない方がましなだけです。ちゃんとしたつもりでもちゃんとできませんでした。
自分で言っといてとても悲しい過去が思い起こされました。けど、いいんです。今が楽しいので。過去があるから今があるのです。
そんなわけで、一人で暮らすならパート看護師でもいいくらいなんですよ。BeRealな話、一人であれば生活費は計算したら月15万くらいです。
まあ、そんなことは置いといて。
え?だからといって夜勤なんてずっとしていたら働きすぎて子どもとの触れ合いタイムが少ないんじゃないかって?
正直、一緒にいる時間は少ないと思います。
子どもが一緒にいてくれるのは今しかないんだよ、とかあっという間に大きくなって、一緒にいてくれなくなるよ。
そう忠告してくれる人たちもいます。ご忠告ありがとうございます。
けど、じゃあ、そうやっていう方々に息子たちを養育するお金を出してもらえるのかと言えばそうではないですよね。自分で頑張って稼ぎます。
養育費?父親の影がない?何の話ですか?って感じですが、子どもはすくすく育っています。
それこそ、子どもが小さいうちなど一瞬だなあと思います。母親にとって、子育てするうえで父親が必要な時も本当に一瞬です。
子どもが産まれる時、妊娠出産期って女性が人生で一番弱る時なんですよね。他の大人の手が、支えが、必要になる時って本当にこの時なんですよ。
その時、人生の数年くらい、全力で母になる女性を支えてほしいと思いますね。母は子どもに時間も体力も思考も全て使うので、父になる人は母と子どもに同じようにもてる全力を使ってほしいと思います。
わたしは「家事を手伝うよ」という言葉にぶちぎれたことがあります。違う、なんで手伝うやねん。お前も主体的にやらんかい、と。
これ、夫婦喧嘩あるあるですよね。根が深い問題ですね。
どうせ、そんな全力を使わなければならないのは数年だけです。その数年、たった数年でその後の人生何十年の妻からの評価が変わります。
全力で家庭にフルレバでロングすれば必ず大きな報酬があります。その時に不倫とか借金とか家庭から逃げるとか、そういうフルレバショートしてしまえば大きな損失がその時には目に見えなくても数年、数十年後に現れてしまいます。
別に強制もしませんけどね。その時その時に楽しいことをする!っていうのが人生の信条の方もいますから。
ただ「お前は俺たちのようにはなるなー!」というお局の独り言です。
子どもたちには親の確執を見せたくないので、わたしは争うくらいなら金で解決できることは解決したらええやん派です。
心穏やかに過ごす時間を買っているのです。わざわざ争いの場に相手を引っ張りだして泥沼の争いを見せるつもりはないです。
あ、別に相手に優しいわけではないですよ。父親としての自覚がない相手にそれを気が付かせてあげる優しさなど持ち合わせてないってだけです。
だからと言って、子どもたちを会わせない!などいうこともなく、子どもたち、特に下の子は自由に父親に会い、自由に行き来をしています。
こどもたちがすくすくと育つ。これに一番大事なのは、親の余裕、知識、経験だと私は思っています。
私の夫だった人たちは、父親としてできなかったこともある人達ですが、子どもたちにとっては唯一無二の父親です。
父親ですら子どものために心の余裕が持てる環境でいられるのであれば、私が自分がお金を稼ぐのは別に問題ないと思ってますし、子どもたちにとって害のない親であれば普通にしたらいい、と思います。
身体、精神的に害のある人、虐待する!であれば会わせない、という選択肢も選びますが、そういうわけではないので私は別れた夫たちに会う子どもたちの自由を尊重しますし、それができるためには夫たちとは別れたとしてもできるだけ良好な関係を築いておくべきだ、と持論として思います。
まあ、今養育費など払っていない、金銭的には明らかに私よりも得している状態の彼らに言いたいのは
「私に対しては別にどうでもいいが、子どもたちにとっては規範たれ、逆に害があるようであれば容赦せんぞ、覚悟しとけ」です。
こう伝えているのもありますが、今のところ子どもたちにとってはいい親でいてくれているみたいなので、まあ許してます。
これを私の夫だった人間が見ているのであれば、我が家の家計のために大金を投げ銭したまえよ、とは思ってますけど。
まあそれができる人ではない、というのは知ってますし、残念ですねえ、という感想を持つだけです。それ以上でもそれ以下でもないので別にやらなくてもいいです。聞いてるか!そこの元夫よ!
別に煽っても恨んでもないですよ!
むしろ、子どもたちというかわいい存在は夫の存在なくして得られるものではなかったので、ありがとうございます、感謝しています、と思っています。本当だよ!
なので、わたしは一生懸命にお仕事をするわけです。
子どものためという名の、自分のためでもあるからです。夜勤もこのまま続けられるのであれば完全にやめる時は子どもたちが巣立った後だと決めています。
巣立つのが先か、体力気力ともに自分がつぶれるのが先か。ちきちきレース開催中です。
まあ今の仕事ができなくなればどうにでも生活を再編するのでいいんですけど、正直子育てとは、お金かけないといけないところにはお金を掛けねばならぬと思います。
今回、病気になったことで、お金の余裕の大事は本当に身に沁みましたね。
まあ、そんな私が子どもを育てる上で、一番重要だと思っていることは、上でも書きましたが余裕、知識、経験です。経験が知識を作りますし、知識は経験を豊かにしますし、豊富な経験は人に余裕をもたせます。
死ぬこと以外はかすり傷って言いますよね。それっていうのは、そういういろんな出来事を経験しまくった結果、許容範囲が広くなった人の台詞ですね。
許容範囲が広いと大抵のことは許せるもんです。
世の中には知らなくてもいい世界もたくさんありますけど。
不幸なことやしんどいことなどは現実に体感しなくてもいいんです。そのための映画や小説といった媒体を通しての経験です。想像力を育てなくても、そういう世界もある、ということを知ることができるのはとても素晴らしい、いい方法だと思います。
その3つのことをベースにして更に上にあるのが、子どもは自分と同一の存在ではなく、一番近い他人である、ということを自分が忘れないことです。
子どもたちに突発的な何かがない限りは、親の方が先にくたばります。そのあと、この不条理で残酷な世界に放り出された時に自分の足で立って歩んでいける、そんな人間に育てることが子育てのゴールです。
いろんな経験や知識を積んで、思索を繰り返すことが判断力などを育てていきますよね。
学校にちゃんと行って社会のレールに乗るもよし、アウトローに生きるのもよし、なんでもいいので自分の力でどんな困難な茨の道でもなんでも切り開いていける力を持ってもらえたらいいと思います。
ドル円が154円を超え、海外からの観光客が最多となり、インバウンド需要でホテル代があがり、観光地が荒れ、いろんなことがあります。
子どもたちは私達親世代が育ってきた、かつての日本を生きるわけではないのです。
これからの未来を、自由に生きるための力と知恵を持ってほしいと思います。
けど難しいのは、子育てのゴールってわかんないことですよね。義務教育を卒業したらゴールなのかと言われたらそんな早い段階ではない気がします。
けれど中学校を卒業して職人の道に行くことに自分で決めた!っていえばそれはそれで自分のゴールが見えているわけで、自己決定権を行使する思索をできる、ということは立派な大人の第一歩でもあると思います。
その時が子育てのゴールなのか、どうなのか。自分で自分のことを決められる大人になった時点がゴールなわけですよね。けれど法律的には18歳より若ければまだ未熟だともみなされますし。
まあ、自分が中学生、高校生の時のことを考えたら、いや20代になった時のことを考えたら……否、40代になったとて未だにちゃんとした大人になった実感なんか湧かずに日々必死に生きているだけですし。
そう考えたら、子どもが自分の力で、自分の考えで決定した!と思った出来事が後々後悔を深めることになったりしたら、と親は心配しますよね。
そして、子どものその選択は本当に正しいのか?こっちが正解じゃないのか?って口を出したくなるのが親ですね。
日々悩んで子育てしてます。
私みたいなのが親ですまんと思う日もあれば、私が親でよかったな!?と自分で思う日もあります。
みんな、得意不得意があると思います。どんな人にも欠点もあれば利点もあるはずです。家事ができなくても、仕事ができなくても。
自分も、人も、傷つけることさえしなければいいと思います。
親からの愛情は無償ではなく、愛情が無償なのは子どもから親に向けたものっていうのを実感してます。どんな時も全力の感情やわがままをぶつけてくれる相手っていうのは子どもしかないですね。
というわけで、今日もわたしはふすまや床にボールペンで楽しそうにお絵描きをしている保育園児をぬるい顔をして眺めています。
この出来事一つとっても、ふすまに書いちゃダメでしょ!って怒るという選択肢もあれば、すごい!創造性や芸術が爆発しているよ!自由な発想万歳!って褒める方法もありますよね。
私のとるべき方法は一体どれなのでしょうか、と悩みながら今も床や壁に広がる芸術をそのまま眺めています。
怒るのは簡単です。褒めるのも簡単です。叱るのも諭すのもやればできます。ここ書くところじゃないんだよ、こっちだよ、と言うだけです。
難しいのは一貫した態度をとることですし、けれど人間とはぶれぶれな生き物であると覚えてもらうことも大事だし、けど矛盾したことばっかり言ってても子どもは混乱するだろうし、いろんな可能性に思いをはせながら、私はふすまを眺めています。
一つ、思い出話があります。
わたしには今、中学生の上の子がいます。
今から10年以上前のことです。息子が産まれてから生後半年が経った時、自分への誕生日プレゼント、としてなけなしのお金からLouis Vuittonのエピの真っ白のお財布を買いました。
引きこもりだった私が電車に乗り、心斎橋のLouis Vuittonのお店まで行って、赤子を連れてぼろぼろな恰好をしている私に優しかった店員さんと相談して買いました。
それまではノーブランドの誰かからもらった、ぼろぼろのそれこそマジックテープだよ!っていうお財布を使ってまして。行ったお店がディ〇ールとかだったら追い返されてたかもです。
お財布がぼろぼろだと貧乏神に好かれるよ、と人から聞き、子どもが産まれるような大人になったんだから長持ちするいいやつを、長年使っても飽きないデザインで、自分がとても気に入るやつを。
そう考えてお店まで行って選んだものです。
子どもが産まれて半年、友人も家族も誰もいない大阪という土地に嫁いで出産したものの、ほとんど帰ってこない夫には子育ての話もできず、一人引きこもっていた時期のことで、その財布を買うことで自分を鼓舞したかったのかもしれないです。
実際、そのお財布を買ってからは人生が変わっていったと思います。
こんな大金使ったのなら自分で働かねば、そう思って仕事を始め、いろんな人と関わっていく中で大阪という土地の良さを知っていくことになったわけですから。
というわけで、すごく気に入っていた財布なんですが、上の息子が一歳半の時のことです。
油性マジックでやられました。
保育園グッズに名前を書くため、たまたま出してあった油性マジックで真っ白だった長財布の全面に、上手にお絵描きをされてしまいました。
ひいいいいいってなりました。
めちゃくちゃショックを受けて、消す方法を探しまくって、革が多少痛むのを覚悟で色んな溶剤で消えないかと試し、全く消えず。
心斎橋のLouis Vuittonまで再び行って、有償で修理できないかと聞いてみたものの
「あー……、これ一枚皮なんで張替えできないやつなんですよね。どうしてもっておっしゃるなら……買いなおしですね……」
と本当に気の毒そうに言われ、意気消沈しました。
それでもすぐに他のものを使う気にならずに、元々は真っ白だったはずの、真っ黒い線だらけの長財布をしばらく使っていたら職場の人に
「なんかそれデザイン……じゃないんですね!ヴィトンのどんなシリーズかと思いましたよ、これ!こんなのもありちゃいます?ルイ・○○(息子の名前)っすね!ルイ・○○!これ将来息子さんが大物になったらすげープレミアつきますよ!」
と慰めのようなことを言われ「え?そう?……それはそうかもしれない、これはこれで世界で一つのヴィトンになったんやし、言われてみたらおしゃれかもしれない……?」
なんて気持ちになりまして、それからずっと、10年以上経った今も使ってるんですけども。
今となっては消そうとしなければよかったな、と思います。
幼かった息子の、書いた瞬間のこちらを振り返ってにこにこした笑顔。落書きされた長財布や木のテーブルを見て崩れ落ちた私に寄ってきて、どう?上手でしょ?とばかりにアピールする1歳半だった息子。
財布を見る度に、その時のことを思い出します。
さすがVuitton!めちゃくちゃ丈夫!っていう前情報どおり、10年以上経っても革が多少痛んでも、全然問題なく使えるどころがなんなら味が出てきて手に馴染みます。
しかし、本体が丈夫でも、書かれた油性ペンの真っ黒い記号たちはもう消えかけています。
あの幼かった息子を思い出す記号が消えていく気もして寂しい気もしますが、頭の中にはいつでも幼かった息子の姿が思い起こせます。
私の友人にお願いしていることがあります。
私が将来、認知症になって息子のことを忘れたとしても、自分で動けなくなったとしても、この財布を傍らに置いてほしいとお願いしてます。
きっと目が見えなくなっても、手触りでこの財布だと分かれば息子のことを思い出すでしょう。
というわけで、子どもが小さかった時の落書きなどはとっておくことをお勧めします。その時はうわあーとなったとしても、きっと大きくなって反抗期になった息子を前にしてもほほえましい気持ちになれると思います。
けど、賃貸の人はふすまや壁に書かれたらひいいいってなりますよね。
自分が小さい頃に兄や姉たちと壁に大きく落書きして一緒になって怒られて必死に消した覚えがあります。
それでも、怒るか怒らないか。私はできるだけ怒らないことを選択したいです。
そのうち懐かしい思い出になるだろうそれを前にして、今日も私は悩みながら子育てをしていきたいと思います。
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