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児童相談所に通報された時の話
全国の子育て中の皆様。いつもおつかれさまです。
今日は私の恥の多い人生の中でも、子どもにまつわるやらかし話をお送りいたします。
テーマはタイトル通り。今日もAIさんに表題の絵を描いてもらいました。何度かリテイクして仕上がりました。すごいリアルです。
事が起こったのは、今から数年前。長男が小学生、次男が3歳の時の出来事です。
最初に言っておきますが、私は児童相談所の活動を応援しています。
もし、私が虐待をしていたと判断されるのならば、子どもらがその時に保護されていたとしても別に反論はないです。問題があれば指摘してもらう必要があるのは間違いないのです。
考えの根底には、全ての子どもたちが、自分の力で生きていけるようになるまで等しく庇護され、憲法や子どもの権利条約に保障されている内容の通りに、安全で、健全な環境の元、健やかに育つことを願っている、というものがあります。
子どもの健やかな発達には心身ともに安心安全な環境に身をおくことが大切です。身体的、精神的、性的。虐待はどれも許されるものではないです。
これは私の考えですが、躾、甘やかす、指導、教育、子育てにおける全ての物事は虐待と表裏一体な面があります。
その子が将来困らないように、社会生活を教え、基礎的な学力、人間としての道徳、状況をみて判断ができるようになる知識や思考、などいろんなことを身に着けさせるのが教育です。
人も狼に育てられれば狼になっていくのです。人という種族に産まれたからといって勝手に人間に育つわけではないです。
かと言って、言葉がわかるなら言えばいい、わかるまで教えればいい、言葉でわからないなら現実を見せて叩き込めばいい(身体的にじゃないですよ?)といろんな方法がありますが、どんな方法であっても、その子に合ったものでないと全くお門違いな教えになります。
これは知能指数なんかが関係してくるデリケートな問題なので、本当にその子に合った方法、というものを全力で探らなければならないと思います。
子どもらにはいつも物事の本質を捉えるように考えろ、と言っていますが、それが自分にできているのか、お前は物事の本質が捉えられているのか、という自分に対する問いにもなっています。
常に善性に基づいた試行錯誤が親には求められるのだと自戒しながら、日々、子どもと禅問答のような格闘をして過ごしています。
そして、それが正しいかどうかなんて未来を見に行かないとわからないものです。そこが子育ての難しさだと思います、はい。
そんなわけで、自分たちで生活することに必死な私が寄付したりするのは、子どもに関することと、激甚災害のような場合です。
かつて若い頃は看護師になるための保育園実習にて、担当教員と園長にこのままだと再実習やで、と単騎呼び出されて激詰めされ、ぴえん🥹って言ってたくらいに子どもが苦手な方だった私です。
自分も子どもだった時期があったはずなのに、完全に未知の生き物のように見えてました。
けれど、自分に子どもができてからは、子どもが育つところを一番近くで見ていられる親という立場になれたことに、産まれてきてくれた子どもたち、そして、今から私は口が悪くなりますが、このクソ野郎!こんのmotherF〇〇Kerめ!と言いたくなるような元夫ですが、そんな相手にも子どもという存在を授けてくれてありがとうと感謝すらしているくらいです。
あいつは許さん、とは思っていますが人生いろいろあっての今なので、恨んではないです。
人を見る目がないのをぶっちゃけてますけど、過去自体に後悔はあまりないです。その分、今苦労してんやで、と言われますけど
それも、人生~、あ~あ~(悲鳴)
って言いながらも平和に生きているので及第点でしょう。
また話が逸れましたけど。
そのくらい、子どもとはなんとまあ可能性に満ち溢れた眩しい存在なのかと。ユニコーンガンダムかな、それともナウシカに出てくる婆が姫様を見て拝んでいた時かな、みたいな気持ちです。神々しく見えます。
神々しいとか言いますけど、そんな子どもたちと、めっちゃくだらない喧嘩したり言い合いも勿論したりします。
こないだはバランスボールをパソコン用の椅子にするしないで長男と結構激しめに揉めました。くだらないですね。
まあ、私一人で生きるより、子どもたち抱えてる方が遥かに苦労しているのは間違いないので、人には子どもっていいよ!なんて安易に勧めませんけども、子どもっていいものだ、なるほど己の人生をかける価値もある、と私が思うのは間違いないです。
さて、タイトルに書いた瞬間ですが、その時は突然やってきました。私の携帯電話に一本の見知らぬ番号から電話がかかってきたのです。
昨今、アメリカとか中国から詐欺電話がかかってくることがあるので、あんまり見知らぬ電話には出たりしないんですけど、その時は夜勤明けで帰って寝入ってすぐに掛かってきた電話だったのです。
着信で起こされて、なんやねん、職場か、なんかやらかしたか、またインシデントかはたまたアクシデントか?おいおい、とか思いながらどこからかかってきたかとか確認せずに出ました。
仕事明けの午前中にかかってくる電話は大体そんなやつが多いですから仕事だとしか思わなかったです。
友人には職場からの電話は着信拒否してる、という強者もいますが、私はそこまで強くなりきれなかったです。
人を騙すなら眠たい時、と身をもって知った出来事があります。
昔、判断能力が鈍っているその夜勤明けという時間にスマホの契約の見直しに行って、思考能力の限界だったのでかわいいお姉さんの言うがままにハイハイ言ってたら余計なサービスつけられまくった覚えがあります。
次の日に即サービス見直しました。それ高齢者がよくやられるやつって友達には笑われました。
まあまた話が逸れましたけど、そんな話は置いといて。
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