『シュプレヒコール〜世界が終わる前に〜』-もし、流星が降り注ぐ前夜が終わろうとしていたら?-[感想/レビュー/考察]
私の感想を書くにあたっての"姿勢"については、こちらの記事を御覧ください
『音楽の感想文を書くという変な趣味について』
どうも、Mosukyです。
大好きなUNISON SQUARE GARDEN の20周年をお祝いすべく、毎日楽曲の感想文を一人で書く企画。本日は3rdアルバムより『シュプレヒコール〜世界が終わる前に〜』について書かせていただこうとう思います。
書き始める前に、曲の聴き込みと歌詞の読み込みをしていたのですが、なかなか難しい楽曲で、どこに終着するのかわからない状態で書いています。
かなり拙い文章になってると思いますが、ぜひ最後まで読んでいただければと思います。
では、
目の当たりにした現実を
かっこよすぎる出だし。「不器用に自由を謳っている昔のロックミュージシャンに憧れつつも、彼らと同じことをやっても今は評価されない」というように受け取れる歌詞。メロディーがギターだけなのも、かなり胸を打つ演出に感じる。
田淵自身もインタビューにて、上記の歌詞について語っているのでぜひ御覧ください!
「たくさんの音楽が作られて、その中に輝くものもあるのに、世間からはあまり注目もされずに捨てられてしまう」
音楽業界に入って直面した現実を嘆きつつ、光るものがある楽曲を正当に評価して欲しいという願いのように聴こえるこのフレーズ。1番のAメロとBメロだけでも、かなり主張が強い重たいフレーズが使われていますが、サビでも引き続きそういったニュアンスの言葉が使われています。
サビ部分にて、題名にもなっている「シュプレヒコール」という単語が出てくる。その意味は、「詩や台詞(せりふ)の一節を、一定のリズム、特定の音域や強弱のもとに、集団で叫ばせる一種の朗読形式」とコトバンクに記載されています。この意味を理解したうえで「シュプレヒコールのように小波が"責め立てる"」というのは、いい意味合いで書かれていないと考えていいでしょう。
「自分が作った楽曲が、多くの人にそれとなく否定され続けて、しかもそのどれもが同じような意見だった。それに対して言い返してやりたい気持ちはあるけど、結果が出てない以上は反論したら言い訳になる。言い訳は言いたくない。」という葛藤が強く書かれた歌詞だろう。
2番でも引き続き辛い現実との葛藤を謳っており、「僕が言うべき言葉は僕しかしらないのに」という歌詞にもかなり強い意味を感じる。
「誰かに自分の意見を代弁して欲しいわけじゃない、僕が言うべき言葉は僕にしかその本意はわからない」と謳われているように感じる。歌詞を見て本質を理解したような批評をされるのはゴメンだと語るような一節。本記事の根底を揺るがすような言葉とも捉えられる。
(※私はこの記事でも言っていますが、曲の本意を汲み取ったから、このような記事を書いているわけではありません)
そして、Cメロ終わりのAメロで、作詞家の彼らしい単語が並んでいる。
一人ぼっちで混ぜた絵の具が、いつの間にか無限に世界を彩る
世界の終わりとは?
最後に、歌詞を読み続けてふと思いついた考察を
『流星前夜』
彼らUNISON SQUARE GARDENにとって欠かせない言葉であり、彼らの物語の始まりを指すような言葉
本楽曲「シュプレヒコール〜世界が終わる前に〜」で書かれている歌詞はもちろん「世界が終わる前」の話
そして、「世界が終わる」と同じ意味で使われているのが「夜が明ける」という言葉
彼らの20年間の物語は一貫して、「流星が降る前夜から始まり、今なおその前夜は続いている」のかもしれない。
そう考えると、7/24に発売されるSUB MACHINE, BEST MACHINEに収録される、世界の終わりを歌うであろう楽曲「アナザーワールドエンド」では"その前夜"が明けることが謳われるのかもしれません。
そしたら、「今夜流星が降る」や「目の前でたくさんの星が降っている」といった歌詞が見られるのかもしれない
アナザーワールドエンドもまた
「古い楽曲(レコード)」達を連れてやってくる。
なんて"妄想"をしたりしている。今日このごろ。
では、
やるなら、7/24大本命の7/25ですかね?
どーでしょ?わかりませんねw楽しみです
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