僕が望んでいた場所は、とても居心地が悪い場所でした
僕は大好きなものがあります
お酒も音楽も運動もテクノロジーも芸術もいろんなものが好きです
そんな中でも、特別好きなものがある
あえて名言はしませんが、ほんと大好きなもの
それをもっと楽しむために、僕は”そこ”に入りました
きっと、”そこ”は僕と同じように「ただ好きなものを『自由に平等に楽しく』過ごしている場所」だと思っていたからです
でも、実際は違いました
どう違ったかを言ってしまうと、不用意に誰か傷つけることになるなもしれないので明言しません
でも、”全然”違いました
“そこ”は
どこまでも不平等で
序列があって
教育や秩序があって
(ここでの教育や秩序は、「教え」や「規則」のことではない)
自分の好まない態度の奴は無視されている
そんな面白くない場所でした
そんな居心地が悪い”そこ“でも、救いがあるのは少数のちょっとした良い繋がりがあることです
そんな場所で過ごして、少し嫌気がさしていた時にふと、
自分が所属していた大学時代のサークルを思い出した
好きで入って、好きなことをただ自由に楽しくやりたかったのに
“そこ”はとてもつまらない場所で
序列と教育があって
不平等で
良い子でないと無視をされる
そんな場所でした
自分の嫌いな人、苦手な人を愛せとは言わないし、
関わりを持たないようにするのも決して悪いことではない
ただ、
自分と”関係を持った人”を傷つけるような”態度”は絶対に取ってはいけないと感じた
(あと、人の楽しみにケチつけるシャバい奴)
だから、最高学年の時に決めたことがある
「自由で、贔屓なく、全員と平等に接した上で、魅力的な人でいよう」と
ただ、好きなことを楽しくやっている自分を見て、仲良くしてくれる人を大切にしようと
嫌いだったり、苦手な奴とも少なくとも表面上だけは仲良く過ごそうと
最後の学祭の時に
先輩”達”からは相手にされなかった僕が
後輩”達”から泣きながら貰ったプレゼントを今でも大切に保管している
一番生意気だった奴が、一番長文で手紙をくれたし、仲良くやってた奴とは今でも飲みにいく
同期の仲良い奴は、今でも会えばひたすらバカな話で盛り上がれる
そんな場所になっていた
僕は大半が辞める中、今でもサークルでやっていたことを続けているし
その道の方と楽しく活動している
(その方は、僕の技の師匠で心のアニキだ)
場所とは“自分で作るもの“で
”人なくして場所は成り立たない“
だからこそ、人との良好な関係作りが、その場所の居心地を決めるんだと常々感じる
だから、みんなと平等に接しようとする精神は絶対に崩さない
でも、偉そうな奴や勘違いな奴などなどは、全員静かに関係を絶っている
(お前だよ"気取った同期"や“うざい先輩とその取り巻き”)
それくらいのことはしても許されるだろう
無理な我慢は良くないし、義理もない
その経験と精神が今の僕を作っている
だから、これからも僕は
ただただ好きなものを自由に平等に楽しくやっていこうと思った
そこが“居心地のいい場所”になるまで
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