ドトールの、ケーキセットと世界の終わり。

もう数年も前の話だけど、私はある時期、自分の「こだわりセーブポイント」としてドトールのケーキセットを設定していたことがある。

「こだわりセーブポイント」とは、見通しのたたないことや予想外の事態が苦手な私が、まさに自分の苦手そのものである混沌としたこの世界、この人生を生き抜くため、日常生活や街中に設定している、安心できる場所や習慣のことである。そのセーブポイントは、タオルを用途別に使い分ける習慣であったり、通りがかる時に必ず挨拶をする神社であったり、月一で様子を見に行かなくては落ち着かないモニュメントであったりと色々なのだが、それらは全て波立ちやすい私の心の平穏のための日常のオアシスだ。ゲームで例えるなら、マップを移動するだけでHPやMPをゴリゴリ消費してしまうキャラの私が、回復したり消耗したりせずに落ち着くことのできる、まさにセーブのためのものである。そして私は数年前まで、自身の心の平穏の大部分を、ドトールのケーキセットに預けていた。

その頃ドトールのケーキセットは、14時を過ぎればどの種類のケーキを頼んでも、飲み物とセットで一律500円だった。ケーキセット一律500円、その数字の設定のキリの良さと、どの種類を選んでも値段が変わらないという安定感は、不安定な世界で生きる、不安定な私の心に安らぎをもたらしてくれた。ドトールなら日本中わりとどこにでもあるので、すぐに立ち寄れるセーブポイントとしてもとても良かった。私は定期的にドトールに通っては「ケーキセット500円」を注文して、その時々の気分で選んだケーキを食べ、コーヒーを飲んだ。元々食べることが好きで、甘いものは特に大好きだったけれど、そのドトールのケーキセットを定期的に注文することは、けしてただ自分の嗜好を満足させるためだけの間食ではなかった。それは揺らぎやすく混沌に満ちたこの世界を生きのびるため、手掛かり足掛かりとなる楔をうつ、私にとっては大事な儀式だったのである。

だがそんなある日、悲劇が起きた。原材料費の高騰による値上げである。

その日新宿に用事のあった私は、新宿西口地下にあるドトールへ「ケーキセット500円」の注文という、いつもの儀式を執りおこなうべく足を運んだ。新宿は人が多く、街全体がザワザワしていて苦手だ。尖った神経が擦れ合うみたいな都会の喧騒は私のメンタルまでザワつかせてくる。
だから、ちょっと落ち着きたかったのだ。「こだわりセーブポイント」であるドトールに逃げ込んで、変わらない味と値段に安心したかった。ただいつも混んでいる店なので席が空いているかだけを心配していた私がその日、いつものガラスのショーケース越しにみたものは、一律500円ではなく、ケーキの種類ごとに値段が違ってくるという設定になった、変わり果てたドトールのケーキセットの姿だった。

こうして文章化するとすごーく馬鹿馬鹿しいことは百も承知なのだけど、当時の(今も)私にとってそれは由々しき事態で、あの時の衝撃と憤怒、そして恐怖は今でもまざまざと思いだせる。本当に本当にショックだった。値上がりしたことがではない。いや、値上がりだってワープア最前線な私には問題だけれども、それ以上に「ドトールのケーキセット500円」という、心の拠り所にしていたこの世界の理が崩壊したことは、私の精神に凄まじい混乱と恐慌をもたらした。なんとか店からは逃げ出したけれど、新宿駅西口の地下で、思いがけず世界の終わりに直面した私は、ドトール小田急新宿西口店の外で、地団駄ふみつつ奇声を何発かあげ、その後泣いた。

あの日、確かにそれまでの世界は一度崩壊し、私はしばらく混沌―カオスと化した世界を「ドトールのケーキセット500円」をいうセーブポイントなしで生きなくてはならなくなった。私のオアシスはトラウマと化して、その後しばらくはドトールに入店することが出来なかった。別に値上げに抗議してのボイコットではない。ドトールを見かけると、あの時のパニックがよみがえってきて胸が苦しくなってしまうからである。

この苦い経験から、私は自分の心の平穏を商品に預けることをやめた。

現在の私は「こだわりセーブポイント」を分散させ、どれか一つが駄目になっても、それで世界が終わらないように調整と工夫をしている。この移ろいゆく世の中で、簡単には変わりそうにないものを探し出すのは困難だけれど、自分の心にしっくりきて、ある程度の永遠を信用できそうなものと出会えると嬉しい。

大ベストセラーの「ハリー・ポッター」シリーズのラスボスは、自分の命を幾つかにわけて別の生き物や器に預けることで、それらを全て破壊されない限りは死なない魔法を自分にかけていたけれど、私の「こだわりセーブポイント」分散作戦も、それと似たようなものかもしれない。だとしたらこの処世術は黒魔術的なあれなのだろうか…。
だけど、魔法界掌握や世界征服などの大きな野望のためではなく、私の心穏やかな日常というささやかな希望のためには、この「こだわりセーブポイント」が必要なのだ。

私は世の中で生きていくのが苦手だ。このアテにならず見通しのたたない、アクシデントやエマージェンシーばかりの世界が大変なストレスだ。海に放たれた淡水魚のごとく、呼吸もまともにできない時がたくさんある。こんなにも苦しい世界の終わりを、どうして私はあの日、歓迎できずに地団駄をふんで怒り泣いたのかは、実はまだよくわかっていないのだけれど、それでも今のところ「生存したい」と思っているので、この世界に私のセーブポイントをせっせと増やしていってる。

ちなみに、今はもう普通にドトールを利用できるようになったけれど、「ドトールのケーキセット500円」という失われたセーブポイントを、私は今でも時々悼んでいる。どんな種類でも、どんなドリンクとの組み合わせでもワンコインというあの端正な均一さが懐かしくて、ケーキごとに値段が違う設定となってしまった不細工な今のセット料金が憎い。それでも時々新しい世界に慣れようと思ってドトールでケーキセットを注文する。ミルクレープとアメリカンとか、モンブランとカフェラテとか。普通に美味しいけれど、それはやっぱりもう私の拠り所ではなくて、注文のたびにうっすらとその事実に傷ついてしまうけれど、そうして傷つくことにもケーキセット崩壊後の世界にも少しづつ慣れていく自分も、けっきょくあてにならない世の中の一部だった。


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モスクワカヌ/mosukuwakanu
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