【月刊noo】私の枕草子「冬は無理」【2023年11月号】
《月刊noo 2023.11月号 目次》
・ごあいさつ ~はじめに~
・エッセイ:ソ連邦のおもひで「モスクワの冬」
・サバイヴ:私の枕草子「冬は無理」
・再掲BLOG:愛用していたシャンプーがボディソープだったらしいことに気づいて「君(ソープ)の名は」ってなってる。
・ごあいさつ ~おわりに~
・オマケ
ごあいさつ ~はじめに~
月刊noo、うっかり先月は更新し忘れてしまいました。
10月1日に公演の千秋楽を迎え、スタッフキャストの皆様の尽力と、大勢来てくださったお客様のおかげで気持ちは元気だったのですが、体のほうに疲れがでまして。なんだかんだひと月ほど体調がゆらゆらふわふわ。ようやく足元が定まってきた感じです。
公演は終了しましたが、私の生活と劇作は続く…というわけで、また粛々と暮らし、書いていきたいと思います。
エッセイ:ソ連邦のおもひで「モスクワの冬」
モスクワ、言われるまでもなく北国ロシア(旧ソ連邦)の首都。
もちろん、寒い。ロシアといえば、荘厳な雪景色や特徴的な毛皮の帽子を連想される人も多いと思う。
ちなみに、あの毛皮の帽子の原材料はアザラシか狐がわりとポピュラーだったのだが、何故か父がサバカ(犬)の毛皮の帽子を買ってしまい、周囲からわりとひんしゅくをかっていたと母から聞いた。
帽子は冬のロシア人の必需品で、真冬に帽子をかぶらずに外出すると、見ず知らずの地元民に注意されるほど。
寒さで脳みそが凍ると真面目に信じてる人もいたらしいが、それもさもありなんと思えるほど、冬のロシアで帽子なしはかなりのチャレンジだと思う。
私が家族と共にモスクワに住んでいた3年間で、合計3回モスクワの冬を体験したのだが、確かに日本の、それも首都圏の冬とは趣がだいぶ違った。
まず、ロシアの冬は9月くらいからうっすら始まっている。短い夏の後、ぐんぐん空気は冷えて夜が長くなり、10月くらいに初雪がふる。
その雪がどんどんつもって、11月には首都はすっかり雪景色だ。そしてロシアの冬はたっぷり半年、3月まで続く。冬の間、太陽は夕方16時には沈み、朝9時頃にようやく顔をだす。つまり、1日のうち17時間は暗い。
だけど、そんなモスクワの冬が寒くて暗くてひたすらしんどかった…という記憶は私にはあまりない。確かに日々氷点下で寒いし暗いのだが、モスクワでの冬の記憶は、雪に反射する太陽のように明るいもののほうが多いと思う。冬はボリショイバレエやサーカスのシーズンで、雪遊び、冬のダーチャ(別荘)、派手なクリスマス、花火のあがる新年などなど、長い冬の楽しみは多かったし、何よりモスクワの冬が「寒かった」という記憶が私にはあまりない。
いや、寒かったのだけど、氷点下40度になって学校が休みになったりしてたのだけど、その自然現象としての気温の低さは、心身がしんどい「寒さ」とはまた別のものなのだ。
北海道出身の人が首都圏に来て「東京のほうが寒い」と言うことがあると聞くが、その感覚は私にもわかる。確かに気温の低さは比べるべくもないが、日本の、首都圏の冬のほうが寒く感じる。色々理由はあるけれど、やはり住環境と、気温にたいする服装の意識の差が大きいと思う。
モスクワの住居は集合住宅だとだいたい全館暖房式で、壁のなかのパイプに温水を常に通すと言うセントラルヒーティングを採用しているところが多く、部屋のなかではシャツ一枚で過ごせるくらい暖かい。私がモスクワ時代住んでいた部屋はとても広かったけれど、冬場に部屋の中が寒い、という記憶があまりないし、エアコンや灯油ストーブをつかっていた覚えもない。
それに冬場に外にでる時は、子供はだいたいスキーウェアで、ガチで目のところにしか穴のあいてない帽子などを普通にかぶって登校していた。
教室には、登校した子供達がスキーウェアを脱いで干せる場所があって、教室につくとまずスキーウェアを脱いでそこにかけておくと、足元に雪が解けて水たまりが出来るのだが、学校のなかも暖かいので、帰る頃にはすっかり乾いている。
ちなみに大人も毛皮の帽子にロングコート、ロングダウンにブーツでもこもこに着ぶくれている。
気温が0度より下になれば、みんな普通にスキーウェアや目出し帽を身に着けていてそれが普通だったので、氷点下なのにジーンズとか短いダウンベストで過ごしている東京の人達の冬のほうが絶対に寒い。かといって冬の東京でスキーウェアや目出し帽でいたら悪目立ちしてしまう。
外気温にたいして圧倒的に住居や衣服の防寒が足りていないので、日本の首都圏の冬の寒さのほうが心身に厳しい気がするのだと思う。
私は日本の四季の美しさも好きだけれど(体質的に季節の変わり目に心身に負担がかかりやすいのが難儀だが)、モスクワのさっぱりと短い夏と、長くて夜の深い冬には特別な郷愁を感じる。
こうしてモスクワの冬のことを語りだすと、後から後から色々でてきてまとまらなくなってしまう。
銀白の雪景色、触れると切れそうなほど冷たい空気、鼻や口の周りがガビガビになること、日本人学校のチャイ室でだしてもらえた熱いチャイ(お茶)、軽い雪の粉、ダーチャでのソリ遊び、日本大使館でのクリスマス会、赤の広場で見た新年の花火と酔っ払い達。
そして、真冬の零下20度を超えると車も冬眠してしまうらしく、寒さで動かなくなった車(当時の市内では、ロシアの国産のラーダやチャイカという車が多かった)が街中のあちこちで放置され、その車に雪が降り積もり、小山のようになったまま春を待つ光景…。
2023年の日本の冬は、急に暑くなったりしてまだあまり冬らしさがないけれど、今冬のお供に、モスクワ時代の冬について来月も色々振り返ってみたいと思います。
サバイヴ:
私の枕草子「冬は無理」
清少納言は枕草子のなかで「冬はつとめて」と書いたが、私の枕草子では「冬は無理」である。
むりむり。寒くて日照時間短くて夜が長いとか、無理。
「冬はつとめて」の「つとめて」は早朝の意味らしいが、冬の早朝とか「寝とけ」としか思わない。清少納言、寝ときなさい。
東洋医学でも、冬は早く寝て遅く起きるのがいいらしい。
そもそも世の中には、気圧や気温の変化、季節の変わり目に弱い人がいる。
発達障がいや精神疾患をもつ人のなかには特に多いんじゃないかと思う。
外気温を感じにくいので、気温の変化にあわせた適切な衣服の選択が苦手で風邪をひきやすい、という特性由来のものもあれば、頭痛、めまい、極端な落ち込みや怠さ等、あらわれ方は違っても、体調が自然現象から影響を受けやすい。
ASDの私は変化が苦手なので季節の変わり目が毎度ストレスで、自律神経と気分の波がFXチャート並みに荒れがちだし、寒くなると体調も低空飛行だ。1日外出すると次の日は起き上がれなくなったり、フラッシュバックで過去の嫌な記憶が次々と蘇ってきて何も手につかなくなったりしがちになる。
「日本には美しい四季がある」
と、日本のいいところみたいにたまに言われるし、清少納言も枕草子にその四季おりおりの美しさを書いていたけれど、変化が苦手で気圧や天気からストレスを受けやすく、外気温を感じにくく衣替えが下手、したがって体調を崩しやすい私みたいな人間からすると、「常春の国マリネラ」とかのほうがずっといい。
だいたい、最近の日本に四季があるのかどうか、私はだいぶ怪しいと思っている。
今年の日本は過酷だった。だった、というか今も過酷だ。
夏はエクストラホットな記録的猛暑。11月になっても気温が下がらず、ようやく秋がきたと思ったら三日で秋が店じまいして冬となり、そして今度は気温が25度まであがるそうな。
気圧と気温の乱高下が富士急ハイランドのジェットコースターなみにやばい。
もはや日本に四季はなし。
日本にあるのは…死期!
清少納言だって、2023年の日本にいたら枕草子、書けなかったと思う。
そんな国でも、住んでいる以上はなるべく健やかに今年も越冬しなくてはならない。できれば冬眠とかしたいけれど難しいので、寒くなる時期に私が心がけていることは以下の項目になる。
①寒いと感じなくても温かくする。
②しょうが!しょうが!しょうが!
③早めにベッドに横になる。隙あらば横になる
④冬は無理だと諦める
①について、冬場に温かくすることは当然といえば当然なのだが、私は特性的に暑さ寒さを感じにくい。感じにくいだけで影響をうけないわけではないので、「寒くないな?」と思って薄着で過ごしていると普通に風邪をひく。ちなみに同居人からはよく部屋着が季節外れなことをつっこまれていて、「今日その格好は寒いと思う」と指摘されて上着を着たりしている。
なので、自分的に寒くなくても、自分の体感ではなく暦と気温を参考にしたほうが体調を崩すリスクをおさえられる。
冷えは首元、足首、耳から体にはいって来るらしいので、レッグウォーマーや手袋、イアーマフと帽子は標準装備だし、自律神経はお腹を温めると活性化すると聞いて、腹巻は冬の間数カ月ずっとしている。肌がわりかし強いので、腹巻の上からお腹、腰にホッカイロを仕込むと完璧だ。
ただ最近、冬なのに突然気温が上がる日が多くて困っている。イレギュラーに対応する力が弱いので、「季節は冬、突然の夏日!」とかには対応できない。ただ、特性的にそんな時も暑さを感じにくくて「なんかやたら喉乾くな?」と思いつつ冬装備で乗り切ってしまったりするので、特性もよしあしかもしれない…。
②一人暮らしをしていた頃、何にでもしょうがとにんにくをいれていた。誇張でもなんでもなく、3食絶対しょうがとにんにくは摂取していた。カレーにも、トマトスープのリゾットにも、みそ汁にも、白米にもである。それは強固な信仰のようなもので、私は「しょうがとにんにくは体にいい。体にいいものは毎食食べればいい」という頭でいて、長らくその習慣から抜け出せなかった。ちなみに今は、どちらも普通に摂り過ぎはよくない、ということを知っている。(弱っていると胃腸や喉の粘膜に負担かかる…)
たけどしょうがは温活になくてはならない食材なので、冬はたくさんとるようにしている。みそ汁や紅茶にいれたり、牛乳と紅茶としょうがでチャイを作るのも美味しい。毎食食べてた一時期と比べたら距離はできたが、今でもしょうがは私の強い味方だ。
③不眠症で、眠るのが下手だ。なので、冬はなるべく早めにベッドに横になるようにしている。勿論そうはいかない日も多いけど、早い時は夜9時くらいから横になっている。それくらい早めに寝ても、眠りに落ちるまでに数時間かかるので、なかなか十分な睡眠がとれない。
なので、ここ数年は取れる時に昼寝の時間をとっている。いつもいつもというわけにはいかないけれど、明るいうちだろうがなんだろうが、「あ、無理無理、休憩!」となったらパジャマに着替えて横になる。寒い時期はちょっとの無理が、後から何十倍の体調不良になって返ってくる。いかんせん機動力は落ちるのだけど、自分の体とメンタルに、なるべく貸しをつくらないことが肝心だ。日本経済は低金利なのに、冬場のストレスと疲れは貯めるとめちゃくちゃよい金利で後々かえってくるのである…。
④40年近く自分と付き合ってきて、冬に大きな目標をたてたり、自分に期待しないほうがいいことがわかった。
大掃除は出来る範囲で。今年の振り返りとか来年の抱負とかは新年にあわせなくてよし。自分で公演の予定とかもなるべくいれない。
冬は空気の冴えとか雪景色とかクリスマス時期の飾りつけとか好きだけど、その気持ちのままにテンションあげて動くと後で大変だ。
そして、色々気を付けていてもやっぱり寝込んでしまうこともある自分のことを、責めない、というのも大事になる。
「冬は無理、だから私は悪くない」
そんな俳句を座右の銘に、健やかならぬ自分を出来るだけ健やかに保つ。
私の今年は冬はまだ始まったばかりで、戦いはこれからだ!という感じです。
再掲BLOG:愛用していたシャンプーがボディソープだったらしいことに気づいて「君(ソープ)の名は」ってなってる。 (2016/11/23のBLOG記事より )
皆様こんにちは。
先日、1年半ほど愛用していたシャンプーがボディソープだったらしいことに気付いたモスクワカヌです。
どうりで髪がキシキシするはずだよ!
でもそれはリンスを使っていないせいだと思っていたよ!
(愛用のシャンプー、そろそろなくなるなあ…。新しいの買おう)
そんな軽い気持ちでスーパーへ寄った昼下がり。
棚に並ぶ愛用のシャンプー・シリーズ。
その下に躍る、いわゆる商品のうたい文句。
「これ一本で、顔も体も全身が洗えます」
一番初めに愛用シャンプーを手に取ったそもそものきっかけは、「これ一本で全身が洗えます」のうたい文句にひかれてのこと。
基本ものぐさで、髪の毛など生えてればいいと思っている私は「髪も顔も体もこれ一本いいね」という気持ちでおっきなボトルをセレクト。
頭皮が弱くてハゲるのを恐れているので「自然成分」というのもお気に入りポイントの一つ。
体を洗うのは石鹸も併用しているので持ちもよく、1年半ぶりの購入ということで、今回はどんな香りにするか、ワクワクしながら選んでた。
引き続きローズか、大人っぽいジャスミンか、ミントにいくか。
シリーズをあれこれ手に取りつつ、ふとPOPに目をやると、懐かしいうたい文句。
「これ一本で、顔も体も全身が洗えます」
そうそう。
これ一本で髪も顔も体も全身が洗えますというのに惹かれて、私は自分の収入ではちょっと割高な君を選んだんだよ…。
…。
…ん?
なにやら違和感を感じて、POPを二度見する私。
「これ一本で、顔も体も全身が洗えます!」
「これ一本で、顔も体も全身が洗えます!」
「これ一本で、顔も体も全身が洗えます!」
髪の毛って書いてなくね?
いや待てしかし、日本語には「省略」という伝統があります。
「全身」といえば、頭から爪先までのこと。
だとしたら当然髪の毛だって「全身」に含まれているはず。
きっと当たり前すぎるから書かれていないんだ、そうなんだ。
だってそんな…1年半も髪の毛洗いたおしてきた相手が今さらシャンプーじゃないなんて…
同棲を続けてきた相手が実は地球人じゃなかったくらいの衝撃。
同棲、したことないけれど。
念のためグーグル先生で「全身 意味」で検索をかけてみたところ、「からだ全体 からだじゅう」という回答。
だからその「からだ全体」ってどこからどこまでなんですか先生。
私が学生でここが教室なら起立しながら机を倒すくらいの勢いで質問したいところですが、残念ながらここはスーパーで私は大人…。謎の答えは自分自身で見つけるしかありません。ここからはもう、推理、推理です。
「これ一本で、顔も体も全身が洗えます」
このうたい文句から察するに、このソープ(シャンプーかボディソープかの結論がでないため暫定的にソープと呼ぶ)で「顔」と「体」が洗えることは確かなようです。
くせものは「全身」という単語。
この「全身」にどこからどこまでが含まれるかで、私がシャンプーとして愛用していたソープの未来が決まります。
というか、私の毛髪の過去と現在と未来が決まります。
ボディソープで髪を洗い続けていたとして、それで将来ハゲないか。薄毛に悩む身には大変な問題です。
「全身」といえば「からだ全体」「からだじゅう」というところまでは調べがついています。
だとしたら次のは「からだ全体」「からだじゅう」というのがいったいどこからどこまでか、を捜査する必要があるでしょう。
グーグル先生お願いします!
「からだ全体 意味」で検索。
検索結果による回答は…
「全身」
…
全身「これってもしかして…」
からだ全体「私たち、辞書のなかで…」
全身&からだ全体「入れ替わってる!?」
君(愛用ソープ)の名、というか意味を…誰か私に教えて…。
(2023年追記)
ちなみに、このソープはボディソープでした…。
ごあいさつ ~おわりに~
これを書いている11月下旬。
まだ季節はあまり冬らしくない。というか、冬が来たと思ったら春みたいな陽気になって、また冬がくるという繰り返しで、なかなか季節が煮え切らない、自律神経に厳しい日々が続いている。
これから寒くなるのか、寒さよりも寒暖差が厳しい冬になるのか、まだわからないけれど、なるべく健やかに生き延びたい。
この文章を読んでくれている方々も、どうか健やかに越冬されますように。