鎌倉のマリ 創作ノート② どんな道のりであれ、自分1人の道
『鎌倉のマリ』の執筆のために、米原万里さんの著作をあらためて読み直した。米原万里さん自身のエッセイも小説も素晴らしいのだが、米原さんの妹さんによる著作「わが姉、米原万里」や、米原万里さんのホームページに載っている友人知人による米原万里エピソードの数々も、生前のエネルギッシュで血の通った彼女を偲ばせて、「偉くて頭のいい作家さん、通訳さん」という位置から、米原万里さんをぐっと私の身近に引き寄せてくれた。実際にお会いすることはなかったけれど、かつて同じ場所、ひと時でも同じ時間を共有して生きた人に。
米原万里さんの著作のなかで、今回の執筆の一番のとっかかりとなったのは、「偉くない私が一番自由」という短篇だ。短い文章だが、米原万里さんという個人の生き方や思想のエッセンスがぎゅっと詰まっている。この短い文章への疑問や、もっというなら反発が、今回の作品の執筆の大きなエンジンになってくれた。
「偉くない私が一番自由」
すごく爽やかで、しなやかで、この文章そのものに心地よい自由の風が吹いているみたいな一文だ。
だけど、本当にえらくない私は一番自由なんだろうか?
えらくない、力のない、小さな「私」なんて、一番不自由で情けない存在なんじゃないか?
力があれば ―例えばそれは権力だったり、お金だったり、有力者の知り合いだったり― 人生や社会生活はもっと楽で得なのでは。
そんな風に思うことが、私にはままある。この文章を書いている米原さんだって、自分の言葉で表現することを仕事にできた人で、ある程度社会的な力がある。いわゆる「平凡な庶民」とは違う人だ。
偉くない、と言いつつ、私なんかよりはずっと偉い人だ。
米原さんがこの一文を書いたことに私のなかで生まれた反発を見つめて、それを拠り所にして「鎌倉のマリ」を書いていった。この作品は、鎌倉に住んでいる高校生マリの視点で書かれているが、不思議の国のアリス的なマリの旅路は、自分のなかの憧れや迷い、怒りや悲しみ、二度と出会えない他者と出会っていく心の旅路でもある。
この作品を書き終えた今思うのは、たぶん米原万里さんにとって自由とは、楽チンとか得であるとか、そういうことではないのだ。
それはただただ、どんな道のりであれ自分1人の道というだけなのだ。
鎌倉の散歩道。米原さんが毛深い家族と歩いたかもしれない道。