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【月刊noo】【2023.7月号】

《月刊noo 2023.7月号 目次》
・ごあいさつ ~はじめに~
・エッセイ:ソ連邦のおもひで
「ホテル・エストニア」
 チンピラテゥーラの希望
・短編小説:『コロコロ』
・ごあいさつ ~おわりに~
・★公演告知★
・オマケ

ごあいさつ ~はじめに~

月刊noo、今月も無事に更新できました。
いつも読んで頂いてる方、いいねしてくれる方、サポートしてくれる方々、ありがとうございます。
さて、4号目が発刊された今は7月。
今月は9月にひかえた演劇公演クレバス2020の情報公開もあり(https://wordpress.com/page/noomw.wordpress.com/206)打ち合わせや何やらで、すでに熱い夏がはじまっております。
劇作家女子会。feat.nooとして主宰をつとめます本公演、noteでも創作過程の記事やら何やらお届けしていけたらと思いますので、お気にかけて頂ければ幸いです。
皆様もそれぞれの夏、熱中症に気をつけてお楽しみください。

エッセイ:ソ連邦のおもひで
~「ホテル・エストニア」チンピラテゥーラの希望 ~

ソ連邦に赴任した私達家族は、前任者の引っ越しが完了し部屋の明け渡しがあるまで2週間ほど、当時日本大使館近くにあった「ホテル・エストニア」に滞在することになった。
小さめだがクラシックな瀟洒なホテルで見た目はとても素敵だったのだが、間の悪いことに私達が滞在した時期は、ちょうどレモントとよばれる季節で、ホテルは設備点検の真っ最中の時期だった。
ソ連邦の設備点検、それはけして1日で終わるようなものではない。
なんとなれば、私達が滞在したその2週間の間、ホテルではいっさいお湯がでなかったのである。当然シャワーも水、朝、顔を洗うのも水。
そして、ホテル備え付けのタオルが全てリネン。綿とかじゃなくリネン。もちろん品質もよくはないので、ゴワゴワして非常に拭き心地がよろしくない。
ソ連邦に赴任して1年とかたっていた頃なら「寒い時期じゃなくてよかった☆」「タオルが備え付けられてるだけで100点!」ですませられたが、ホテルだろうがどこだろうかいつでもお湯がでる環境とふわふわ綿タオルに慣れ切っていた惰弱な日本人であり、まだまだソ連邦バブちゃんだった私達一家は、座れない空港のトイレ、穴だらけの道路に続いて、一応大使館職員とかが泊まるホテルで2週間お湯がでないことにも衝撃を受けていた。

ホテル滞在中、母が日本から持ってきたカセットテープで、ドラゴンボールのオープニング曲だった「CHA-LA HEAD-CHA-LA」を繰り返し繰り返し聴いていたことを、子供心にもよく覚えている。当時は普段アニメ好きでもない母がなぜ急にドラゴンボールに目覚めたのかよくわかっていなかったけど、今ならわかる。影山ヒロノブ(※1)に「ちゃ~ら~へっちゃら~」とでも歌ってもらわなければ、水しかでない外国、それも当時は「なんやよくわからん国」と思われていた共産圏のホテルでやっていけなかったのだろう。

ホテルではもう一つ、ソ連邦ならではの困りごともあった。
白夜である。
これはソ連邦に限らず北極圏付近や南極圏付近でおこる現象なのだが、白夜の時期は、太陽が沈んだ後、真夜中でも外が昼のように明るい。
モスクワも、夏前後は白夜バリバリで24時過ぎでも明るい国だというのに、なぜか「ホテル・エストニア」の客室のカーテンは遮光カーテンではなかった。
おわかりいただけるだろうか。
午前2時、日本で言うなら草木も眠る丑三つ時から、あっかるい陽光がさんさんと室内にさしまくりなのである。
私は子供だったので明るかろうがなんだろうが普通に寝ていたが、母は午前2時の太陽を見て「ああ、ここは外国なのだ」という思いを新たにしたらしい。
ソ連邦に住んでいた時には当たり前だった白夜。夜22時を過ぎても白っぽく明るい、朝とも午後ともいえない発光しているような、日本では見れない空の色を、私も覚えている。

そんな「ホテル・エストニア」での2週間だが、よい思い出もたくさんある。
ひとつは朝食付きで、その朝食がとても美味しかったこと。
薄く切った黒パン、ハム、黄色いチーズ、鉄製のココットに焼かれていたオムレツといったシンプルなモーニングを、黒いミニスカートに白いブラウスの、映画に出てきそうな綺麗なウェイトレスさんが、毎朝ニコリともせずに無言で運んでくれた。

ふたつめは、私と妹が退屈してホテル内で遊んでいたら、受付のおばさんが普段は鍵のかかっている部屋にいれてくれたこと。
その部屋はおそらくホテル備え付けのホールで、音楽会などが催されるらしく真っ白なグランドピアノが置いてあった。ホテルの受付には薄暗い印象しか残っていないが、そのホールには大きな窓から光がたっぷり差し込んでいる。エメラルドグリーンの壁紙に金色の装飾が蔦のように這うインテリアが素敵で、子供の目には、受付のおばさんが秘密のドアを開けたらどこかのお城に通じていました、的なファンタジーな展開だった。

みっつめは母の記憶で私はあんまり覚えていないのだが、ホテル滞在中、妹が熱をだした時のことだ。発熱と湿疹で泣き止まない妹を抱っこした母が、ホテルのロビーをウロウロしながらあやしていたら、どこからともなくホテルの従業員のロシア人女性達がわらわらと集まってきて、皆で声をかけ気遣ってくれたと言う。
母いわく「ソ連邦にきて、初めて覚えて実践的に使ったロシア語はチンピラテゥーラ(熱がある、という意味のロシア語)だった。あんまりたくさんのおばちゃん達に妹のことを聞かれるから、何度も何度も答えているうちに覚えちゃったのよね」
おばちゃん達はそれを聞くと、やれ「冷やすものはいるか?」とか「おかゆを作ってあげよう」とか、母に色々親切にしてくれたのだという。
「みんな強面なのに、娘がチンピラテゥーラだと言ったらすごく気にかけてくれて、それでなんとかこの国でやっていけそうだと思ったのよね」と、このエピソードを私に話してくれた母は懐かしそうにそう言った。
慣れない外国でただでさえ不安なところ、日中は仕事のある配偶者も頼りにできずにお湯のでないホテルで7歳と5歳をワンオペ。そこにきてまだ5歳だった子供が発熱というコンボにやられた母の気持ちを支えてくれたのは、影山ヒロノブとこのロシア人おばちゃん達であった。

1991年6月。崩壊間近のソ連邦。
首都に一番近い国際空港がアレでも、首都モスクワ市内の道が穴だらけでも、日本大使館御用達のホテルで水しかでなくても、遮光カーテンがなくても、泣き止まない子供を抱えて「娘がチンピラテゥーラ」と言う外国人にわらわら寄ってきて世話を焼くロシア人おばちゃん達がいるなら、そこに希望はあるのである。…たぶん。

to be continue…

(※1)影山ヒロノブ
「アニソン界のプリンス」の異名をもつシンガーソングライター。

短編小説:コロコロ

ある日、病院帰りに家までの道をごく普通に歩いていたら、右目にハトが飛び込んできた。
飛び込んできたハトは白っぽいが、白鳩というほどではない、よくその辺の道端でみる普通のタイプのハトで、右目に飛び込んできただけならまだしも、飛び込んできた勢いのまま私の頭蓋骨のなかでくるっと方向を変えて、私の左目を目ん玉の裏っかわから突つきだしてしまったのである。
ところで、私は人間の魂がどこに宿るのかについて、時々疑問に思っていた。だけどだいたい、脳なのか心臓なのか、そのあたりだと検討をつけていたのだが、今回のことで私は自分が間違っていたことを知った。
なぜなら、突つきだされた左目と共に、私の自意識も私の肉体からすってんころりん飛び出してしまったからだ。
魂は、人間の左目に宿っていたのだ。
それは新鮮な発見であり驚きであり、言うなればアハ体験で、私はとっても感動したのだが、あまりその感動に浸ってはいられなかった。
なぜなら、私の体は私の頭蓋骨にハトをおさめたまま帰り道をそのまま歩いていってしまい、私という左目は、突つきだされた勢いで路上に飛び出したまま放置されてしまったからだ。
マジかぁ。
そう思ったが、意外と私は慌てていなかったし、絶望もしていなかった。人間、予想外すぎることが起きるとけっこう冷静でいられるものだ。それに左目になってしまった自分が妙におかしかったし、遠ざかっていく自分の体の猫背気味の背中とか、気づいてなかった後ろ髪の寝ぐせとかを見て、「おお」と思った。最近ちょっと痩せた気がしていたが、客観的にみるとまだまだだな、とも思った。
だが、のんびりとしてばかりもいられない。自分の体を追いかけなくてはと思って、私はハッとした。今自分は自分の左目に宿った自意識である。左目になった自分を自分で見ることができないので定かではないが、なんとなく今の自分は球体のような気がした。おそらく眼球部分のみが飛び出した状態なのであろう。
ということはつまり、今の自分には足がない。
足のない状態でどう移動すればいいものか。
そもそも自分は生まれてこのかた球体でいたことがないから、今だって真っすぐ立ててるんだか寝転がっている状態なんだかよくわからない。とりあえず視界は良好である。自分の視力がよくてよかった。もし目が悪くて、あまつさえ眼鏡なんかをしていたら、目ん玉だけ突つきだされた時点で何も見えなくなって詰んでた。
視力がよい自分にちょっと元気がでたので、試しに今の自分のからだてきなものであるところの眼球に、(すすめ~すすめ~)と念をこめつつ力を入れてみた。力をいれる、とはいっても、どこにどうこめていいかわからないのでほとんど勘だ。
が、具体的にどこをどうとはわからないが力がこもった感じがあり、私はコロリと一回転して、その一回転ぶんどうやら移動できたらしい。おお!!と思って、(すすめ~すすめ~)と念じて力をこめるっぽいことを続けると、コロリコロリと目玉が回転して、どうにか進みたい方向へ移動していく。普段しているように足で移動するのとは比べ物にならないもどかしさだが、どうやら自宅までの移動は行けそうだと、私は今はない胸をなでおろす気持ちになった。とにかく自分の肉体は自分の家へ帰っているのだし、家に帰ったらきっともうどこにも出かけずにゴロゴロしてるに違いないのだから、家に帰りさえすれば元の体に戻れるはずだ。
コロコロコロコロ。
私の頭にハトが飛び込んできたのは駅前の道だったので、敷かれているアスファルトも滑らかで進みやすい。夕刻のロータリーには人通りも多かったが、私の頭にハトが飛び込んで目玉をつつきだしてしまった瞬間は、どうやら誰にも見とがめられなかったようだ。親切な人に拾われても面倒なのでまあいいのだけど、左目のあるあたりからハトの頭がでている私の肉体のほうは、行きかう人々にぎょっとされていないか心配だ。通報とかされたらどうしようと、嫌な想像をしてしまう。実家やバイト先に警察から連絡がいくのはかなり避けたい。
そんな風に肉体のほうの心配をしつつコロコロしていたら、うっかり誰かのスニーカーに踏まれかけてヒヤリとした。今、すごくカジュアルに死ぬところだった。いや、自分の肉体は死なないはずなので、左目を失っても死ぬということはないのだろうか。だけどその場合、今この左目に宿っている私の自意識はいずこへ?と、また思考が流れていきそうになるのを、とにかく今は目ん玉になった自分のことに集中だ、と気合を入れ直して転がる。目ん玉でいることに慣れてきたのと気合を入れ直したことで、こころなしか転がるスピードが速くなったっぽいのがウケる。目ん玉状態でも風をきることはできるのかと、走るつもりでコロコロコロコロ転がった。
駅から離れるにつれて、歩道のアスファルトがでこぼこしてくる。
以前、駅から自宅まで裸足で帰った時に気が付いていたのだが、駅に近い歩道のアスファルトは滑らかで丁寧な感じで敷かれているのに、駅から離れるにつれて小石みたいな凸凹が多くなってきて、足の裏が痛くなってくるのだ。アスファルトの質が悪いのか、敷き方が悪いのか、自分ちの最寄り駅まわりだけそうなのか、あるいはほかに理由があるのかはよく知らない。ちなみにその時さらに発見したライフハックは、「横断歩道とか道路わきに描かれている白線の上を歩くと足が痛いのが多少マシ」ということだ。たぶん塗料のおかげでスベスベしているのだと思う。
そういう前知識があったので、駅から離れて道が凸凹してきたあたりで、私はなるたけ白線の上を転がるようにした。幸い、このあたりの道は白線には困らない。
コロコロコロコロ。
いつもいい匂いのするコーヒー豆屋を通り過ぎ、クリーニング屋を通り過ぎ、御用達のスーパーを通り過ぎる。
全身が目ん玉になっているせいか、転がっていても視界があまりブレないのが助かった。それにしても、いつもの道が背丈というか、視界の高さが変わるだけでだいぶ新鮮だ。夏の初めで、夕方に火照りが冷めていくコンクリートの匂いに、道端の青い草の匂い。
コロコロコロコロ。
転がり進むうちに日が暮れてきて、宵の口の空気も青ざめていく。空を見上げると、藍色と桃色、橙色のグラデーションの中に1番星が輝いてるのがいつもより遠くに見えて、やはり今は全身が目ん玉になっているせいか、自分の目の中にその宙と星がいっぱいに広がるような気がした。
いつもなら、病院の帰りはもっと憂鬱なはずだ。特に今回はだされる薬が増えてしまったし、はっきりとは言われなかったけど、ネットで新しい薬の名前を調べたらそれは私が恐れていた病気の症状を緩和する系の薬で、もう10年くらい通っている病院で、おくすり手帳の履歴はゆるい下り坂をだらだら下っていくように増えていくばかりだ。
自分の脳だか神経だか心だかで病気と加齢のデッドレースが繰り広げられていて、死因はどっちだかという感じ。加齢でいけるのか、自然な寿命の前に病気が私を追い越してしまうのか。そんなことを考えるとどうしても気が重い。
でも今の自分には考える脳もないし感じる心もない。目が見えているから視神経はどっかに引っ付いてるのかもしれないが、幸い私は視力はいいので視神経は健康だ。そう、今私はこのうえなく健康で、爽やかで、もうなんの心配もなかった。
薄闇が次第に濃くなっていくマジックアワーのなかを、自分の行きたい方向へコロコロコロコロすすめている。夏の始まりの夕刻で、緑の多いこのあたりは空気に甘いような青っぽい匂いが滲んでいて、ふく風もちょうどいい。ふと、行き先は自宅でなくてもいい気がした。このままコロコロコロコロ転がって、行けるところまで行ってみるのもいいかもしれない。なにせ今の私は健康で気分がよくてもう何の心配もないのだ。
コロコロコロコロ。
コロコロコロコロ。
自分の家も、明日からの仕事のシフトも、友人も、来週親の誕生祝いに実家に帰る予定も、藍色が濃くなる空にまばらに増えてきた星のように遠かった。遠くて綺麗で、私とは関わりのないものだった。去りがたいと想う気持ちと、実際に立ち去れるかどうかはまったく別の話だ。
病院の先生は私が自分の生活をまわせるように薬を処方してくれる。
私の友人は私が自分を愛せるように心を砕いてくれている。
自己啓発系やスピリチュアル系の本にも、今を生きることや周囲に感謝し、日々を愛するようにと説いている。
だけど世界や自分を愛したからとていつも隔たっている自分はなんとしよう。
今、目ん玉だけの私は、健康で気分がよくて、このまま転がり続けたら、昔読んだ絵本の虎のようにバターになって世界と生活と友情と家族と愛情と溶け合えてしまいそうだった。
コロコロコロコロ。
コロコロコロコロ。
だから、いつも自宅へ帰るのに右へ曲がる角をいつも通り右折したのは、ただの習慣からくる惰性、というか精神の慣性の法則で、私は何かを決めかねたまま、いつもの角を右折した。右折したなら帰宅するしかない気がして、コロコロコロコロ転がった私は、無事にアパートの入口に到着すると、同じように帰宅した知らない住人の後にくっつき、エレベーターに乗ることに成功した。さすがに止まる階のボタンは押せなかったけれど、住人が降りたのが私の住んでいる階の2つ上だったので、一緒にエレベーターを降りた後、階段で下に降りることにも成功して、非常な達成感を得た。その頃にはもう目ん玉でいることに大分慣れたので、転がることだけでなく飛び跳ねる、というアクションを会得し、階段降りは転がると勢いがつきすぎて危なそうだったので、おもにこの飛び跳ねるという技を活用した。
(跳べ!跳べ!)と念じながら、それっぽい力をこめることをイメージすると、私の丸い体はポーンと弾み、ゆるい放物線を描いて綺麗に着地する。着地の時の衝撃から、私はどうやらピンポン玉のように硬くはないらしいと思った。地面につく時、もに、というかむにっというか、はっきりしないぬるっとする感覚がある。
さて、そんな感じで自宅アパートの、自分の部屋の前まではたどり着けたのだが、私はここで、初めてちょっと真剣に困ってしまった。
いくら今の自分が目ん玉一つ分の大きさしかないとはいえ、さすがにドアの隙間は通り抜けられないし、チャイムにも手が届かない。ていうか手がない。試しに跳ねてみたが、さすがにチャイムのある場所までは高すぎて、ポインポインと10回くらい試してみてから諦めた。これは、肉体の側の自分に内側から鍵を開けてもらうしかなさそうだ。だけどどうやってそうしてもらえばいいのだろう。あまり長く廊下に転がってるのもよくない。他の住人が帰ってきて見つかったら、目ん玉が落ちてると通報されて下手したら事件扱いになってしまう。なんかこう、近隣でバラバラ殺人的なことがあったと誤解されてしまうかも。
右にコロコロ、左にコロコロ。
どうやら真剣に考え事をすると勝手に転がってしまうようなので、しばらくコロコロしながら悩んでみたが、埒があかない。が、ふと目線をあげた時、ドアについているポストのことを思いだした。
郵便とか、そんなに分厚くない荷物なら滑り込ませられるそれ。ちなみに安アパートなので、郵便物はそのまま玄関にぶちまけられる方式だ。
ドアの下の方にあるポストの入口までなら頑張れば跳べるかもだし、今の自分は小さいしそんなに硬くなさそうなので、こう、ぎゅっうと体、というか硝子体(?)を縮めればいけるかもしれない。
結論からいうと、いけた。
20回くらい届かなかったり勢いが足りなくて失敗したけど、どうにかなんとかなった。ここ数年の自分史のなかで一番の偉業かもしれない。人間の体(今は目ん玉のみだが)と、強い気持ちってすごい。こうして不可能と思われることをも可能にし続けて、人類は20世紀、ついに月まで到達したのだな…と感慨深く思いながら、見慣れた玄関から奥の部屋に通じる廊下をコロコロと進む。
廊下の電気はついていたけれど、部屋の電気が消えていることで、私は色々と察した。どうやら肉体のほうの私は、帰宅早々寝てしまったらしい。これも病院のある日にはよくあることで、たいして遠いわけでもないのに、病院と薬局へ行って帰るだけでどっと消耗して、その日はあとなんにも出来なくなってしまう。きっと脳みそと心のあるほうの自分は、帰り道でまた色々考えて気に病んで、力尽きてしまったのだろう。
暗い部屋の中、ベッドの上で、私の肉体は仰向けに転がっていた。かろうじてパジャマに着替えてはいたが、多分顔も洗ってないし歯も磨いていないだろう。鍛えたジャンプ力でベッドの上に飛び上がり、そのまま自分の腹の上にのっかってみる。呼吸の浅い私の肉体は、それでもかろうじて胸と腹が上下していた。自分の体なのにちっとも親しく思えなくて、なんだか変な感じだ。試しにそろ…という感じでコロ…と転がってみたが、(アスファルトとは感触が違うな)くらいの感想だった。そのままコロコロ、腹から胸、喉元まで転がってみても、肉体の私は目を覚まさない。寝る前にきちんとルネスタを飲んだのだろう。もしかしたら飲みすぎてるかもしれない。最近の薬はちょっとやそっと飲みすぎたくらいではどうともならないので、まあどうでもいいことだ。
喉元から自分の顔の上まで転がってみて、私は初めて、私をつつきだした鳩が、まだ私の頭蓋骨のなかに居座っていることに気づいた。私の左目、つまり今の私が収まっているはずの場所から、ハトの首がでている。薄暗がりのなかで、ハトのつぶらな目が「ポ」という感じでツヤツヤと光っていた。
頭のなかにハトを入れたまま眠れる自分すごいな、と一瞬思ったが、多分薬のおかげなので特にすごくはなかった。
私の頭の中から首だけをだしたまま、ハトはリラックスしているらしく、ときおり小首をかしげるだけで、私を前にしても逃げ出そうという素振りがない。
私とハトは、見つめ合った。見つめ合うというか、今の私はただただ目ん玉なので、ハトを前にしたらハトと見つめ合うしかないだけなのであったが、ハトは左目の私の登場にも非常に落ち着いていて、小さな頭のまるみとか首の曲線とかとの安らかな感じとあいまって、頭蓋骨を占拠されているというのに、私はあまり怒る気になれなかった。
だけど、いつまでもこうしているわけにもいかない。私は自分の肉体のほうに戻らなくては…戻らなくてはいけないだろうか。
私の肉体は、左目からハトの首がでている以外は特に異常はなさそうだった。浅い眠りのなかで眉間に皺をよせているだけで、左目と魂らしいものもなしで駅から自宅まで帰れたのだから、明日からのバイトとか、来週の実家とか、そういう色々も大丈夫なんじゃないかという気がした。
私の肉体は脳みそと心臓とハトにまかせて、私はもうこのままでいいんじゃないか。私は目ん玉だ。ただ見るだけだ。この形態は少しだけ不便だけれど、とっても安らかで自由かもしれない。
その時私の体が寝返りをうち、横向きになった。ちょうど枕元に落ちた私は、私の右目が開いて、こちらを凝視していることに気がついた。左目から突き出ている安らかなハトの首とは違う、それは圧のある光線のような視線だった。まだだよ、まだ、まだ、と私の右目は私に語りかけていた。
まだまだまだまだ。
コロコロコロコロ。
私は理解した。それはただ純粋な理解だった。諦念もなく、抵抗もなく、ただ「まだ」なのだということがわかった。私は眠っている自分の肉体の半開きの口から頭のなかに潜り込んで、左目のある場所におさまった。スポ、という軽い感じで、左目の私は左目のあった場所に無事に帰還し、ハトは羽を畳んで大人しく場所を譲った。

翌朝から、私はいつも通りバイトに行って友人と会って、来週実家の最寄り駅に到着する予定時刻を母にラインした。右目も左目も見えていて、目ん玉だった私は、脳みそと心臓と病んだ神経と便利な手足を問題なく取り戻している。
ただ、あの日からハトだけは私の頭蓋骨のなかに居座り続けていて、時々私の左目の裏側で「クー」と鳴く。また突きだされたりしないか心配な気持ちもあるが、今のところ、少しだけ愉快な気持のほうが勝っている。

ごあいさつ ~おわりに~

月刊noo7月号、今月もここまで読んで頂いてありがとうございました。
今月号は、いつものソ連邦エッセイと、ふと思いついて小説を書いてみました。おかしな夢のような何かのような短編ですが、楽しんで頂ければ幸いです。
そしてさる7月15日、私が脚本を務める公演について情報公開がありました。私もメンバーの1人である劇作家女子会。との共催で、9月に演劇公演を行います。
コロナ禍による緊急事態宣言中の2020年の日本を主な舞台に、当時を生きた人々へのインタビュー、ニュース、社会情勢をもとに書かれた50本の短編作品を、長編として編纂し、2020年第20回AAF戯曲賞特別賞を受賞した作品です。
芸術の秋の観劇のご予定に、くわえて頂ければ幸いです。

公演特設サイト
https://wordpress.com/page/noomw.wordpress.com/206

モスクワカヌのゆるゆるマガジン、月刊nooの次号は8月20日頃公開予定。
その頃には9月公演について、もっと色々ご案内も出来ると思います。
ソ連邦の思い出エッセイも引き続き連載しますので、来月号もどうぞよろしくお願いいたします。

★公演告知★ 

劇作家女子会。feat.noo クレバス2020
It's not a bad thing that people around the world fall into a crevasse.
作:モスクワカヌ(劇作家女子会。)  演出:稲葉 賀恵
公演日程:2023年9月27日(水)~10月1日(日)
会場  :シアター風姿花伝

※こちらは22023/7/20時点の公演情報です。最新情報は特設サイト(https://wordpress.com/page/noomw.wordpress.com/206)にてご確認くださいませ。

2020年第20回AAF戯曲賞特別賞を受賞した作品。コロナ禍による緊急事態宣言中の2020年の日本を主な舞台に、当時を生きた人々へのインタビュー、ニュース、社会情勢をもとに書かれた50本の短編作品を、長編として編纂したもの。緊急事態宣言中にDV避難を余儀なくされた若者を軸に展開される、コロナ禍を舞台にした群像劇。

【本作をご観劇になるお客様への事前のご案内】
本作は、直接的な描写はありませんが、下記を想起させる表現を含みます。
希死念慮 自殺 虐待 性暴力
12歳以下の方がご観劇する際は、保護者の方の同意があることが望ましいです。
事前に台本の内容をご確認される場合は、以下のリンクから閲覧が可能です。
https://www-stage.aac.pref.aichi.jp/event/item/Itsnotabut.pdf

また、ご観劇の際のご心配事等ありましたら、本公演に関するお問い合わせ先へご連絡くださいませ。

舞台出演者
伊東 沙保 
大石 将弘 
勝沼 優 
木内 コギト 
工藤 広夢
小池 舞
小石川 桃子 
小早川 俊輔 
田実 陽子 
田尻 祥子 
西田 夏奈子 
丸山 雄也 
水野 小論 
毛利 悟巳 
ユーリック 永扇 
吉岡 あきこ 
蓮城 まこと

映像出演者
阿久澤 菜々
今井 公平
KAKAZU
小林 彩
小林 春世
β

公演日程:
9月27日(水)19:00~
9月28日(木)13:00~
9月29日(金)13:00~/19:00~
9月30日(土)12:00~★/18:00~
10月1日(日)12:00~
★…公演終了後、ポスト・パフォーマンストークを実施いたします。
*受付開始は開演の60分前、開場は30分前

チケット:  ★発売日:2023年7月29日(土)10時★

劇作家女子会。応援チケット(特典あり) ¥10,000
劇作家女子会。応援チケット(特典なし) ¥6,000
チケット(前半割) :¥4,200
チケット(一般)  :¥4,500
チケット(U24)   : ¥3,200
チケット(障がい者): ¥2,000
※身体障害者手帳・精神障害者保険福祉手帳をお持ちの方、また付き添いの方1名様までご利用頂けます。
チケット(当日券)   :¥5,000

チケット取り扱い
Confetti(カンフェティ)
※カンフェティでチケットを購入されると、無料で託児サービスをご利用いただけます。
※未就学児の方のご観劇はご遠慮くださいませ。

会場
シアター風姿花伝

〒161-0032 東京都新宿区中落合2-1-10
JR山手線「目白駅」より徒歩18分/バス6分
都営大江戸線「落合南長崎駅」より徒歩12分
西武池袋線「椎名町駅」より徒歩8分
西武新宿線「下落合駅」より徒歩10分

スタッフクレジット
ドラマターグ:オノマリコ(劇作家女子会。/趣向)
美術:角浜有香
照明:松本永(eimatsumoto Co.Ltd.)
音響:星野大輔
音楽:西井夕紀子
映像:和久井幸一
衣裳:富永美夏
演出助手:大月リコ(yoowa)
舞台監督:土居歩、松谷香穂
音響オペレーター:宮崎淳子
宣伝美術:デザイン太陽と雲
制作:植松侑子、古川真央(syuz’gen)
インターン:山尾みる
主催:劇作家女子会。 noo

本公演に関するお問い合わせ
劇作家女子会。feat. noo (制作担当:合同会社syuz'g
〒116-0013 東京都荒川区西日暮里5丁目6-10 gran+ NISHINIPPORI 6階
TEL:03-4213-4290(土・日・祝祭日を除く平日10:00~18:00) FAX:03-4333-0878
MAIL:feat.noo.mw@gmail.com

オマケ

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