『鎌倉のマリ』創作ノート③ 死者の国を訪ねる言葉
本日初日を迎える『鎌倉のマリ』。
今生きている私が、死んだ人を思って書く文章は、死者へどのように伝わるのだろう、ということをふと思った。死んでいるのだから読めないし、伝わらない、というのがまあまっとうな考え方なんだろうけれど、私はいわゆる「まっとう」から外れた辺境の地の人間な気がするので、もうちょっと違う考え方を探ってみたい。
作家の小川洋子さんは「文章を書くということは、名前も顔もわからなくなった人を死者の国に探しにいくこと」だと書いていた。名前も顔もわかるけっれど死者の国にいる人を訪ねる方法もまた、私にとっては書くことなのかもしれない。私には霊感がないので、もし魂があるとしても米原さんから感想を聞けたりするわけではない。『鎌倉のマリ』の舞台を観て、何か感じたり感想をもてるのは今生きている人たちだけだし、私も脚本を書く時、その上演を観るお客様のことを念頭においている。それと同時に、この脚本は私から米原万里さんへのファンレターでもある。
これまでもたくさんの人が、死者にむけて文章を書いてきた。皆、生と死の間に断絶以外の何か、橋のようなものがあると信じたり、信じたかった人たちなのだと思う。
『鎌倉のマリ』に限らず、最近の私は何かを書く時に、断絶があると思われているもの、壁があると思われているものの間を行き来できる時間とかきっかけが生まれればいいな、と思う。それは生と死であったり、現実と幻想のあわいであったり、国境とか、知らずに自分が世界にひいている線であったりするかもしれない。
米原万里さんは、読んでいると風が吹くのを感じるような言葉を連ねる人だった。米原万里さんと比べれば小さな小さな私にも、そういう風をもちたいなと思う。
舞台というものは書かれただけでは意味がなくて、俳優がいてスタッフがいてお客様がいて、初めて舞台として立ち上がる。一度稽古場に見学に行かせて頂いたが、劇団の皆様が前向きに、楽しそうに稽古をしてらして、私も本日の上演がとても楽しみだ。
いい風が、この公演に、舞台に吹きますように!
『鎌倉のマリ』公演情報は以下のリンクから。
http://mosukuwakanu.blog122.fc2.com/blog-entry-906.html?sp