あの人たちの常識・埋めがたい溝・コロナ禍の明日
自分だけは感染しないという人、反マスク反自粛運動の人、ウレタンマスクを頑なに使い続ける人。あの人たちの常識は理解しがたい。しかしコロナ禍の行く末を左右するのは、あの人たちだ。
当記事では感染するはずがないという人、反マスク反自粛運動を経験した人、ウレタンマスクがやめられない高校生といったあの人たちの常識を明らかにしつつ、今後新型コロナ肺炎蔓延に与える影響を考えることする。
著者:ケイヒロ、ハラオカヒサ
感染するはずがないという人たち
ほとんどすべての人がマスクをつけて街を行き交う様子を見ていれば、誰もが新型コロナ肺炎に感染するのを恐れていると思うのが普通だ。だから“コロナはただの風邪”とか“ノーマスク”と主張し、その言葉通りのライフスタイルを送っている人たちはとてもすくないだろうと感じる。
新型コロナ肺炎なんかに感染するはずがないと行動する人は一握りのはずと。
しかし国際医療福祉大学の和田耕治教授らが2021年7月13日から3日間、1都3県の20代から60代、3100人に行った調査は意外な事実を突きつける。
問い「自分が新型コロナウイルスに日常生活で感染すると思うか」に対して「あまりそう思わない」か「そう思わない」と回答した人の割合は以下の通りだった。
男性
▽20代で43%
▽30代で41%
▽40代で52%
▽50代で55%
▽60代で66%
女性
▽20代で42%
▽30代で45%
▽40代で48%
▽50代で60%
▽60代で70%
おおよそ40〜50%の人が日常生活で感染しないと答えていると言ってよい。
調査時期から、高齢者がワクチンの効果の範囲で感染しにくいという意味で解答しているかもしれない。また自粛と感染を防ぐセオリーを厳守している生活だから感染しないという意識で解答している人もいるかもしれない。これらに注意して調査結果を読む必要がある。
だが感染力が強い変異株が蔓延してブレイクスルー感染や注意深く暮らしていても感染する例が報告されている。「感染すると思わない」とする真意を好意的に解釈しても、この人たちの行動には不注意さがあり、自分が感染するだけでなく他人を巻き添えにしかねない人たちであるのは間違いない。
この40〜50%の人々は
「周囲に感染者がいると認識している人」
と
「周囲に感染者がいないと認識している」
の2パターンに分けられるはずだ。周囲に感染者がいないと思っている人は未知の体験への現実感が希薄だと言え、感染者がいるにもかかわらず自分の日常は安全であると信じているなら実態を目の当たりにしてなお現実感が希薄としか言いようがない。
身近に感染例を知っているのに自分だけは感染しないという態度は理解しがたい。だが筆者の経験から、このような人は間違いないく存在していると断言できる。
最近、親族の若者が知人からバーベキューパーティーに誘われた。
「BBQやるけどこない?」
「いまやばいでしょ」
「いや家族だけだし」
「私、家族じゃないよ」
「いや身内ってこと」
「身内?」
「こっちは家族だけだし、来るのも身内だけだし」
彼女は参加しなかったが、中心人物は取り引き先きに感染者がいて当人とも面識があるにもかかわらず「家族だけ」「身内だけ」の集まりだから安全であると誘いをかけていた。そしてバーベキューパーティーは中心人物の家族と友人たちを集めて予定通り行われた。
・そうそう感染するものではない
・感染者は特別な行動をしている
・感染者が増えている都道府県とは違う
・身内同士なら安心
と(いずれか、またはすべて)信じている人は確実に存在し、周囲にいる人々の2人に1人がこのような考えであってもまったく不思議ではないことを調査が明らかにしている。
公共の場で特に主義主張がなさそうな人なのにマスクをつけていない例が、なぜか第5波の猛威のなか増えた。筆者が自らと知人の伝手で聞いたところ、理由は「感染しないのがわかった」であり「危険だと思ったらつける」という回答で占められた。一人は「PCR検査が陰性だったから」と理解しがたい理由も挙げた。
彼らが「自分が新型コロナウイルスに日常生活で感染すると思うか」に対して「思わない」と答える人物なのは間違いない。また収録中はアクリル板やマウスシールド程度で感染防止をしたつもりになり、オフではウレタンマスクや宴会が日常茶飯事になっているメディア関係者と芸能人もこの枠に入ると言ってよいだろう。
つらさ さみしさ から反マスク反自粛運動に加わる人たち
前述のバーベキューパーティーとマスクをしない例だけでも、やっていることは反マスク・反自粛の人々とほぼ変わりない。
次に示す画像は2021年7月31日の有楽町にある居酒屋を撮影したものだが反マスク・反自粛集団の会食風景ではない。そうした集団が混ざっていたとしても少数であり、私たちがごく普通の人々と思っている層の姿が写し出されている。
そうそう感染するものではない、自分は特別なことをしている訳ではないと信じているからこうした行動が取れるのだろう。感染者増加を防ぐ義務を果たそうとしない層の心理を知ろうとするとき、反マスク・反自粛集団に加わり後に離脱した2名の率直な告白が参考になるはずだ。
─・─
(過去記事で紹介した反マスク・反自粛集団を離脱した人からの聞き取りに、未掲載分を含め再構成した。当人の了承を得て個人情報が類推される情報は割愛または意味が変わらない範囲で修正を加えた)
A 男性 自営業
B 女性 ─
──反マスク・反自粛をはじめた理由
A 去年(2020年)の夏前は経営する店の前でマスクや除菌ウェットティッシュを売ることもあった。自粛が長引いて店の経営に陰りが出てアルバイトに1ヶ月分のバイト代を払ってやめてもらったあとも苦しい状態が続いた。自分も周りも誰も感染者がいないのにおかしいと追い詰められて自粛やマスクを憎むようになった。
B 楽しみがどんどんなくなっていった。友だちが減っていく気がした。自粛が悪いと思った。
──どこまで状況が悪くなっていたか
A 助成策を使っても、先が見えない恐怖が大きかった。固定費を減らすほかないが、どこまで減らしたら商売をやめるのと同然になるか考えた。うまくいっていたとき出した広告を見て、この金があったらと思った。
B 楽しみがなくなって友だちが消えていく気がして、さみしくて怖かった。ずっと前に心療内科でもらったセパゾンやデパスが残っていたから、あと何錠、あと何錠と数えながら飲んでいた。むかし一度だけ吸ったことがあるタバコを吸ってみた。セパゾンとかデパスやタバコで体がどんどん汚れていく感じだった。
──反マスク・反自粛の生活とは
A 頭にきていたからマスクはしなかったが、取り引きの関係などで必要がありそうな場合は布マスクを使った。飲みに行く場合など顔馴染みでは自分が浮いてるかなという気がしたのでネットで知り合った(反マスク・反自粛の)人たちと付き合いが増えた。
B 友だちが総入れ替えになるくらいネットの(反マスク・反自粛の)知り合いと遊んだ。こんな風にしても前と同じで何も変わらないからコロナは嘘だと思った。マスクをつけなくてもどこにでも行けたし、何か言われても拒否っていれば相手が用意して出してくるからそれでよかった。出してこなかったり怒られたりした、もう行かないだけだった。
──そうした行動で得たもの
A 気分がブーストされた。最悪なにかあっても、この仲間がいれば商売の底ざさえくらいできそうな気分になることもあった。そんなに甘くないのはわかっていたが、そう思える瞬間があるとだいぶ違った。
B 予定が入るし、何もないなら誰かに声をかければ次の予定のきっかけになった。自粛でやることがなにもなくなって友だちが減って腐っていたから、とても楽しかった。遊ぶことも楽しかったけどお金をつかったりバスや電車に乗って移動していると生きている感じがした。
──反マスクや反自粛を批判されたとき
A わかっちゃいないと頭にきたが、こっちは商売が傾いているんだと正直に相手に言うのが恥ずかしいような、もっと違う理由をつけないといけないような気がした。おまえらよりいい生活をしているというふりをして、経済とか政治とか言っていた。閉店した倒産したと正直に言いながら活動していた人には負い目があった。
B コロナが嘘なのを自分で発見したと思っていたし、そうやっていると明るい気持ちになれたから、どうしていつまでもつまらない常識に縛られているのか謎だし馬鹿だなと思っていた。
──反マスク・反自粛をやめようと考えはじめたきっかけ
A デルタ株が騒がれる前に仲間割れがあり締め付けが強くなるのを感じた。ためしに始めた事業がうまく回りはじめて忙しくなってきた。ネットや集まりに顔を出す機会が減って締め付けの強い雰囲気が鬱陶しくなったが、仲間割れの様子を見ると縁切りを言い出さないほうがよいと思った。仲間内の有名人が(著名人や政治家に)脅迫的な発言をしたとき、自分の商売に飛び火して炎上しかねないと思いやめることを決めた。
B 仲間のおばあちゃんがコロナで死んだ。みんなが菅や尾身が病院を乗っ取って人を殺している、それはコロナではないと言った。その子が本当だから気をつけて遊ぼうと言うと、いじめがはじまった。年上でお金を出してくれたり、いいことを言って雰囲気をつくっていた人が、あいつをつぶすしかないと言ったのが怖かった。
──その頃やめて行く人はいたか
A いま思えばいつの間にか消えた人たちは感染した人やくだらなさに気づいてやめていったのだろう。
B いじめがはじまったあとに飲み会からクラスターが起こって、その人たちの何人かはいなくなった。罹ったふりをしていなくなった人がいたのが、やめてからわかった。
──いま(2021年8月段階)残っている人たちとは
A 組織や政治的に見せかけている運動に面白さを感じている人たちかもしれない。会社で誰が上で自分がどの位置にいるか考えることで頭がいっぱいになるようなものだったり、政治活動にのめり込んで過激さのチキンレースをするようなもの。外から何か言われても目的や見ている方向が違うから聞く耳を持たなくてとうぜん。
B よくわからない。クラスターが起こっても、おばあちゃんが死んだ話から自分の家族を殺してしまうかもしれないと思えないのがわからない。私はもうこんな集まりは耐えられなくなってしまった。
──コロナ禍前と集団をやめたあと
A いろいろな人がいたが、自分と同類がかなりいた。稼ぎ方だけでなくファッションや趣味も似ている。だから以前からの考え方が影響していたと言われてもしょうがないと思う。いまは自分の性格が一気に崩れたときのヤバさに気をつけている。
B いつも同じ失敗をしている。どうしてそうなるか、やめるとき相談していろいろ話をしてもらっているうちに気づいた気がする。いつもさみしくなって、失敗している。今の自分はまともになっていると思うけれど、ずっとこのままでいられるかとても怖い。
─・─
あくまでもふたりの身に起きたできごとにすぎないが、かなり象徴的ではないかと思われる。
誰もが経験しているコロナ禍の、さみしい、つらい、思い通りにならないことの連続にふたりが変な人になる発端があった。だが集団から離れたふたりはごく普通に会話ができる人たちだった。むしろ一般的な人々のように見えてこの期に及んでも感染者増加を防ぐ義務を果たそうとしない層のほうがやっかいではないだろうか。
あの人たちは反マスク・反自粛の人々とほぼ変わりない。自らと周囲の行動を顧みず、政策が専門家が現場の医師が悪いと言うのも一致している。もしA、B両名ほどの経験をしていないにもかかわらず自粛に飽きたと嘯いているとしたら、さらに手の施しようがない人々かもしれない。
ウレタンマスクがやめられない高校生
2020年8月にマスクの有無と当時流行していた布マスク、マウスシールド、フェースシールドの効果が解析され報道された。12月には効果が期待できないウレタンマスクに否定的な報告が相次ぎ、これもまた盛んに報道された。
こうした情報に基づいてウレタンマスクをやめた人が多い一方で、相変わらずウレタンマスクを使う人がいて、実店舗でも通販でもウレタンマスクと同類の効果が薄いマスクの販売は盛況なままか、むしろ売り上げが伸長しているのではないかと思わされる状態が続いている。
以前ウレタンマスクをめぐる実情を記事で紹介したように、効果がないのを知らない人のみならず、効果がないと知っていて使い続けている人たちがかなりいる。この人たちは冒頭に書いたように「自分は感染するはずがない」と考えている。
詳しくは以下の記事を読んでもらうとして、今回はどうしてもウレタンマスクをやめられない高校生女子の例を考えて行こうと思う。
美容ライターは雑誌の特集でウレタンマスクが支持される理由を過不足なく語っている。
「スポンジのようなやわらかさが好きで、昨年から風邪予防で使っていました。顔にフィットするものの、つけている感覚が少なくマスクの跡がつきにくいのもうれしい! マスク内の蒸れも少ないのでメイクも崩れにくいです。お気に入りのカラーはサーモンピンク。顔色がよく見えるのでおすすめです。ダークカラーの服を着るときは、色味があるマスクだと印象も明るくなる気がしてパープルも愛用中。メイク汚れも落ちやすく、手洗いでケアしています」
中学生、高校生、大学生も次のように感じている。
・マスクを毎日付けることによって、肌がすごく荒れてきちゃった点(中学生 男性)
・マスクをつけているとニキビがたくさんできてしまう、呼吸がしづらい(高校生 女性)
・布マスクを主に最近は使っているが肌荒れが酷くマスクをあまり使用したくない(大学生 女性)
TesTee Lab調査。2020年10月15日〜21日実施。学生の男女4,457名(中学生535名、高校生1,568名、大学生2,354名)
フィット感、跡がつかない、通気性、メイクが崩れない、色調が豊富で肌色をよく見せたり服とのコーディネイトにメリットがあるほか、手洗いできる点が優れているため、幅広い年齢の女性に支持されている。男性もメイク崩れ以外の点を支持し、性別問わずファションアイテムのひとつになっている。ウレタンマスクは靴下や手袋なみの衣服に近いものとして受け入れられたのだ。
高校生Cは2020年夏頃からウレタンマスクを使いはじめ、年末にかけてサージカルマスクを嫌ってまったく使わなくなった。ウレタンマスクの装着感もさることながら、年上女性のファッション性への憧れがあった。しかしそれは発端であって、現在は友だちがみな使っていて当然となっているところが重要なようだ。
Cは両親からウレタンマスクの危険性を指摘され使うのをやめるように注意されているが一向に聞き入れる様子がない。口うるさく言ったあとサージカルマスクを使っているように見えても、目が届かないところでウレタンマスクに付け替えているのはあきらかだと両親は言う。
Cの言い分は「感染しない」または「感染するような場所へはいかない。感染するようなことはしない」だ。
これは感染するような場所へ行かず、感染するようなことをしないから、自分は感染しないという意味ではない。自分は感染するはずがないという思いがあったうえで、さらに感染源からも遠ざかる意識の高さと行動の慎重さがあるとCは言っている。
自分は感染するはずがない根拠として、Cの説明は曖昧になりがちだったがコロナ禍当初に言われていた若年層は症状が出ない、重症化しないという説が根底にあるように思われる。周りに感染した高校生はいないとも言う。
Cにとって感染する場所とは大人が出入りする酒場であり、自分が出入りできる店や空間で感染するようなことはしていないと思い込んでいる。ちなみにCはファストフード店や友だちの部屋などに集まってウレタンマスクすらせず長時間話し込んだり、遊んだりしている。感染力が強いデルタ株が蔓延してからも世の中のできごとに対して現実感が希薄で他人事のところがあるようだ。
だからといって、新型コロナ肺炎への恐れやコロナ禍が社会にもたらしているものへの不安がCにまったくないわけではない。家族が集まっている場でテレビがニュースを伝えたり両親それぞれの身の回りで起こったできごとを会話しているときのCは相応の反応を示している。
若年層は彼らの立場でコロナ禍初期から不安を抱えているのは間違いない。(TesTee Lab。2020年4月27日〜28日実施。学生の男女6,439名/中学生923名、高校生2,509名、大学生3,007名)
だが個人差が大きいものの年齢なりに経験が少なく、経験をもとにした想像力に欠ける。社会との接点が限られ、つながりも弱いことからコロナ禍のリアリティーが成人とはあきらかに違う。
周囲からどう見られているかをひどく気にする一方で、周囲とは同年代の同じ価値観を持つ仲間内に限られている。効果が期待できないウレタンマスクを気にする他の世代の他の価値観の人々との間に常識の埋めがたい溝があってもとうぜんなのだ。こうした常識の埋めがたい溝をCの側から表現すると、警告を出してやめるように言う層はダサくてキモいということになるのだろう。
1999年8月14日、玄倉川の河原でキャンプをしていた人々が度重なる警告に罵倒で応えるのみで居座り増水した川に流され13名が死亡したが、想像力の欠如は理解力の欠如につながり警告は単なる干渉、単なる嫌がらせと受け止められる。
では成人でウレタンマスクをやめられない人々はどうなのだろうか。効果が期待できないのを知らないなら別だろうが、警告されてもやめられないなら高校生のCと似たようなものかもしれない。
常識の埋めがたい溝がコロナ禍の明日を決める
国内がコロナ禍を意識したのは2020年1月20日の週だったかもしれない。それでもまだ今から思えば生活上の制約は少なく、3月末に志村けん氏が亡くなり、3密回避や手洗いの徹底等の指針が示された4月から私たちの暮らしは劇的に変わった。
“コロナはただの風邪”を掲げて都知事選に立候補した平塚正幸の活動で反自粛行為に注目が集まったのが7月だった。自粛を訴え自らも実行する人は“コロナ脳”と揶揄され、今まで通りに営業を続ける飲食店やライブ会場と客が全国的に目立ちはじめた。9月にはピーチ機マスク拒否男事件が発生し、堀江貴文も餃子店のマスク着用ルールに難癖をつけSNS上の同調者を煽った。感染者増加を防ぐための義務を果たすのはナンセンスとする人々が増え、2021年3月から4月にかけて路上飲み、闇営業などが野火のような勢いで全国に広がった。人々の努力にフリーライドする人と商売の増加だ。
自粛しないのは自粛に飽き飽きしたから、オリンピックが開催されたから、ワクチンの接種が進まないからであるとされメディアは「自粛疲れ」と呼んだ。だが実際には、前述のように2020年7月頃から義務を果たさない人が現れ以後増え続けたのは誰もが知るところだ。自粛しない人は、ほぼ昨年から自粛していない。遅くとも3月頃から感染者増加を防ぐための行動をやめている。
コロナ禍がさみしい、つらい、思い通りにならないことの連続なのは間違いない。精神的に追い込まれる人がいるいっぽうで経済的に追い詰められている人もいる。もちろん彼ら彼女らが原因をつくったのではなく新型コロナ肺炎の蔓延が引き金になって発生した不条理だ。
だが理由はなんであれ3密回避やマスクの着用などを怠るなら、これらの人は他者と社会を気遣う視点がまるっきり抜け落ちていると言える。
反マスク・反自粛の立場だった女性Bは、身の回りで新型コロナ肺炎の死者が出たことで家族の健康を考えずにいられなくなった。
「おばあちゃんが死んだ話から自分の家族を殺してしまうかもしれないと思えないのがわからない」
と言っているが、これは当記事で紹介したバーベキューパーティーを開催する人や第5波の渦中に居酒屋に腰を落ち着けて飲み食いする人やウレタンマスクをつけ続ける人にも当てはまる。さまざまな不幸が繰り返し報道されているが他人事ではないか。実情を見て見ぬふりをしているのか、想像力が圧倒的に欠如している。
今回の記事では自分が感染しない前提で暮らしている人の比率を示し、極端な行動の集団から離脱した人の告白を示し、いっけんどこにでもいる人々に見えて無責任な行動をしている層について考えた。
義務を果たしていて人々の功にフリーライドしている層が、第5波では感染蔓延の火種になっているのは明らかだ。ワクチンの接種率が順調に伸びつつもデルタ株等の感染力が強い変異株が消え去らないなら、この傾向はさらに強くなる。
9月になれば夏休みが終わり小中高生が登校する。気候が穏やかになり公私ともに人々の活動が活発化する。いっぽうで今後ワクチン接種の対象年齢が全国的に40代以下になり11月までに全対象年齢を網羅する目処が立った。このように感染者増加の要素と抑制の要素が拮抗する今秋が、新型コロナ肺炎の動向では分水嶺になるのではないだろうか。
感染者増加を防ぐ義務を果たしていない人々がワクチンを接種しようが、しまいが、コロナ禍以前の規範と生活を続けるならブレークスルー型含め感染者になる可能性が大きい。社会全体への蔓延を終わらせることができないかもしれないし、感染を局所に封じ込める結果になるのかもしれない。
去年から一貫して身を守る行動を取り続けている層にとって、あの人たちの常識との間に埋めがたい溝があり、彼らにいくら警告しても無理だと思い知らされてきた。だが、あの人たちがコロナ禍の明日を決め、この国の明日を左右するのだ。
最後にこの項で紹介した2020年1月、3月、4月、7月 、9月、2021年3月、4月がどのような月であったかコロナ禍カレンダーを使って振り返ることにする。
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コロナ禍がはじまった2020年1月
志村けん氏が亡くなり緊張感が高まった3月
3密回避、手洗いの徹底など私たちの暮らしの規範が激変した4月
コロナはただの風邪が注目された7月
感染者増加を防ぐための義務を果たすのはナンセンスとする人々が増えはじめる9月
路上飲みや闇営業などあからさまに自粛を否定する人々が目立ちはじめる2021年3月、4月