実感放送ってなんだ? テレビの幼稚化が止まらない
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著者:ケイヒロ
コーディネート・聞き手:ハラオカヒサ
はじめに
テレビ番組の幼稚さがとどまるところを知らない現状を問いたいと思う。
最近テレビを観なくなったと言う人が増えている。理由を訊くと「面白ければ観る」と返事がかえってくる。いったいどうなったら面白いと感じるのだろうとさらに問いかけると、積極的な提案より現在のテレビ番組の在り方を否定する言葉が続々と出てくる。
先日もTwitterに次のような声があった。
幼稚さだけでなく芝居がかった誇張や落ち着きのなさ、不要で過剰な演出を指摘する声は、これまでもテレビ番組が面白くない理由として表現を変えながらたびたび挙げられてきた。具体例を挙げるなら、専門的な知識がない芸能人に社会的重大事への意見を求めたり、事実を伝えるだけで済むのにクイズ形式を取り入れたり、印象優先のインチキなグラフを使って解説するなど枚挙に暇がないありさまだ。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
そこで当記事では、テレビ番組の「わかりやすさが幼稚さ」に「親しみやすさが低俗」になっている原因をあきらかにし、こうした傾向が報道番組でリアリティーを損ねるまでになっている問題を考える。
こうした話題では、テレビ番組の質と内容の転換点として「1980年代にフジテレビが『楽しくなければテレビじゃない』と言いはじめた」と指摘されるが、それよりもはるか昔90年前のラジオ時代からボタンの掛け違いがはじまっていたのだ。
それは90年前のオリンピック放送ではじまった
1932年に開催された第10回オリンピック・ロサンゼルス大会に、次々回の開催国に決まっていた日本が存在感をアピールするため大選手団を派遣する計画を立て、日本放送協会もオリンピック機運の盛り上がりを背景に初の実況放送計画を立案した。
ところが大会直前に協力関係にあったアメリカNBCから日本放送協会に実況放送が不可能になったと電報が届いた。実況放送ができなくなったのは契約金問題のこじれとされているが、背景にオリンピック構成員会(現組織委)の突然の方針転換があった。
開催日が近づいても世界恐慌の影響で寄付金が思うように集まらず、実況放送をすると入場券が売れなくなるかもしれないという疑念が構成委員会に広がったのだ。
NBCは自らも実況放送実現のため交渉を続け、NHKに対してもまだ見込みがあるからスタッフは日本を発って渡米すべきだと伝えた。実現の望みは薄っかったが、日本放送協会は計画通りの人員を送り出す決断をする。だがNBCと構成委員会との対立は深まるいっぽうで、日本側スタッフがアメリカに到着したとき実況放送は絶望的な状態になっていた。
せめて水泳だけでも実況放送ができないか渡米スタッフは交渉したが、アメリカ国内の実況放送がすべて取りやめになるとともに、日本への放送も完全に不可能になった。
それでもNBCはスタジオを確保してくれていた。そこで日本放送協会のスタッフは「実感放送」に踏み切った。アナウンサーが競技会場に出向いてメモをとりながら観戦し、競技が終わると自動車に乗り大急ぎでNBCのスタジオに向かう。スタジオに入るとあたかも目の前で競技が行われているかのように「実感放送」をするのだった。
実感放送であって実況放送ではないことは聴取者に事前に知らされ、アナウンサーが目の前で競技が繰り広げられているように演技をして臨場感を盛り上げたあとも、再び実感放送であると知らせている。実況放送ではないことをわかったうえで、聴取者はとくに問題を感じず、むしろ歓迎されたようだ。
なお実感放送とは筆者の造語ではなく、放送当時からの日本放送協会の用語である。
実感とは「物事から得る実際の感じ。また、実物に接したように、生き生きと感ずること」だ。実感放送は後者で、視聴者はアナウンサーによってつくられたライブ感を楽しんだのだ。
ここで考えておきたいのは、なぜ実況風にしなければならなかったのかだ。事後報告スタイルでも問題なかったのではないか。
実感放送への伏線
1927年2月、大正天皇大喪の様子を伝えるラジオ放送が行われた。だが、これも見せかけの実況放送だった。
大正天皇大喪の葬列を見送るため人々が沿道に集まるのは禁止されていなかったが、アナウンサーが葬列を見て実況放送することは許可されなかった。そこで沿道にマイクだけ配列して、その場所に葬列がきたことをスタジオへさまざま方法で合図を送り、アナウンサーは用意してある原稿を読んだのだった。
原稿は宮内省のチェックを受けていたため変更不可だったが、多少は実情に合わせた言い換えがアナウンサーによって行われたという。ただし実況ではなく原稿を読んでいることは聴取者には伝えられていなかった。
また1928年8月に行われた、昭和天皇の即位式も同じ形式で放送されている。
そして大喪と即位式のはざまである1927年8月に、日本ではじめてのスポーツの実況放送となった第13回全国中等学校優勝大会の中継放送が行われた。
この放送は日本放送協会大阪支局の企画で、支局の電波が届く関西圏に正真正銘の実況放送を行って大好評だった。好評を得て関東圏にも決勝戦の模様を伝えることにしたが、当時は番組を転送するマイクロ波の設備がないだけでなく有線網もなかった。そこで朝日新聞の協力を得て試合内容を記録した原稿を東京へ送り、これをもとに実況のような口調で放送をしている。
このとき実況風の放送をしたアナウンサーが、のちに第10回オリンピック・ロサンゼルス大会で「実感放送」に携わっている。大正天皇大喪があり、全国中等学校優勝大会が行われて、昭和天皇即位式があって、実感放送のアイデアと演技が生まれたのだろう。
前章の最後に「なぜ実況風にしなければならなかったのか」と書いた。理由のひとつとして聴取者の感情を盛り上げなくてはならないという焦りがあり、ふたつめに過去からの成功体験があったと言ってよいだろう。聴取者にライブ感あふれるサービスしてみたらとてもウケた、聴取者が求めるものは実感だ、だからロサンゼルス五輪でもやったということだ。
わかりやすさ。親しみやすさ。聴取者ウケ。これらを追求したことによって事実より感情的な演出が優先されたのである。
わかりやすい・親しみやすいの弊害
現在、テレビ放送のニュースはスタジオの広さを感じさせるセットが組まれ、アナウンサー数名がときに会話を交わしながら進行し、ここに街頭インタビューが挿入される構成がふつうだ。アナウンサーはスタジオを歩き回り、背景に合成される巨大な図表を指し棒で示しながら説明もする。番組の終わりには私語にすぎない挨拶をすることもある。
ところが1970年初頭まで、このようなスタイルの番組はひとつもなかった。
座ったまま真正面を向いて原稿を読み続ける報道スタイルは、1974年放送開始のHNK『ニュースセンター9時』で大きく変わった。
磯村尚徳氏は明るい色の襟幅が広い(偉そうなとも言える)スーツを着て、しかも視聴者に正体せず斜め向きに座っている。匿名的な存在で原稿を声に変える役目に徹していたアナウンサーから、個性を前面に押し出しニュースを伝えるだけでなく意見まで添えるキャスターの時代が到来したのだ。さらに上掲のリンク先を見てもらえばわかるが、キャスターの横に電話機が置かれている。
電話機はキャスターがスタジオの外にいる人に取材する様子をそのまま放送するためのものだ。いままでニュース原稿に解説や当事者の声として封じ込められていた識者や一般人が、電話を通じて生出演するようになったのだ。現在の、外部から番組に出演するビデオチャットの元祖と言える演出である。
原稿読むだけでは堅苦しいから、話しかけるように伝えるほうがとっつきがよくわかりやすいし、取材の様子をそのまま見せて生き生きとした感じを与えるほうがリアリティーがあり、ライブ感があり実感が深まる趣向だ。キャスターのタレント化も相まって報道番組は様変わりしたのだ。
このような『ニュースセンター9時』について、『テレビは変わる』(岩波書店)で朝日放送の社員だった岡村黎明氏は親しみのあるニュース番組をHNKに先を越されてしまったとする述懐をしている。
ここで話は冒頭に戻る。「日本のテレビ報道は幼稚ではないか」と感じるなら、それは海外(たぶん欧米諸国)のニュース番組と比較したときの感想だ。近年は動画配信で海外のニュース番組を観る機会に恵まれ、日本の報道番組との違いを実感する人が増えた。欧米諸国のニュース番組は『ニュースセンター9時』的であり、キャスターは磯村尚徳氏的だ。これは1970年代初頭、世界的にニュース番組のスタイルが変化した結果なのだろう。
ではなぜ、いま日本の報道番組は幼稚になったのか。
『ニュースセンター9時』でNHKが変化しただけでなく民放の報道スタイルも影響されて変化があった。アナウンサーがニュースを読む定時番組と夜のニュースショーの二本立てが定着したのだ。このとき日中に主婦層をターゲットにしていたワイドショーがニュースショーに影響を与え、ニュースショーもまたワイドショーに影響を与えている。報道番組はワイドショーの演出を取り入れ、ワイドショーにニュース解説や論評の要素が入り込んだのだ。
ワイドショーとは情報番組のことだ。情報番組とは「ドラマ番組や歌謡番組ではない」という程度のジャンルで、局内では報道部門ではなく芸能などを扱う部門が制作するものだった。情報番組にとってニュースは、視聴者に喜怒哀楽や驚きを実感させる話のネタだ。芸能人の失敗を笑うのと同じ番組枠内で政治家の不始末を怒るのが情報番組=ワイドショーの構造である。
報道番組が情報番組から取り入れたものは[わかりやすさ][親しみやすさ][聴取者ウケ]で、これは喜怒哀楽や驚きを実感させるポイントでもあった。1970年代半ば以降、報道番組は視聴者の感情や感覚に訴える演出が増えたのである。
報道番組がワイドショー(情報番組)の演出を取り入れてから、[わかりやすさ][親しみやすさ][聴取者ウケ]が送り手側の意図、受け手側の欲求ともに過剰になり、その後は送り手側が受け手の需要を見失って「わかりやすさが幼稚さ」に「親しみやすさが低俗」になって行ったのではないかと考えられる。
放送局の制作スタッフは「視聴者はこうしなかったらわからない。面白いのは悪いことではなく、わかりやすいから面白くなるし、面白くなかったら観てもらえない」と幼稚さや低俗さを弁明する。このように語る放送関係者に「番組で使われているインチキなグラフをどう思うか」と訊くと、「テレビは数学の授業ではない。あれはわかりやすく説明するための図だ」と答えが返ってきがちだ。
そこで「インチキなグラフは印象を操作だ」と問い直すと、「印象操作ではない。数学的に正しいグラフでは観てもらえない、伝わらない」と言われ堂々巡りになる。視聴者が求めているものは事実や真実ではなく、わかりやすさによって得られる喜怒哀楽や驚きの感情だと思い込んでいるのだ。
実況放送ではないにも関わらず大袈裟な演技をして伝えた「実感放送」はロサンゼルス五輪から90年が経過して、情報番組でお笑い芸人がはしゃぎながら報道ネタを扱う演出や、5W1H=誰が、いつ、どこで、何を、なぜ、どのようにしたかを伝えるためにクイズを出題して回答者の反応を一つひとつ見せる構成へと悪しき影響を及ぼしている。そして前述のように、報道番組にも悪影響を及ぼしている。実感、感興、喜怒哀楽に気を取られすぎた結果だ。
さて、電話でさまざまな人が生出演した『ニュースセンター9時』の画期的な演出を説明したが、似た趣向のものに街頭インタビューがある。次の章では、実感優先のもうひとつの例として街頭インタビューについて考えることにする。
街頭録音「ガード下の娘たち」から
1946年4月、NHKはラジオ番組「街頭録音」を放送した。NHKアナウンサー藤倉修一氏がコートにマイクを隠して潜入取材をする新趣向だった。
藤倉修一氏が向かった先はパンパンと呼ばれる街娼がたむろする有楽町だった。何食わぬ顔で彼はパンパンと会話する。
有楽町にたむろする街娼の生の声を伝えた番組は反響を呼んだ。現在の感覚では収録を告げずに録音した点を批判されるだろうが、これは黎明期のものであり現代の感覚で批判すべきものではなく、この放送によって蔑まされていた街娼の実態が知らされたことは重要だった。街頭録音のリアリティーが、受け手側が求めてたリアリティーを裏切り圧倒したのだ。
この後ラジオからテレビの時代になっても街頭インタビューは重視された。動画収録の機材が16mmフィルムカメラからビデオカメラになると収録から編集、放送までの作業が圧倒的に楽になったうえに作業時間が短縮され、ライブ感あふれる街頭インタビューを使用する頻度が増えて行った。
テレビのカラー放送開始から6年後の1966年、マーガリンのCM「ラーマ奥様インタビュー」シリーズが始まる。1981年に始まったシェーバーのCM「BRAUNモーニングリポート」シリーズは2003年まで続いた。これらはテレビ番組の街頭インタビューのパロディーだった。
ではなぜ街頭インタビューをパロディー化したCMが登場したのか。それは街頭インタビューがテレビ放送でしばしば見かける印象的な手法だったからだ。街頭インタビューのライブ感は「実物に接したように、生き生きとした実感」を与え、意見や感想の信憑性が高そうにみえる。こうした特徴を半分はそのままに、半分はジョークにしたのが例に挙げたCMである。
街頭インタビューの「実物に接したように、生き生きとした実感」を与えられる特徴は、「ガード下の娘たち」では新事実発見のために活用されたが、いつまにか想定通りの声を求めてインタビューが収録されるようにさえなった。番組制作者が伝えたい内容の論より証拠として一般人の声が使えるからだ。しかも取材も意見や感想の取捨選択の過程も公開されていないため、番組で使われた発言がどれくらい一般的なのか、逆に特殊なのかわからない。
さらに取材の形式をとったシコミ(やらせ)ではないかという疑いさえある。
2005年の「街の人」肖像権侵害事件以来、街頭を歩く人の姿をプライバシー保護の観点から放送しにくくなり、気象報道や天気予報の背景に流れる映像で汗を拭う人や雨に濡れる人をモデルや劇団員を使って撮影するケースが増えた。こうした時代性がどこまで関連しているかわからないが、番組制作者があらかじめ用意した人に街頭インタビューを行う例が増えたとも聞く。どう見ても同一人物が度々インタビューされているのに気づいた人もいるはずだ。
かつて筆者は新聞記者から「実名で登場できる人の名前を借り」たり「意図通りのことを喋ってもらえる人を取材して」記事を書くと聞いた。なぜそんなことをするかと言えば、新聞社や記者が主張したい内容の論より証拠として使えるからだ。朝日新聞が連載した『プロメテウスの罠』ではかなり偏った意見や虚構さえ証言にすることで普遍的な真実に見せかけ、この手法の集大成とも言うべきものだった。原発事故のあと東京町田市で男児が大量の鼻血を長期間にわたって流したとさえ言い、被曝した結果だとほのめかしたのだ。
テレビ番組の街頭インタビューに話を戻せば、世論の傾向を表したり代表的な意見として扱われがちなのに、いったいどれくらいの割合の人が同じ考えなのか、なぜその人の発言が放送に使われたのか、シコミではないのかとわからないことだらけである。しかし手法の性格上、これらの疑問に番組は答えてくれない。
『ガード下の娘たち』でリアリティーを追求して成功したのち、CMでパロディー化されるまでになった街頭インタビューが、いまやパロディーそのものになっていないだろうか。
消えてなくなると思う意識のすえに
ハラオカ(以後ハ)「実感放送はドラマ『いだてん』で知られるようになったかもしれません」
ケイヒロ(以後ケ)「だけど面白い逸話、いい話くらいで終わっているよね。忘れてしまった人も多いだろうし」
ハ「実感放送の変な部分は記事で説明済みですが、いつから気になっていたのですか」
ケ「かなり前ですね。久米宏やニュースステーションの会社と言うほうがわかりすいと思うけど、『オフィス・トゥ・ワン』という制作プロダクションがあって、1963年に創業するのですが、Wさんという草創期から発展期のメンバーだった人と知り合って仕事をして聞いたのが最初。オフィス・トゥ・ワンは放送作家のマネージメントをしていたんですよ」
ハ「かなり昔から放送業界にいた人ですね」
ケ「ラジオからテレビ全盛時代に移り変わるのを内側から見ていた人です。この人の口癖が、“消えてなくなるものという意識がいつか放送を全滅させる”でした。局だけでなく家庭にビデオが普及する時代になっても、番組は放送したら消えてなくなるものと制作者が思っていることへの批判でした」
ハ「いまはネット配信もあります。まだ消えてなくなると思っているのでしょうか」
ケ「たぶんそうでしょう。やったもの勝ちだし、いつまで経ってもインチキグラフをやめようとしないし。そもそもリサーチがいい加減で、調べ物に時間とお金をかけない。これはわかりやすさ、親しみやすさの間違った解釈にも関係しています」
ハ「というのは?」
ケ「ちょっと長くなりますが実話で説明します。Wさんはオフィス・トゥ・ワンをやめたあとフリーの構成作家兼コピーライターでした。晩年の仕事にラジオの生放送があって漫才師とスタッフが週一回商店街とか農協とかへ行くんですよ。この生放送に同行する機会があって、ところが移動中のトイレ休憩のときスタッフが電話をかけたらそこでやるのが無理になったのがわかって」
ハ「いきなり?」
ケ「そう、いきなり。事件が発生しちゃって警察が規制線を張ったとかなんとか。そこで局とのやりとりがあって……」
ハ「生放送ということはもう時間がないですよね」
ケ「でも放送しない訳にはいかないから、場所を変えるほかなくて。なんとか行き先は決まったけど用意していた構成からネタまで全部使えなくなったんです。これは提供スポンサーの商品宣伝番組でもあるから、その場所の話題と生CMがうまく噛み合わないとおかしなことになる。到着するまでにWさんが博覧強記の教養から土地の歴史や特産物とか知識をフル動員してネタ出しをして、到着したらおばさんたちまで集めて取材をはじめてるんですよ。ささっと手書きした簡単な台本で漫才師にポイントをレクチャーしながら打ち合わせをして、とにかくはやかった。放送しながら現地の特徴を活かした生CMまでつくって、オンエアは成功でした」
ハ「さすがプロ中のプロですね」
ケ「Wさんだからできたとも言えるし、そうでもないとも言える話なんですよ。なぜこんなことができたかというとラジオ番組は放送したら消えるものと考えているからで、残ると思っていたら恐ろしくてできないと言うんです。現場を救う方法がそれしかなかったから昔の意識でやったけれど、間違ったことを書いたり指示したかもしれない。やっつけ仕事だと。これをまったく気にしないなら、なんだってできる。ようするに幼稚な演出も、インチキグラフも、仕込みの街頭インタビューも消えてなくなると思っているからできる。その程度の責任感。Wさんが30分くらいで大慌てでやりくりした生放送と変わらない状態かもしれない」
ハ「それ以下って気もしますよね、常習犯では」
ケ「わかりやすい、親しみやすい、ウケるという直感で誰かが決めて、“それいいっすね”と放送までいってしまう。責任の所在も曖昧。だけど消えてなくなるものだから、みんな忘れちゃうだろうという。こういうのが1960年代から変わっていないのを、Wさんはいつか放送を全滅させると言っていたわけ。その通りになりました」
ハ「番組づくりが、ほとんどTwitterで話をする感覚ですね」
ケ「そういえば、このまえ新潟の土地の成り立ちをツイートしていたでしょ」
ハ「あれは新潟に行くまえに教えてもらったことですね。あー、私が自分の知識みたいに喋ったから怒ってるとか(笑)」
ケ「いやいやいやいや、知識は誰のものでないし。ああいう風にサクっと教養を口にできるのは重要なんだと、これまでも言ってきたことです。教養をすぐ取り出せたのがWさんで、これを間近で見ていたから大切さがわかる。ところが、いまどきの番組は……」
ハ「つくっている人に教養がないということですね。教養があればそんな態度で情報を伝えらるはずがない、と。というか、おかしいものをおかしいと気付くと」
ケ「はっきり言って、ないでしょう。プロデューサーやディレクターはそれなりの高学歴だったりするけど、教養はちょっとね。そんな人たちがTwitterでバズらせようとするような感覚で情報番組をつくっている。喜怒哀楽の感情優先で煽っている」
ハ「報道番組も影響を受けてるって話でしたよね」
ケ「ネットニュースだけでなく新聞でさえ釣りタイトルが全盛で、ミスリードを誘って記事を読ませようとしています。これは放送でも見かける現象です」
ハ「彼らの焦りを感じますね。しかも、わかりやすさ、親しみやすさ、ウケるといった感覚がずれてる。だから何か知りたいと思ったときテレビは選択肢からはずされる」
ケ「以前はネットは嘘ばかりと言われて、こういうのは10年前でさえあったと思うけど、いまやテレビ番組の位置付けは完全に逆転しちゃった。リテラシーがないとテレビを観るのもつらい」
ハ「Wさんは、こんな時代がくるのが見えていたんですね」
ケ「リアリティーの感覚もだいぶ違ってる。番組制作者は真実みがあると思っているんだろうけど、多くの人がリアリティーを感じられなくなっています。番組制作の意識が1960年代から変わっていないという話をしたけど、90年前の実感放送でズレた感覚が修正できまいままここまできてしまったのかもしれない。放送業界、すくなくともNHKは実感放送の功績を讃えていて問題意識をまったく持っていないから」
ハ「ズレた感覚で番組をつくったら、幼稚で低俗なスタイルに自縄自縛になって延々とやり続けるのも問題ですよね。昨日ツイートしたんですけど、チコちゃんは必ず怒らなければならない、ためしてガッテンはガッテンと納得しなければならないことで情報の精度やまとめかたがいい加減になってる」
ケ「その話はまた別の機会にやりたいね。今回の記事は手始めで入り口だろうから。ただ何をどうしたところで、地上波テレビは致死性の病に罹っていて手遅れなんだけど」
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PRESIDENT Online版 続編
当記事を踏まえてワイドショーに代表されるテレビ番組の問題を解説。
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