オープンレターと法治 歯止めなき感情の暴力
有料設定ですがすべて読むことができます。当記事はキャンセルカルチャーを中心に、個人の問題や心情を政治的なものとして扱い、法で認められている範囲を超えて要求を飲ませる運動について対談形式で考えます。
対談:圭ヒロ(ケイヒロ)、ハラオカヒサ
感情が前提であることを誤魔化してはいけない
ハラオカヒサ
「このところ騒がしかったオープンレター問題を考えたいと思います。ただし人名を挙げたり、できごとを詳しく書くと内容証明が届いて記事の公開が危うくなる可能性が指摘されています」
圭ヒロ
「そういう例が報告されているよね。だからあの人たちの名前を挙げない世間話をして記事にしてみようと。例のオープンレターは言論の自由を守る闘いだったはずだけど、賛同するのはよくても批判が許さないルールが一方的に決められたみたいだからね。私たちには言論の自由がないという理解でよいのかな」
ハラオカヒサ
「言論の自由──そういう建前がなかったらただの報復ですね」
圭ヒロ
「キャンセルカルチャーとかコールアウトカルチャーってそんなもの。どれだけ言い繕ったところで、かなり横暴な自力救済以外のなにものでもないし、すくなくとも日本では自力救済は認められてません。相手に有無を言わせないし、反論さえできなくする自力救済がキャセルとかコールアウトという看板をつけただけだね」
ハラオカヒサ
「もう、これが結論ってことでよくないですか」
圭ヒロ
「はい。体育館の裏に呼び出して言うことを聞かなかったら酷い目にあわせるぞとか、帰りの会で黒板の前に立たせて糾弾するとかと同じ。もっと言ったら存在を消すこと……殺すとか地下牢に押し込めておくっていうのと変わらない意味なんだ怖いよね。これを英語にしたら民主的で画期的な解決策のように見せかけられるなんて、ひどい話なんですよ」
ハラオカヒサ
「報復したくなる出来事がまずあって、このとき感情を害した人がいたというのは間違いないですね。あのオープンレターでは、あの人が怒ったのが発端です。これは誰も否定できません。でもいつの間にか政治の話で世の中を変える運動になってました」
圭ヒロ
「いつの間にか政治になった、ではないと思うんだ。そういう建て付けにしなかったら自力救済と吊し上げそのものの構造が見えてしまう。だから政治にしなければならなかったし、“The personal is political”という方針が昔からあって……」
ハラオカヒサ
「“個人的なことは政治的なこと”というアレですね。これはフェミニズム発祥と言ってよいのかな? 私ひとりの問題でも、あなたひとりの問題でもない社会の政治の問題というスローガンと言ってよいと思います。これでわかるように、運動の出発点は個人の体験から生まれた感情です」
圭ヒロ
「Metoo運動を考えるとわかりやすいと思うよ。私はセクハラされて傷ついて不安で怒りが解消できないという経験と感情がまずあって、私もそうですと声をあげる。これはひとりの問題ではないという表明です」
ハラオカヒサ
「それぞれ事情と体験が違うけど問題は同じ。私はではなく、私も。こうやって賛同者を増やして個人的な体験ではなく政治にして、制度や体制を変えることで解決しようとしている」
圭ヒロ
「頭にきたならそのまま対処すればいいだけで、人間の文化には穏当な解決策がいくらでもあるし、法律にだって定められているわけですよ。それでは力がないから政治的にする。さらに理不尽さに対抗するだけでは物足りない人がいて、法のうえで義務がないことも求めるとか、法で定められている以上の報復をしたくなってキャンセルカルチャーに頼ってる」
ハラオカヒサ
「糾弾する側と応援する側は頭にきた、なんとかしてやりたい興奮や鬱憤を、社会を変えるためといった定型文で誤魔化しちゃダメってことですね。体裁にこだわりすぎだったり、自己正当化のためだったりで、原点にあった個人の感情の問題を漂白しちゃうから、誰にとっても落とし所がなくなっていると思う」
圭ヒロ
「和解で解決できなくなるんですよ。G氏の場合を見てもそうで、和解したあとも続いているでしょ。もともとの原動力はあの人の怒りには違いないけど、漂白されて抽象的なものにされて、つまり政治になった怒りが、賛同者を巻き込んだまま暴走している。このままだとG氏は救われないよね」
ハラオカヒサ
「G氏はそこまでひどいことをしてないですよ。しかも、例のあの人はいつまで経っても怒りを解消できていないみたいだから、オープンレターのキャンセルカルチャーは誰も救ってない。賛同者はといえば自己正当化を叫び続けていて、あれは威嚇なんだけど悲鳴に聞こえる」
正義と開かれた議論に関する書簡
圭ヒロ
「あのオープンレターの発起人たちはG氏が職を追われるなんて思ってもみなかったし、そんな意図はないと言っているのだけど、だったら個人対個人の法的解決に任せればよくて、いつまでも政治にみせかけた糾弾文をネットに晒し続ける必要もないよね。アレにG氏の名前が何回連呼されていたか」
ハラオカヒサ
「賛同者を募る方法も稚拙で、実在しない人や名前を使われた人がいて、取り消しを求めてもすぐ削除されなかったり。緻密な検証は忙しいからできないと言わんばかりの発言をする人もいて、そのわりに青識亜論氏が賛同しようとしたら弾かれたりとめちゃくちゃすぎて目も当てられない」
圭ヒロ
「この場であれこれ言うと内容証明が届くかもしれないから、有名な声明を引用すると“組織の指導者たちが混乱したまま熟考しない”となるよね」
ハラオカヒサ
「“A Letter on Justice and Open Debate”ですね」
圭ヒロ
「これは重要だからくどいくらい言っておかないと。日本語に訳すと“正義と開かれた議論に関する書簡”で、なかでも核心的な部分を抜き出してみると“言論や思想の侵害と見なされる行為に対して、迅速かつ厳しい報復を求める声がいまやあまりにも一般的になっています。さらに問題なのは、組織の指導者たちが混乱したまま被害を必要最小限にしようと、熟考された改革ではなく性急で不釣り合いな処罰を下しています”といった感じかな」
ハラオカヒサ
「記事を読んでいる方にもっと説明しないとまずいと思います。トランスジェンダーに懐疑的な発言をしてキャンセルカルチャーの標的にされたJ.K.ローリングも署名している声明で、153名の学者や作家が賛同しています。あのオープンレターとスタイルが似ていると感じる人がいるかもしれないけど、真摯さがまるで違うので全文を読んでもらいたい」
圭ヒロ
「例のオープンレターをやっている人たちは学者や編集者だから、この声明を知らないわけがない。こういう声明を出さないとならないくらいキャンセルカルチャーが表現の自由や人権を踏み躙っているのを知っていてとうぜんなんですよ。ここに書かれているのはまさに自分たちがやっていることなんだし、その間違いがはっきり指摘されてます。なのにまだやってたのか、内容証明を送ったりしてたのか、反省ひとつしないのかってことになりませんか? とうぜんなるでしょう」
ハラオカヒサ
「間違いを素直に認められないなら、手法だけでも反省すればよいと思う。こういう収拾策もあったはずなんです。職を追われるなんて思ってもみなかったという発言が100歩譲って事実だったとしても、キャンセルカルチャーに歯止めが効かせる仕組みがひとつもないのは、どう考えても間違ってますよね」
圭ヒロ
「歯止めがないのをどこまで意識してたかわからないけど、法律上の義務ではない要求まで飲ませようとする期待があったわけ。そんなつもりはなかったから責任を負う気はない、っていうのは都合がよすぎる。それとも法の枠組みを知らなかったとでも言うつもりなのかなあ。これが邪推だったとしても、暴走への歯止めがないのを知らなかったなら幼稚というか知恵の使いどころを間違っている」
歯止めがないヤクザなやり口への憧れ
ハラオカヒサ
「“個人的なことは政治的なこと”が手段の目的化になっているのではないかと感じます。反原発運動や反差別運動にも手段の目的化があって運動を劣化させたけど、一時的に勢力を拡大させるのには成功しています」
圭ヒロ
「主語が大きくなると、大きくなったぶんだけ間口が広がるのはまちがいないでしょう」
ハラオカヒサ
「個人的なことではなくなるから間口が広くなってとうぜんです。だから参加者を増やす目的にも使われるし、数だけでなく正当性が強くなって見えるのもありますよね。こうなると、ほぼ正当性だけ欲しくて寄ってくる人もでてきます。挙げたらきりがないけどフェミニズムにもとうぜんこういう人がいる」
圭ヒロ
「原発や差別の運動にデモで暴れられたらいいっていう理由で参加しているのがたくさんいたからね。あのオープンレターでは突然イキリ立ってエンコ詰めとか言い出した学者がいて気分が悪くなったけど、ああいうのは自分の暴力性を発散したい輩じゃないのかなあ。そうやって強く見せかけたい」
ハラオカヒサ
「電車のなかでタバコを吸って刺青をちらつかせたホストがいましたね」
圭ヒロ
「いたね。あいつも“個人的なことは政治的なこと”にしてれば何か違ったかもしれない」
ハラオカヒサ
「あんなのが集まって政治にして……なんて手が付けられないでしょうに」
圭ヒロ
「でもね、刺青はいれてないけど例のオープンレターでは随分と下衆いことをやっている」
ハラオカヒサ
「自分の暴力性と向き合ってこなかった人たちだからできること、という気がしますね。暴力は腕っ節だけでなくて口先の暴力や財力の暴力もあります。誰だって暴力を内に秘めていて、自分の優っている部分を武器に相手に向かうじゃないですか。こうした自分の凶暴さから目を逸らして生きてきた人は、喧嘩のやりかたがわかっていないし、加減を知らないから危なっかしくてしょうがない」
圭ヒロ
「力加減がわからない子供が大人にものすごい勢いでぶつかってきたりするけど、そういうことだよね」
ハラオカヒサ
「エンコ詰めだけでなく、ほかのも合わせてヤクザのやり口を真似るのが好きな人たちかなという印象があります。キャンセルカルチャーやコールアウトカルチャーの脅しや吊し上げがまさにそれっていうのもあって」
圭ヒロ
「自分の暴力性をどうやって手懐けるか模範がないから規範もない。喧嘩も対人関係のひとつで調整機能だけど、自分の暴力性と向き合ってこなかったというのは、これまでの対人関係が実につるっとしたものなんでしょう。まともに喧嘩をしてきたことすらないわけだから、どっかで見たり聞いたりした暴力団の仕草をまねるほかないし、ああやって誰かを屈服させたり惨めにさせたり人生を破壊するのに憧れるのかもしれない」
ハラオカヒサ
「それにしてもエンコ詰めなんて言うのは、いまどきヤクザ以外考えられないですよね。忙しいから署名者を確認できないというのもモラルが狂いすぎているし。どちらも恥ずかしいだけでなく人として失格じゃないですか」
圭ヒロ
「学校裏サイトじゃあるまいし、あんなことをしようって段階で相当ズレてるんですよ」
感情の暴走を許す風潮のこれから
ハラオカヒサ
「これからどうなると思いますか? あの人たちがさらけ出してくれたおかげで同じような手法は使いにくくなった気がします。もうオープンレターのやり方に手垢がつきまくっています」
圭ヒロ
「MeTooは伊藤詩織さんがいて、だいぶ間があってKuTooへ行ったけど、メディアが取り上げないかぎり反響は限定的なものだとわかってしまったところがあって日本では収束したんだよね。例のオープンレターについては、KuTooみたいにメディアが取り上げかたはなかった。無邪気にもてはやせないよね、アレは」
ハラオカヒサ
「最初から限定的で、これからも先がない……」
圭ヒロ
「どうなんだろうね。TwitterやっていないならG氏が誰でどうなって、あの人たちが何したかなんて知らないよね。だから手垢はついていないかもしれない。しかも、手法は別として感情の暴走を許す風潮のままキャンセルカルチャーだオープンレターだという看板を付け替えて、法治を無視したリンチが行われるんじゃないかな」
ハラオカヒサ
「法律で解決しようとしないのは、“個人的なことは政治的なこと”で体制や制度を変えると言い始めたのがスタート地点にあって、コールアウトやキャンセルカルチャーから目をつけられたくないから黙る人が多くて、メディアも触れたがらないっていう、なんかどうしようもない連鎖が原因っぽいな」
圭ヒロ
「キャンセルカルチャーそのものを支持しなくても、メディアが感情を暴走させるのを否定しないか、助ける役割をするなら第二弾、第三弾があるだろうね。感情を扇動しがちなのがテレビに限らず報道なので油断しないほうがいいと思うけどね」
ハラオカヒサ
「感情的なのもそうだけど、“個人的なことは政治的なこと”という煽りはメディアと相性がよさそう。というか、好きだと思う」
圭ヒロ
「いずれにしても、それが何であっても感情を暴走させる運動で歯止めがないし法で義務のないものを要求するようなものは、徹底的に批判し続けないとダメなんだよ。暴対法ができるまでの時代に逆戻りさせられない」
ハラオカヒサ
「何ひとつ違法でない言論に内容証明を送りつけれたら面倒くさくてたまらないから、名前を出さないでこんな記事にしましたけどね。きっとオープンレターだけでなく、キャンセルカルチャーには法律で防衛するのが主流になるだろうし、あんまりヤクザなことをするならお礼参りが普通になると思います」
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