麻雀との思い出
どうも、後輩と仕事をして思いのほか早く作業が進み昼前に終わったので
「何食べたい?」と聞き
「ラーメン食べたいです!」と言われたので
「そうか、行ってらっしゃい!」
と答えたもっさんです。
そんな後輩とは毎日じゃれついてます。
さて、今回は『麻雀との思い出』というのでお話をしたいと思います。
遡ること20年前、父が時々、居間で友人達と麻雀やっていました。
その時は(うるさいなぁ…)としか思っておらず、ゲームだとかおもちゃで遊べないのがストレスでした
そして高校生に。
高校でできた友達が麻雀を教えてくれて
「アカギ」にハマりました。
麻雀牌が家にあるときは、祖父と2人で麻雀。
ゲームではPSPの「麻雀格闘倶楽部」、パソコンは「天鳳」と「雀龍門」をやり、学校の休み時間はガラケーのアプリで遊んでました。
当時好きだった役はトイトイ。誰からでも鳴くことができ、4枚あるなら和了れるだろうと思いポンポンポンポン鳴きまくってました
社会人となり東京へ。
ゲーセンに通い格闘倶楽部をプレイしてました。
3ヶ月が経ったある日、同じく関東に居た麻雀を教えてくれた友人が会社を辞めることに。
最後の思い出として「メイド喫茶」と「雀荘」に行きたいと言い、2人で向かうことに
メイド喫茶はコーヒー1杯とチェキで1500円くらい支払ったので、正直楽しさが分からず二度と行かないことを決意。
そして初めての雀荘デビュー。慣れないながらも全自動卓でやる麻雀に興奮し、2回半荘し私はプラス終了。
友達は負けてしまったので「あそこはダメだ」なんて言い、青森へ帰りました
そこの雀荘に毎週通うことになった私。
ノーレートの卓もあったので、毎週昼から夜までずっと打ち続けてました
ちなみに、その雀荘で緑一色を和了りましたが、リアルで初めて和了った役満となり、クリスマスに和了ったのを今でも覚えてます
2年目に東京から神奈川へ異動。
神奈川から雀荘のある秋葉原までが遠かったので、横浜にある2号店に通ってました。が、そこのお店が摘発されてしまい閉店に。
と同時に、神奈川での先輩からパチンコを教わり麻雀からパチンコへと変わっていきました。
パチンコでの失敗談は後日「ギャンブルにハマったお話」でしようかなと
話は戻り、神奈川では副支店長から、「接待麻雀」に連れていかれました。
雀荘での経験を活かせるかと思いきや最悪の事態に。
マナーも何も無く、私がツモると対面まで勝手にツモり、切る準備をし始めます。
私が牌を切ると、タンッ、タンッ、と対面まで速攻切りますが、下家が切った牌を上家がポンすると、対面は切った牌を戻し、手牌から多分ツモッた牌を山に戻しますが、実は要らないのを戻したんじゃないかと今でも疑問に思ってます
そして、1局終わって「もっさん、もっと早く打って!」と指摘されました。
18時〜5時まで打たされボロボロに。
ですが、良いカモと思われたのか、社長から連絡先を聞かれ交換してしまいました。
何回か行ってる内に事件発生。
毎回同行してくれた副支店長が、奥さんの具合が悪く帰宅。
1人で打っていたら、同卓してた社長から出たソーズの9をロン、
九蓮宝燈を和了りました。20歳の時です。
ゲームやYouTubeでも九蓮宝燈の説明は何回も見てきて、「ちゅ、九蓮宝燈…」と言ったら
「はぁ!?ソーズで九蓮はないだろ!いいか?九蓮宝燈はマンズだけの役満だ!ピンズは大車輪!ソーズは緑一色!現代の甘々なルールをココに持ち込むな!」と叱られましたが、和了りは和了りだったので、
清一色 跳満12000点を貰いました✌(´>ω<`)
それから数年、そこの雀荘に行くのはやめ、横浜駅近くの雀荘に月1ペースで行き、スマホで時々ゲームをする程度になりました。
麻雀熱が出たのはここ2〜3年前。
麻雀は全く興味無い友達が急に雀魂を始め、聞いてみたら推しのVTuberがやってるのを見てハマったと。
Mリーグの話も聞き、見てみたら伊達朱里紗さんが打ってるのを見て(キレイな人だなぁ)と思って調べたら同い年と分かり、伊達さんを応援しつつまた麻雀の魅力に惹かれてしまいました。
そして、現在。
雀魂で魂天目指しつつ、様々な大会に出場。トーナメントの大会しか出てませんが最高順位は3位。
今後はリーグ戦にも出場してみたり、プロテストを受けてみようかなとも考えてます。
点数計算やポイント計算、牌効率、覚えることは山ほどありますが、好きなことへの勉強は止まらないものですね。
またゲームではありますが、天和、和了りました✌
これでリアルとゲームで和了った役満は
四暗刻、大三元、緑一色、九蓮宝燈、天和
となりました。
国士無双はまだなので、チャンスが来たら目指そうと思います
以上、麻雀との思い出話しでした。
長文、失礼しました
もっさんより( ˙▿˙ )
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