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7/12休職日記 和解

休職したての頃は、仕事のことは一切忘れてね、貴方は休むことが仕事ですよ!
と当時の医師から言われ続け、なんとか忘れようと努力した。が、30年も仕事してきた私にそもそも忘れるなんて無理だと悟った。そして医師に、忘れるなんて私には無理です!と伝えた。
あれだけ忘れなさい!を繰り返していた医師だったが、私の勢いが良すぎたのか、
ま、そういう人もいるよね。
と、あっさり諦めた(なんだったんだ!)
人の言葉の重さって、発する側と受ける側でこんなにも違うのか、とちょっとだけ腹が立った。
忘れる事を仕事にしてたのだから、余計に思い出すわけで、それが逆によくない場合もある、という、典型的な人、それが私だった。

休職していても、職場で信頼出来る人とだけは繋がっていたい。それは今でも変わらない考えだ。
とは言え友人と言える人は一人。その友人に復職するかしないか、どこの部署に復帰することになるんだろつ、などを話した時、職場は友達を作るところじゃないし、生きてるだけで丸儲けだよ、もっと長期で休んでる人もいるし、これは人生のラッキータイム、焦らず、流されてれば良いんだよ!って言われたことがある。
なるほどな、と思ったり、私も逆の立場ならそれは言えるなぁと思ったり。
ただ、その友人とは、あの動画笑えたよ!とか、これ見ると面白い、とか、たわいもない話をすることで、社会と繋がっている感覚があった。これは心の支えの一つだ。

そして本日の本題。
私が休職に至った一つの理由として、他の人にパワハラをしてる暴言が辛かった。一番心に残ってるのは「もたもたすんな!なにやってるんや!あほか!」という、大切だった部下が上司を毎日怒鳴るという逆転?の言葉の暴力とその怒りの姿が私に向けて言われてるかのような、そして、その人の怒りを鎮める術がない無力さが辛かった。
またそう言われて、ごめんなさいごめんなさいを繰り返す上司を見て、とても心が痛かった。
言葉というのは、その人の本性が出ると思う。普段は良い人、それでも、目が座り暴言を毎日何度も吐いてるのを見て、眩暈がして吐きたくなり、少しずつ食事も取れなくなった。

ただ、時間が経ち思うことがある。
それは、その人自身が病んでいたと思う。
もともとの気質とは言え、あれだけの暴言を吐くにはきっとやり場がなく、その矛先が私や上司だったんだろう。
だからと言って、許せることとそうでないこととがあった。だから苦しかった。

でもふっと、私もいつまでも過去を引きずって思い出しては苦しんでる。楽になりたいなと思うようになり、思い切って連絡を取ってみた。

こんにちは。
色々ご迷惑お掛けしました。

いえいえこちらこそ、本当にすみませんでした。

パワハラだとか、暴言だとか、私の力量不足だとか、そんな事は一切話さず、和解したのだ。

そして、彼は人事異動で周りが変わり、元の彼に戻り本性を隠し仕事に邁進してるようだった。

やられた私が休んで肩身の狭い思いをしてる。
そう、思わなくもない。まだ全てを忘れたり許せるほど余裕はない。
でも、明らかに、楽になったのだ。
だって、その人で頭を埋め尽くしてる、そんな時間があるほど私は若くないのだから。

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