と。がない世界はおもしろい。
「ヒトと自然との共生。」
この言葉が、屋久島に暮らして違和感のある言葉に。
一見いい響きの、この言葉にちゃんと違和感を持てるようになること。
このことが実は、屋久島のおおきな魅力のひとつなのかもしれない。
まわりの自然へちゃんとあいさつをする。
島に来たばかりの頃、
必ず最初の一杯の酒を地面にこぼして飲んでいた漁師さんに「なんでそんなことするんですか?」と、きいたら「最初の一杯は自然に感謝の一杯だ。」と答えた漁師さん
ガイドを始めた頃、
「山に入る前と無事帰ってきたときはちゃんとあいさつをするんだよ。そうすれば山で何かあった時でもかならず帰ってこれるよ。だから山の神様へのあいさつは忘れないでね。」と静かに諭すように教えてくれた下宿先のお母さん
川で遊んだ時に、
川に入る前に、川のなかにはがらっぱ(河童)がいるから「今から入ります。お邪魔しま~す。」とあいさつしろよとおしえてくれた島のおっちゃん
などなどここには書ききれないエピソードとともに、身の回りの自然にあいさつをすることを大切にする人・文化が島にはまだまだたくさんある。
しんどいときこそ、自然へあいさつ。
ガイドを始めたばかりの頃、
毎日毎日、山を歩いていれば
もちろん毎日最高の体調ということはなく、
ず~んと体が重くしんどい日もあった。
でもそんな日こそ、
宿のお母さんに教えてもらったあいさつを思い出して、より丁寧に、「山の神様、今日は体調がすぐれないけどよろしくお願いします。無事に帰って来れますうにお守りください。今日一日、自分たちを含めた山にいる人たち全員が怪我無く無事に下山できますように」
周りの自然に対して、その一言をはなって歩きだした日は、
不思議と奇跡のような晴れ間に出会えたり、気持ちの良い風にふかれたり、なにかに背中を押されているように気持ちの良い山歩きができるという不思議な体験を何度もした。
どんどん人と自然の境界がぼやけていく。
そんな体験を重ねるうちに、自分だけの力で歩いているんじゃないのかもな。毎日山で会う木々や風景、岩や草花たちといった自然からすこしづつげんきをもらいながら今日という一日の山歩きがあるのだなと感じるように自分の中に変化が起こっていった。そして、しんどい時こそ、素直に「今日は体がしんどいんだ。ちょっと力を貸してな」と森にあいさつをするような自分に自然に変わっていった。
しかし、そうすると
一体どこまでが自分の力で、どこからが周りの自然の力なんだろう?
という答えのない世界がたくさんあることにも同時に気づいてしまった。
川と海がまじわる場所で、
どこまでが川でどこからが海なんだろう?
という一見簡単な質問に答えられないように。
あいさつをすることの意味。
そうか。。。
自分の力だけで生きているんじゃないとうすうすどこかで感じているから、
人は自然に対してあいさつをするのかもしれないな。
だから島の人は身の回りの自然にたくさんのあいさつをするんだろう。
厳しい自然とともにいきてきたからこそ
丁寧にあいさつをすることで、
屋久島のパワフルな自然の力を味方につけながらともに生きてきたのだ。
人と自然の間に と。がないこと
丁寧に言葉に出したり、心で思ったりはそれぞれだけど
周りの自然に対してあいさつすることで
人と自然の間にある と。という境界はぼやけ
人も自然の一部となり、
人は自然の力をもっともっと活かしていくことができる。
人も自然の一部ときづいたとき、
大きく力強い自然の力とともにはぐくまれていく世界を
うみだすことができる。
こんな時代だからこそあいさつを大切に。
心に自然を宿して生きていこう。(今)