100年京都と1000年屋久島
今日は想いをかたちづくるもの。
Anchor Your Nature 心に自然を宿そう
というモスオーシャンハウスのコンセプトが、
うまれた背景にある、
言葉になるまえの物語について
書いてみようと思います。
タイトルの
「100年京都と1000年屋久島」
これ実は、
京都と屋久島でそれぞれ一人前と認められるまでに
かかる年数です。
京都のお店は100年つづいてようやく一人前。
いかにも100年以上つづく企業がごろごろある京都らしいものさしですね。
では、いっぽう屋久島は、
1000年生きてようやく島生まれの杉の木は屋久杉と呼ばれるようになります。
ちなみに1000年未満の杉の木は小杉と呼ばれます。
なので、屋久島は1000年続いてようやく一人前。
森の中で1000年どころか樹齢2000年、3000年と言った杉の木にごろごろ出会える屋久島らしいものさしですね。
ここに、ひとつ屋久島らしい魅力が隠されているなぁと感じます。
人間は頑張っていきれば100年は生きれる
でも、1000年は生きれない。
100年は人のものさし。
1000年は自然のものさし。
人の時間軸でなく、
自然がもつもっとゆったりとした時間軸で
世界を見渡すことができること。
これが一つの屋久島の魅力だなぁと。
屋久島には樹齢2000年とも7200年ともいわれる有名な屋久杉である縄文杉があります。
モスガイドクラブの創業期は連日、縄文杉にツアーガイドとして会いに行ってましたが、なんせ大人気の観光スポットである縄文杉の前は毎日人だらけで写真を撮るのが精一杯という状況。
あぁ、縄文杉の前でゆっくりのんびり過ごしたいなぁ。
と、思い立ち
ある時、山奥でひっそりと生きる夜の縄文杉にひとりで会いに行きました。
ちょうど新月だったこともあり、
夜は月明かりもなくまっくらやみ。
縄文杉にいざ会いにいってみると、
なんにも見えない。。。
ただ、そこにあったのは
しんとした森の静けさと、
なにかそこにあるどっしりとした命の気配。
夜の縄文杉と向かいあうように腰をおろし、
じっと眼をこらしていると、、
闇のなかからしだいにぼんやりと青白くうかびあがるように縄文杉のシルエットが見えてきました、、、
その時、、、
何度もきたことある場所なのにはじめてくっきりと。
水の音が聞こえてきました。
まるで、
青白く浮かびあがった
縄文杉のシルエットと響きあうように、
小さな川のせせらぎの脈打つようなリズムが
夜の縄文杉をつつみこんでいました。。。
この水とともに生きている。
縄文杉はもう何千年もの時をいきてきたのかもしれない。。。
でも今この瞬間、
目の前のたった今。
この水とともに生きている。
ただ、ただそのことに感動し泣けてきました。
同じ地球を生きる一つの命として
はじめて縄文杉と対話したなと感じた夜でした。
それまでは、
縄文杉という1000年のものさしで生きる命を前にしても、その大きさや独特な見た目やカタチ、どこから撮ればかっこよく写真に撮れるかという100年のものさしでその命をみていた自分。。。
一方この場所で、
数千年をいきる命をはぐくんできたのは、、、
遠い海から運ばれてきた水蒸気が山に雨をふらし、大地にしみこみ、縄文杉の傍らで小さな川のせせらぎとなりまた海へと還っていくという、
水のめぐりとつながりという1000年のものさし。
森川海をつなぐ水のめぐりとつながりが
たえまなくこの場所でくりかえされてきたからこそ、
今この瞬間も
縄文杉というひとつの命がどしんと健やかに
島に息づいている。
モスの現在のコンセプトとなっている、
海が森をそだて
森が川をうみ
川が里をうるおし
森川海とのめぐりとつながりがうまれる里の暮らしへ
ひとしずくの波紋がひろがっていくように
心に自然を宿す世界を地球の未来に描いていこう。
の原型をカタチづくっている
ひとつの縄文杉とのエピソードです。
先の見えない時代だからこそ、
屋久島は、
1000年というゆったりとした自然のもつ時間軸で
あらためて大切なものは何か?
この命を育んでいるのは何なのか?
という大きな問いをあたえてくれる大切な存在だなとあらためて感じています。(今)