【番外編】インド24日間一人旅~私のインド人「彼氏」の話~
10代最後の夏、私はインドで一人放浪していた。
…という話は何度もしてきた。
放浪しながら様々な人のお世話になり、今でも連絡をもらえることがある。
そんな私にインド人「彼氏」ができただと?
一つ断っておこう。私にはちゃんと日本人の彼氏がいる。え?ますますどういうこと?そう思った方もいるだろう。
私のインド旅後半は、彼の話抜きには語れない。
これは私に「愛」を教えてくれた、あるインド人のお話。
出会い
彼の名はJBという。
旅も折り返し地点を迎え、デリーからわずか280kmの場所にあるジャイプールに着いた。
「4000ルピーで市内を1日連れ回してやるぜ」と勧誘するリクシャー運転手をやり過ごし、観光地ハワ・マハル(見出し画像参照)に到着した。
非常に大きな建物で、ど真ん前で降ろされても全体像を写真に収めるのは厳しい。
道路を渡って反対側の道から撮ればいいかと言えば、それでも綺麗な写真は撮れそうにない。
どうしようか、と考えていたら向こう岸から呼ぶ声がする。
「ジャパニー!!こっちへ来い!綺麗な写真が撮れるとこに連れてってやるよ!」
こっちこっち、と言われるがままに怪しい階段をずんずん昇って奥に行くと、素敵なカフェが現れた。
そのカフェを突っ切って奥のテラスに向かう。
「ジャパニー、ここから写真を撮ればハワ・マハルの全体像が綺麗に撮れる。
何てたってハワ・マハルの目の前だからね。
大丈夫、このカフェは僕のお兄さんが経営してるから出入り自由!」
壮観だった。
晴れ渡った青空の下「風の宮殿」という名にふさわしく、珊瑚色のハワ・マハルの上では爽やかな夏の風が吹いていた。
その時私はすでにインド滞在1週間を超えていて、向こうから声をかけてくる人には応じないメンタルができあがっていた。
しかし、不思議なことに私は目の前にいるこの男——JBに付いて行ってしまったのである。
”JB”なる男
これは感覚的な話になるため、言語化が極めて難しいのだが、JBはそれまでインドで出会った男性の中で一番信用に足る人だった。
他の詐欺師めいたインド人同様、過剰なくらい世話を焼いてくれたり、「愛してるよダーリン」「my sweet heart」「君は大切な人だからね」など惜しげも無く言ってくるのだが、JBが他のインド人と決定的に違う点が2つある。それは
・行く先々で垣間見える彼の人徳
・しつこくない
ということだ。
「インド人モインド人ノコト信用シナイヨ」とコルカタで言われたのだが、行く先々で人々はJBのことを歓待し、もてなした。
また、兄貴分なところがあるようで、
恵まれない家の青年を自分の店の専属リクシャーにして彼を助けたり、
一度店に来た外国人たちが再訪する時にはあれこれを手配してあげるなどしていた。
「僕はお兄さんと弟妹がいて大家族なんだけど、僕が家族全員の(金銭的)面倒を見てるんだ」
とも言っていたため、おそらくJBは人々から尊敬を集めているのだろう。
「しつこくない」という点に関しても話を広げよう。
インドの詐欺師・ナンパ師めいた男たちは、とにかくしつこく粘着してくる。
その点JBは、
17時を過ぎたあたりから「一人で出歩くな」と言ってきたり、
夕飯を食べた後は「早く帰りなさい」と言ってくれたり全然粘着しない。
ヤリ目でもなさそうだ。
正直インド特有のウザさに疲れきっていた私はここに来て、真面目な人もいるものだと気づいたのだった。
青春のやり直し
出会った次の日から私はJBのいる店に通いつめた(用事があったから)。
JBはその度に自分のバイクでジャイプール中を連れ回してくれた。
観光地や地元の美味しい店だけでなく、
問屋の工場や親戚の家、仕事の外回りにも連れて行ってくれた。
あまりに彼の店に足を運んだため、近所の店の客引きは私に声をかけなくなった。
「ハーイお嬢ちゃん、また来たの?あいつ待ってるぜ」
と言われるまでになった。ほぼ顔見知状態だった。
ジャイプールにいる間、JBのお兄さんにも会う機会があった。
「お嬢ちゃん、JBは君と会ってから頭がイかれちまったよ」
JBのお兄さんは、
彼が見ず知らずの女性にこんなに尽くすことなんてしないこと、
JBの口から「素敵な女性がいるんだ」と言われた母親が驚いて気味悪がってること、
そしていかにJBが小さい頃から真面目かを滔々と語った。
人の良さげなお兄さんは最後に真面目な顔でこう言った。
「うちの弟を狂わしちゃうなんて、君は一体何者なんだい?」
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青春漫画のような日々が続いた。
ロマンチックな青春とは無縁な私にとって、これはある種
「充実した青春を送れた人側の世界線」
での生き直しだった。
私も最初はガードを固めて警戒していたが、次第に自分の置かれている状況を楽しむ余裕が生まれた。
忘れがたいのは、深夜にバイクで市内を駆け巡った時の話だ。
その時サリーを着ていた私は、脚が開かないのでバイクに跨がれず、横向きに座るしかなかった。そうやって座ると、JBは少し驚いた顔をして少し笑いながらバイクを発進した。
「JB、なんで笑ってるの?」
「その座り方どこで覚えたんだい?」
「だってサリーじゃ足が開かないからバイクに跨がれないじゃん」
「ダーリン、その座り方はインド人の奥さんがする座り方だよ」
夜11時の道路は昼間ほどではないにせよ、多くの車とバイクが走っており歩いている人も少なくなかった。誰もが我が物顔で走っていたが、JBが一番得意になって走っていたような気がしている。
「ほら、みんなが見てるよダーリン。みんなきっと、君のことを可愛い僕の新妻だと思ってるよ!」
街灯の下を走るたび、赤いサリーについているスパンコールがキラキラと光る。JBは得意顔をしながら、ヒンドゥー語の歌を大声で歌い始めた。
ものすごいスピードで向かってくる風の音にも負けないくらい大声だったので、通りにいた人全員が私たちを見ていた。
いつもならじろじろ見られるのは恥ずかしいと思う私だったが、その時はなぜだかとても可笑しくて、
今走っているこのジャイプールの道があたかも私とJBのための道であるような気がしてしまい、私もJBの後ろで大きく笑ってしまった。
別れ
ジャイプールは3日ほどで去るつもりだったのだが、なんだかんだ5日も滞在することになってしまった。
本当はあと2週間ぐらい沈没していたい気分だったが、残り4都市を目指して前に進まなければいけなかった。
ジャイプール最後の日、詳細は割愛するが私は自分のモヤモヤとした感情をJBにぶつけてしまう事件が起こった。
「あなたおかしいよ、
私のことyou are my girlfriendとか言ってくるけど、
日本に帰ったらそんな会えないし、
まだ会って1週間も経ってないのにそんな人彼女にしちゃうわけ?
それに、私彼氏いるって言ってんのに、
なんでダーリンって呼んできたり、
大好きって言ってきたり、
僕をインド用の彼氏にしてとか言ってくるの??
彼氏が2人なんておかしいよ!!そんなのおかしいじゃん!!」
こんなに声を荒あげて何かを主張したのも久しぶりだった。
もちろんJBはびっくりして目を丸くし、しばらく何かを考えるように黙り込んだ。
そして、真面目な顔でこう言った。
「君に彼氏がいることは理解してる。
だけど、僕が君のことが好きだという事実は誰にも曲げられない。」
「出会ってからの時間が短いことが何だと言うんだ。
僕は商人だから商売に例えて言うけれど、
ビジネスにおいて一番大切なのは信用だ。
僕は絶対信用を失うようなことをしないと誓っている。
そのおかげで、商売も上手くいってる。
家族も養えてる。
みんなが僕を信用していることは、君も見てて分かっただろ?」
「それに、君にハワ・マハルの前で声をかけてから
今日までの間、僕は君に何かひどいことをしたかい?
君は僕にずっと付いてきたじゃないか。
僕のことを信じていたってことだろ?」
「もし、君が僕にダーリンと呼ばれることで
彼氏に対する義理が通せないと言うなら、
ダーリンと呼ぶのはやめる。
my girlfriendって呼ぶのもやめる。
君のインドの彼氏(boyfriend)であることもやめる。
だけどどうか、君のことを愛すことと君の友達(BOY friend)でいることを許してくれ。」
あーインド人って口上手いなあ。
いっつもこうだ。
こう呟いて、いつものように心にガードを張ろうとした。
しかし、その時私は心の底からそう思えなかった。
涙が出てきた。
店の外で泣き始めたので人だかりができてしまい、
JBは慌ててリクシャーを止め、私にゲストハウスに帰るよう言った。
「明日はタージ・マハルに行くんだろ?早く帰って寝るんだよ。寝る前に僕に連絡をおくれ。」
JBがそう言い残すと、間も無くリクシャーは発進した。
リクシャーはずんずん風を切って進んだ。私は泣くまいと前を見ていたが、涙はとめどなく流れ頬を伝った。
悲しかったのではない。
幸福だったのだ。
JBの言葉が嘘だろうと全く構わなかった。
ただ、こんな自分にも「愛」を見せてくれる人間がこの世にいた、
その事実が私はたまらなく愛おしかったのである。
ゲストハウスに帰って、私は日本にいるに彼氏に電話をかけた。
彼は電話の向こうで号泣している彼女に困惑していたに違いない。
私も泣きながら、なんで彼に電話をかけたのかさっぱり分かっていなかった。
感情に語彙力が追いつかなかったがゆえの奇行、と言うのが一番正しいのかもしれない。
愛ってなんなんだろう?
出会ったばかりだから。知らない異国人だから。
そのことが、相手を信用しない・愛さない理由にはなり得ない。
そうJBは伝えたかったのだろう。
お互い母国語以外の言語で意思疎通をはかり、
少ない語彙で紡いだ拙い文を送り合う、
たったこれだけのことしかできない相手であっても
信用に足る人間か、愛すべき人間どうかはまた別の場所に存在するということだ。
一般的に、愛や信用は長年の積み重ねによって生まれるものだと言われている。
しかし、JBは出会ったばかりの私の中に信用と愛を見出した。これは一体どういうことなのだろう。
それを考える鍵は、私が泣いた理由を考察することにあると思う。
今だになぜ泣いたのかはっきりとは分からないのだが、
別れのタイミングで泣いたことを考えれば、
別れるのが悲しかったと理由付けするのが自然だろう。
しかし、もともとドライな性格ということもあって
「別れが悲しい」という感情が自分の中に湧いていたそのことが、
私にとって一番の驚き・疑問なのだ。
別れが悲しい。つまり、精神的深いつながりが存在していたということ。
この命題の逆は偽であるが、この命題自体は真である。
見ず知らずの会ったばかりの人間を愛す。
私側に関して言えば、JBからの「愛」を受けた結果、
私の心にJBに対する「愛」が芽生え始めたということである。
愛を授けることができるのは、愛を受けた者だけなのだ。
JBが出会ったばかりの私に愛をくれたのは、
きっと出会ったばかりの彼に愛をあげた誰かがいたからなのではないだろうか。
これは確かめようがない。ただ、彼の過去に思いを馳せるばかりだ。
余談にはなるが、
あの時の私には、JBの愛を選ぶという選択肢もあったはずだ。
しかし断固として選ばなかったのは、
やはり私は、日本にいる自分の彼氏への愛を
心の根底に持っていたからなのだろう、
としか言えない。
JBの愛が、私の中に眠る愛の存在を
呼び覚ましてくれたのだと私は思う。(了)
(おまけ)後日談
その後二週間ほどインドをうろついていたのだが、
その間もずっとJBが様々なことを手配してくれた。
おかげさまで、治安が心配と言われているインド−パキスタン国境付近の都市・ジャイサルメールも、
なんの不安もなく過ごすことができた。
インド最後の日、JBはジャイプールから6時間バスに乗って
デリーのインディラ・ガンディー空港まで見送りに来てくれた。
空港行きのタクシーに乗りながら、JBが語りかけてきた。
「僕は普段、こんなことはしないよ。ずっと家族を支えるために十五歳の時から働きづめで、出張以外で遠出もしたことない。」
「それに正直僕も、君が本当にデリーに来て僕に会ってくれるのか不安だったし完全に信じていいのかどうか疑っていた節はあったんだ。」
「ジャイプールからデリーまで直行バスで六時間だよ?もしこれで君に騙されていたら僕は相当な無駄足じゃないか。だから、もしかしたら騙されたかもしれない、無駄足だったのかもしれないって思っていた。」
「だけど僕は六時間かけてデリーまで君を見送りに来た。そして君はちゃんと会ってくれた。つまり僕も君も、互いのことを心の底では信じていたってことなんだよ」
異国の地で二週間前に出会ったばかりの見ず知らずの男を信用し、
ここまで来てしまった事実を、
私はずっと自らのことながら信じられないでいた。
しかし、
「あーインド人って口上手いなあ」
なんて思う私はそこにはいなかった。
私はこの三週間の間に出会ったインド人たちのことを思い出していた。
彼らは皆
「明日なんて分からない、今という瞬間を楽しんで生きるべきだ」
と言っていた。
その通りだ。この国はそうやって回っているのだ。
果たして目の前にいるこの男が本当にそう思って言ってようと、
嘘をついていようと今の私に何か不利益はあるだろうか。
今この瞬間に漂うマハラジャとマハラニの会話のような、ロマンチックな予感を楽しまない手などあるだろうか。
そう、これは旅なのだ。明後日には日常に戻らないといけない身だ。
そして、明後日が本当に私に与えられるのかどうかなんて、誰にも分からないのだから。
私はタクシーの窓を全開にした。相変わらずインドの空気はどよどよと湿っていたが、私は構わず淀んだ空気を、これでもかというほど目いっぱい顔に浴びせた。