眠れない夜に
あなたは、眠れない夜を過ごしたことがあるだろうか。
私は夜眠れない。
苦かった水の味、色彩が溶け出す三月の雪国、遠くで息をする恋人、未だ見ぬ異国の気球。夜は過去と未来が行き交う静かな時間なのである。
波打った表面のガラス窓の向こう側で、遠くへと走り去る赤いヘッドライトがゆらゆらと消えていく。
部屋いっぱいにぴんと張りつめた空気と私を隔てるものは薄い布団たった一枚。布団の中に時折混じる仄かな冷たさで、今日は雨上がりの冬だったと思いだす。
夜は、音もなく、光もなく、街も人も眠っている。
夜はなにものも私の邪魔をしない。
だが、夜は私が眠る邪魔をするのだ。
淡い闇の中、1人静かに行き交う記憶の断片を繰り返し繰り返し眺めている。