まとめⅨ「お門違いのあんち」
いま、ツイッターで、「aiko」と検索欄に入力すると「メンヘラ」と予測が出てくる。
発端は、スカパラ×aikoのMステ出演を終え、感極まったaikoの写真をツイッターで掲載したことによる、ニュース記事が出たことのようだ。
その記事を真面目に読むのも、メンタルヘルスに来そうだったので、斜め読みして感じたことは、執筆するのも大変そうな言葉の羅列。最近は、このような「炎上もの」についてただ述べるだけのネットニュースが多い。
確かに、該当ツイートを見たとき、「あ~やっちまったな」とファンながらに思った部分はある。
ライブでも彼女自身が「最近は何でも叩かはるからな~」とよく嘆いている様子も知っていたから、このツイートによっていわゆる「アンチコメント」を呼び寄せることになってしまったことはなんとも皮肉な結果であった。
「ピンチはチャンス」
しかし私が思うに、彼女の魅力は「メンヘラ」を超えたところにある。
この「メンヘラ」という言葉は、単なるネガティブな側面にすぎず、それを超越した世界で、彼女の独特かつ鋭い感受性が作品を彩っている。だから率直に言うと、「メンヘラ」で片づけられる次元で生きていない。もしかすると、この騒動を経て、もっと新しい音楽の境地を開いてくる可能性すらある。
そのキーワードともいえるのが、「ピンチはチャンス」。
これは、彼女の座右の銘として挙げている言葉である。
先日も、ライブアーティストとして、絶大な人気を誇る彼女のライブハウスツアーの最終日が、まさかの中止を余儀なくされるなか、エンタメ界でも先陣を切って「無料無観客ライブ配信」に打って出た。
次いで、King Gnu井口との「カブトムシ」、新曲「青空」発売、スカパラとのコラボ、その時を得たように解禁となったサブスク配信も話題に。
まさに「ピンチ」を「チャンス」にする地力の強さを思い知るほどだ。
その人「らしさ」を消す言葉
ただ、このような達観した物言いは、彼女の才能あっての想いであるが、冷静に考えて、このような「アンチコメント」は必要なのか。
ネット上で文字としてみると、どれだけ無力な「アンチコメント」すらも、なぜか強力な刃に見えてしまう。そこにネット社会の怖さがある。
ネットに匿名で悪口書いちゃう奴、一回まじでバチ当たって欲しいけど、現状よりもちゃんと幸せになってくれたらいいな。そんなとこにずっといたら心が死んじゃうからな。みんなまとめて幸せになれることを願う
これは、先日King Gnu井口のツイッターでの投稿。
言った側にバチが当たるかどうかはどうでもいいが、ここまで俯瞰して人や物事を見ていかなければならない有名人としての強さを思わせる。
悪口は、その人「らしさ」を打ち消してしまう言葉になる。
人の行動や物事をネガティブに受け取ってしまっても、感情を流す力を養い、自分のエネルギーを消耗する時間を惜しんだほうが身のためだ。
その側面自体が、魅力となっていたり、低い次元での氷山の一角の可能性がある。そうなっていたら、これ以上の恥はない。
閉塞的な時世にあって、あふれかえるネガティブな言葉に埋もれそうな瞬間がある。
そんな時こそ、バランス感覚のある正しい情報の選別(と発信)を心がけていきたい。
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