不幸だと思った『HSP』を認めて生きることにした
おそらく私は強度のHSPです。
HSPを簡単に説明すると『感受性が強くあらゆることに対して敏感で、気にしすぎてしまう生まれ持った性質のこと』
今はそこまで人の目を気にしなくなったけど、HSPを知る前はとても人目を気にしていました。
HSPを知ったのは新社会人のときでした。
当時は職場の雰囲気に馴染めず、ミスしてはしばらく落ち込み、誰かがヒソヒソ話しているのが聞こえると(私のことかな…)と怯えていました。
そのことが長く続いて適応障害を起こして休職。
「HSPじゃなければ幸せだったんじゃないか」と思う時があります。
休職期間は色々悩み、その時ネットで色々調べていた所HSPに出会いました。
これを知った当時の私はHSPに疑問を持つことは無く、大変ありがたく思っていました。
「なんだ、生まれ持ったものなんじゃ仕方ないのか!」と霧が晴れたような感覚でした。その後2週間会社を休んで復帰した時、なんだか強くなれた気がしました。気持ちが切り替わり、今の会社を辞めることはなく今も勤務して5年が経ちました。
あれから自分はHSPだ!という自覚が年々薄れてきましたが、あらゆることが気になる面を見るとHSPは治るものじゃないと気付かされます。それを悟ったと同時に、最近少し煩わしさを感じるようになりました。
「HSPってめんどくさいな」
HSPじゃなければもっとキビキビ動けてたのか、物事をはっきり言えるようになってたのか、細かいことが気にならなくなったのかとマイナス面ばかり目に行きます。
実際にHSPが世間に広まった時、『甘えてる』『努力してないだけ』『周りのせいにしてる』などの厳しい意見は少なくありません。
確かにそう言われてしまえばぐうの音も出ません。でも心のどこかでは抗いたくて、プラス面を考えました。HSPは辛いけど、本当にマイナスなことばかりだったか?と考えると案外そうでもありませんでした。
人の目が気になる、人混みが苦手、大きい音が怖いなど、これらの敏感性で生きづらさの原因になるHSP。
それでも、幸せに対する敏感性も充分高いと思います。
私がHSPでよかった点について1つ挙げるなら『幸せの沸点がとにかく低い』ことです。
天気がいいだけで幸せ、ご飯が美味しいだけで幸せ、よく眠れただけで幸せ。特に日常生活に大きなことは求めていません。
私は今、休日の晴れた日に近所を散歩するだけで幸せです。
「こんな小さなことで幸せになれるのコスパいいじゃん」と思うようになったら、一見地味な生活でも楽しく過ごせます。
それでも変わり映えのない今の生活にヤキモキすることはあります。
その時は、有名ですがスヌーピーの言葉を思い出します。
配られた手札がどれだけジョーカーだらけであろうと、どうにか勝ち筋を見出すしかない。でもジョーカーは何にでもなれる強いカード。勝つのは困難でも、いつか強い武器になれると信じて戦う。
とはいえ争いごとは苦手なので、勝負せずに和解できないかな。もう休戦してお菓子食べながらお茶しようよ。
スヌーピーの言葉を借りて青臭いことを書いてしまいましたが、結局は誰とも争いたくありません。
生きづらさの原因なんてHSPだけに限らず、本当に複雑な要因が絡み合ってできるものだと思います。
それでも、些細な喜びを忘れずに生きていたいと思う今日この頃です。
誰とも戦わず、穏やかに暮らしたいと日々願っています。