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猫のはなしだけじゃなくてごめん、今

初夢は見なかったし大きい猫(やや)の初七日もふんわり終わった。
祖父祖母の葬式には参列したが私は初七日その他◯回忌等法要?の感覚を知らない。

実家が某信仰宗教をやっていたせいか初詣お盆等々をした覚えがなく私には「身についていない」。塾でもらったお守りも燃やされた。まさかそのせいで血の繋がった家族も「私から一般的(だろう)弔いをして貰えない」とは思わなかっただろう。でも私は「知らない」ので。

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猫の話を期待して来た方には申し訳ない、Twitterにはたびたび書いていたが、ややが死ぬ前から実家終いの手続きを行っていて、個人的な感想だと「けっこうしんどい」。転げ落ちないようやっている。他に誰もやる人がいないし。
私の戸籍は、養子詐欺を疑われているのかな?という雰囲気になったり「戸籍に父親の名前が乗ってないなんて無いでしょう!」と言われたりする(乗ってない事あります)。私がこんな戸籍にした訳では無いからどうしようもない。でも皆死んだので1人になった。なんとなく気分も軽くなった気がするし戸籍も軽くなったが存在も軽くなってるんだろうか。

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不明な点があったので日本年金機構へ行ったらどうも話が噛み合わず、また何時間もかかってしまった。
年末に行った郵便局では手続きに3時間半かかったし申請中だから終わってない。

手続きがどうも煩雑で、それは私の性格のせいかやり方のせいか戸籍のせいかわからない。どれも理由かもしれない。
指のさかむけを掻きむしってしまった様な気持ちになって家に帰ろうとして「届いた荷物を局にとめていたな、明日は多分家から出られないな」と思い出し引取に行った所、友人からの贈り物が届いていた。彼女が描いてくれたややの姿人形だった。
中に骨が入れられる。

底には私が「ややに合う花だ」と火葬の時に入れたチューリップが描いてあった。サイズがわからないからと2つ。
「知らせを聞いてすぐ作ってくれたんだろうな」と思って、その気持ちが「自分へ差し込むひかり」に思えて、「今日は本当に疲れたなあ」と思って、けっこう泣いた。


以前にもこの友人から、猫2匹の姿人形をいただいている。

今、その人形2匹を並べ水とカリカリをお供えしている。
上のツイートをした時には死ぬなんて思ってなかったが本当に「心の寄りどころ」の小さなイコンになった。写真よりも「ややだな」と感じるのは、立体だからだろうか。「描いてくれた彼女からはこう見えたんだ」という事が「杖」になるからだろうか。とても優しい顔をした人形だから。お供えして、頭を撫でている。

右側がやや、寂しい雰囲気にしたくないから今の猫の人形も並べた。後ろに見守りもいる。

人形を貰った時は「うちの猫、こんなに穏やかな顔だっけ」と思ったが、ややが死んだあと写真を見返したらそっくりだった。わたしには訴える時の顔が1番記憶に残ってるし、直近では死んだ時の顔だ。だんだん血の気が無くなっていく顔。
でも人形は穏やかな顔をしているから、それを見ると「こんな顔していたな」と正気にしてくれる。

私の腕にもたれるやや。この写真が1番好きかもしれない。

ややが死んだ時の年末の日記を「もう読んでも大丈夫だろうか」と読んでみたらまだ駄目で心がヘナヘナになった(書いたのはよかったと思ってる)。
ややが死んだことは自分のせいだと思うし、裁かれなければいけないという感情がぼんやりある。でもややの姿人形の表情は優しくて「私はいいんだろうか」なんて考えてしまう。
負の感情もわたしが生み出した結果の感情で、それを「自分に悪影響だから」と捨てるのはひどい事じゃないんだろうか。「ときぐすり」という言葉はずるくないか、そう思うのがくるしい理由か、しょうがなかったのか、猫の事も実家のこともしょうがなかったのだろうか、ときぐすりって記憶を風化させる事だけどそれの意味なんかあるのか?あるか、どうしようもなかったと思う為にときぐすりなんて言葉があるのか?

なんて事をスーパーのレジに並びながら考えていて、ふと「スーパーのレジに並んでる時まで、つらい気持ちになる事を考えなくていいのでは…」とへんに覚めた。

「どうしたらよかったのか」と考えてしまう事がこころの中に増えてしまった。でも多少の経験値があるので、過去に人を巻き込んだうえで大変になった事を思うと、1人で良かったし、その記憶も波の様に繰り返して段々波が小さくなったのを経験上知っているし、「悲しいことをじっと見つめて考え続ける」のではなく「そこにあるな」と生活をしていった方が良いのかもしれないとも考える。
捨てる必要はない。でもある。あるだけ。

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ややの骨は枕元に置いてある。 
まだ骨を直視する勇気がないので、しばらく経ってから人形へ入れようと思う。2つあるから小さい方にはヒゲと毛を入れるつもり。それくらいには季節も暖かくなっているだろうか。今は寒くて空気が澄んでいるから、遠くに雪山が見えて「綺麗だなあ、綺麗なものが見えて良かったなあ」と思った。

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ややと17年暮らせてよかった、親しくなったが結果続かなかった相手といた時間よりも長いし、実家に対して「もうだめだな」と思った中学生の私の年齢より長い。楽しい暮らしが最長になってよかった。もう少し一緒にいたかったが。いい話にするつもりはない、ややは死にたいなんて思ってなかったはずだから。

この日記と矛盾してるなと自分では思う話なんだけど、「セーラー服と機関銃」の歌詞が好きだ(各自検索してください)。あれにかかれてるような薄情な女が私は大好きだ。いつか私の事を薄情だと感じたら「本人の理想の女になったんだな」と思ってほしい。