レッサーパンダになりたい、じゃなくて、なった女の話(あと今年のまとめ日記)
私はレッサーパンダ(だと思いこんで暮らしている女)です。
それは置いといて、今年は、春に「近所の八重桜が咲いたなー」と眺めた記憶は現実味があって、そこから記憶が冬になっていて、一年終わった。あとは現実なのか夢なのかよくわからん、人との騙し合いや折衝や失礼なことをされた一年だった気がするから、はっきりさせたくない。
2021年の12月、死んでしまった猫(大) ややを雪の中カブで運んだのは、夢みたいな記憶になってきてるけど、忘れないような気がする。
命日だった今月は写真が見られない。
で、2017年から連続多発してた押すな押すなの人生転換期的な案件は、書類上では2022年でほぼ終わったらしい。もう少しバラけて発生して欲しかった。
(正直、本当に終わったのか…?と、まだビクビクしている)
内容は簡単に書くと↓ こんな感じ
(誤解を招くと嫌だから書くけど2件は私の責任割合ゼロ、一つはミラーが擦ってカブに乗ってた私が転倒、病院通うまでもない怪我だと思ってたら相手から訴えられ100万くらい請求され、衝突してない部分の傷まで含まれていたので弁護士立てた。結果弁護士に支払うお金だけで済んだ)
自分の身体が身軽に動くうちに、自分の意志で実家仕舞い…家のことをほぼ片付けられて本当によかった。
不動産屋には███あれと思ってるけど。
↓ 不動産のことはスレッドで
実家仕舞いについての感想戦としては、とりあえず死後の世界がないといいなーと思っている。
説教ならまだしも、ジッ…と怨みがましい目で見つめられそうな気がする。
不動産屋がぜんぶ悪いのでそっちへよろしくしてほしい。
建てたことをなぜか養母に自慢された墓石の、骨を入れる部分をよいしょ、と動かして手を突っ込み養母の骨壷を入れたんだが、チラッとみた内部が暗く、やたら冷たい空気で満ちていて、死後があるとしたらこんな空気なんだろうなあと思った。
で、レッサーパンダの話なんだけど(長くてすみません)
今年1年のこと、自分の閾値をこえたなーと思う。
17年一緒にいた猫が死んでそれを引きずったまま、人との折衝が自分に向いてないことはわかっていてもやらなきゃいかんし、とやってたつもりだったけれど「苦労は買ってでもしろ」なんて本当に嘘だなあと思う。
「自分が不当なことをされた」ことを認めてもらえなかったり「仕事だとよくある(仕事じゃない)」なんてとんちんかんな慰め?を受けたり、自分の知識の無さを後悔したり、そんなことが自分への歪みを生んでいたらしく、冬に入ったあたりから元々潜んでた「そもそも自分が産まれなければ良かったのではないか、そうしたら養母もそれなりに幸せだったのでは」という歪んだ芽がぐんぐん育ってしまったご様子で、やたら人に申し訳ない感情を持ち必要以上に謝ったり、今まで一度も見なかった実家の夢を何度も見て、それが毎回未だ実家に暮らしてる内容で、目が覚めて「夢でよかった…!」と安堵したり、起床即怒りの感情に囚われてたり、夢の中で誰かと誰かが早口で会話してうるさくて気分が悪く目覚めたり、そんなのが出てしまい、やっぱり苦労なんてしない方がいいし、よけいな事をして面倒を増やした不動産屋は███あれと再度思う(冗談ですけど冗談でもない結構本気)
症状の対応でお薬も飲んでたし状態異常も減ったので大丈夫かなーと思ってたんだが、やっぱり歪みが出てたんだと思う。Twitterにも「個人的なメールや会話は普通にやってますので」と書いてたが、自覚が無かった。
仲の良い友人との会話の最中、「その話はもう聞きたく無い!」と言われ、それを聞いて「ああー…」と自分の中で何かが切れてしまった。恥ずかしいな、とか、人との関わり難しいな、とか、過去の失敗とか、いろいろ無理だなーとか…
友人は言ったことすら覚えて無いほど深い意味では無かったみたいなので、文化が違うんだな、とか、私が嫌な感じだったんだろうなーと思う。
ただ、その何日か後から、嫌なことを繰り返し思い出すパターンに陥ってしまった。起きてる時なら本を読むか寝るかで避難出来る、しかし目が覚める手前の半覚醒時にもそれが出てくるので「つれえ、しんどい、もういい、しらんし…!」と嫌な走馬灯見てる別の脳の所で唸ってたら、なぜか突然
「自分はレッサーパンダだから、なんにもわからん」
と、脈絡なく、稲妻が走るように降りて(?)きて、納得(?)して、いま人間であることを諦めて(?)しまって…
だいぶ楽になった。
自分の中に何人かの自分がいるんだけど(接客業向きの自分・合理的なモノが好きな自分・美しいモノが好きな自分・小さい頃の自分等々)最近は「透明な自分」を作りそれを自分に被せて、嫌なことは無になってこなしてたから「これ精神的に良くないなあ」と思ってたけど、ここでレッサーパンダ出てきたかあ、謎の(精神)セキュリティ対策だなー…とか少し考えたけど、レッサーパンダなので気にしない。
昼夜逆転の生活も年末なのもニュースも食べる物も人の気持ちもレッサーパンダなので気にしない。快不快しかなくて不快からは逃げる。レッサーパンダなので。
自分、ちいかわの「モモンガになりたくてなったヤツの感情」が中部地方(愛知岐阜三重)で一番わかる女だと思う。
今年はいろんな方に気にしていただいて、贈り物を貰ったりして、そういうことで本当に心が助かりました。うれしかった。それで上手く飛び続け切り抜けようと思ったんですが、手違い(?)でレッサーパンダになってしまい「ねむい、ごはん食べたい、遊びたい、それやりたくない」しか今考えられず、申し訳ないです。
ゆっくり人間に戻しつつまたご連絡します。
健康診断も2023年に回しちゃったし、確定申告もありますので嫌でも人間に戻らんとダメなので、はい
2023年に期待するのがこわい。
おそらく今までに何度も飢饉や戦があって、沢山の人、大事な人が死んだと思う。それでも正月や祭りを行なってきた人々を尊敬してしまう。
私ならすぐやめる。
でも「期待」と「裏切られる」のはそもそも別の話で、そこに関係性はない。
ゆっくり人間に戻りつつ、セルフネグレクト気味な生活を見直しつつ、人生楽しみつつ「逃げ切りたい」
まだ自分には、好きなモノも興味のあることもやりたい事もたくさんある
みんな幸せになろうね、それぞれにね
【今年のいいお知らせ】
猫、ニーニィは元気です。今季の冬は「人間のお腹に乗るのはなかなか良い」を覚えた。拾った時から悪い左目の調子が悪いの治ってほしい(目薬はさしてる)
「親知らず全部抜く」という強い気持ちで曲がってないのも全部抜いた。喉が腫れやすいので。おじいちゃん先生が「忍びない」って顔してペンチ?でエイッて抜こうとしてる姿、人間味があってよかった。
生まれて初めて胃カメラやって慢性胃炎だったけど想像より悪く無くてよかった。幼稚園でお昼ごはん食べるとほぼ吐いてたし、そこからずーっと胃が健康だと思った時期がない+家族がガンで2人死んでるので、胃ガンくらいなってるかなと思ってたので。歯も胃カメラも、あと食べ物に気をつけるようになったのも、セルフネグレクトやめよう運動の一環。
お御籤ひいたら悪くなかった(悪かったら、年末に引いたって事で年明けて引き直すつもりだった)
このお御籤引く直前、トイレに忘れたiPhone、誰かが届けてくれて無事に戻ってきた。「失物出にくし」はノーカウントとする 拾ってくれた方に祝福あれ