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「正の贈与」と思春期の反抗について

親が子どもに与えられるものは、

「衣食住のケア」「体と心のケア」「教育」「人生の指針」といった正の贈与と

上で挙げたものを一切与えない(むしろ奪う)、負の贈与に大別される。

負の贈与は、いわゆる「虐待」「ネグレクト」とわかりやすいが、

正の贈与は、入社式についてくる親、ヘリコプターペアレント、過保護・過干渉と、行きすぎない限り目につかない。

「自分で決めたい、自分で責任を負いたい子ども」から、自立の意思を奪おうとすることだって、行き過ぎた正の贈与なのだが、負の贈与と違って目立ちにくい。

なぜなら、それらは、一昔前の母親が、当たり前に、むしろ、そうすることを美徳とされてきたような事柄だからだ。

中学生になっても、朝、学校に間に合うように起こしてやる。
なかなか、体操着を持ち帰らない子どものために、予備を一着余分に買う。
忘れ物を届ける。
学校で必要な品々の買い物を、本人に任せずに親が出向く。
宿題やったの?と聞く。

これら全て、過剰な正の贈与である。

親からすると、良かれと思って与えているケアであろう。

だが、これらを、拒否しないからと安心して与え続ける親は、子どもの自立を阻む。

手を離すきっかけを失う。
親離れできない子を育ててしまう。
子離れできない親に堕ちる。

うちの子には思春期の反抗がなかったと喜んではいけなかったのだ。

なんのことかというと、うちの息子の話。
いや、むしろ私の話か。

私はこれまで、息子にとって、良い母ちゃんだと自負していた。

望むことは全て受け入れてきたと思っている。

でも、息子が、嫌いで馴染めなかった「学校」には、ついに行かなくていいとは言えなかった。

私にとっては、それは、息子の望むことを受け入れられなかった唯一の汚点のように感じている出来事だ。

なので私は、それを息子に謝りたいと思っていた。

というか、もっと正直に書くと、謝って「いいよ」と許してくれることを期待していたのだ。

茹でガエルの話を息子にした後、

「私は嫌がる君を12年も学校に通わせ、じわじわと茹でてきたのではないか?申し訳ないことをした」

と伝えた私に、息子はこう言ったのだった。

「母ちゃんのその「自分が息子の人生をなんとかしてやらねば」という気持ちが、昔から重かった。これは、俺の人生なので、どんな悲惨なことが待っていても、それは自分で引き受けるから、母ちゃんはもう気にしなくていいんだよ」と。

なんとなんと!
そう言えば前にも、息子には「母ちゃんからの過剰な正の贈与は受け取らないよ」と宣言されていたのに。( その話はこちら

ここは息子の成長を喜ぶところだろう。
めでたく親離れできた彼を讃えるべきところだろう。

なのに、子供の自立が寂しい私は、その答えに凹んだ。

そんな答えが欲しかったわけじゃないのに、と思った。

家を出ていても、気持ちの上では、頼りにしてほしい。

いつまでも子供でいてほしい。

溺愛できる可愛い息子でいてほしい。

私、明らかにそう思っている。

手が離せないのは私だと思い知った。

そして、そのまま二晩過ぎた。
モヤモヤ、うつうつ。

でも。

ああ、書くって不思議。
書いてるうちに、整理されてだんだん落ち着いてきた。

息子の受取拒否は予告されていたし、自立のための当たり前の成長だったのだ。

予告してくれていた分だけ、優しい思春期の反抗だし、

彼は過剰な正の贈与の受取を拒否しただけで、別に私を拒絶したわけではない。

こんな私が育ててきたのに、むしろ、よく育った!と褒めたたえるべきところだ。ちゃんと自分で責任を取ろうとしているなんて!

私は別に凹むこともなく、今まで通り、彼の一番のファンでいて構わない。

ただし!

息子の手を離せない理由は、私が「お母さん」という役割を手放せないからだ、とわかった以上、

もう、意味のなくなった「お母さん」にしがみつくのはやめて、

新しく自分のすることを見つけよう。

子育て支援は、息子の居場所作りから始まった活動。
彼のために、プレイパークを作ろうとスタートした活動が変化して今に至る。

そうではなく。

私の中にあるものから、新しい何かを始めたいと思う。

いつになるかはわからないけれど、それに出会うまでは、ダラダラすることを自分に許して、空いたところに入ってくる何かを待とうと思う。

それはもしかすると、結局これまでと同じものなのかもしれないけれど、今は何も見えないので、正直よくわからない。

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はんだあゆみ
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