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「磯焼けをなんとかしたい」その一念で離島に技術を学びに行った人の話

 2024年4月、長崎県の離島・壱岐いきに地域おこし協力隊として名子朋宏なご ともひろ(46歳)さんはやってきた。彼は島で、種苗しゅびょう生産業務の傍ら、磯焼け対策の検討・研究、試験的実施、ブルーカーボンの取組を担当する。平たく言えば、海の資源再生プロジェクトに参画するのだ。
 水産資源豊富な壱岐いき島の周辺でも、年を追うごとに魚介類の水揚げが減っている。貝や魚たちが育つための藻場もばが壊滅的に減少しているためである。名子さんは、壱岐いき藻場もばを再生する技術を身に付けて、磯焼けに苦しむ日本の海を救うために、家族7人での移住を決めたのだった。

壱岐の海は砂浜がとてもきれい

僕は海がないと生きられない

僕は、福井県敦賀つるが市というところで生まれ育ちました。地図で言うと、右の青丸が敦賀つるが、左の青丸が壱岐いきです。約600㎞離れています。

僕は、壱岐いきに来るまで、壱岐いきがどこにあるのかもよくわかっていませんでした。何しろ、人生で一度も訪れたことがない島に、いきなり移住を決めてしまったのですから。

人が聞いたら笑うかもしれませんが、僕はある生きものに海を託されて、導かれるようにここにやって来ました。今日はその話をしたいと思います。

僕の生まれた敦賀つるが市は人口7万人に満たない小さな町ですが、美しい日本海に面した暮らしやすいところです。僕は子どものころから、海が大好きで、海と生きてきました。磯で釣りをしたり、浜で泳いだり、熱帯魚を家で飼育したりという遊びばかりしていました。大学生になるとサーフィンを覚えて、ますます海にのめり込みます。自分の生活に、海がない状態を想像できませんでした。

大学卒業後は海に関わりのありそうな仕事をしたくて、福井県の水質処理会社に入社したのですが、ここでなぜか、東京支社勤務を命じられてしまいます。しかも業務内容は、浄化槽や排水処理施設の設計や見積もりといった、海から遠く離れた現場でする仕事ばかりでした。たまの休みに海に行こうにも、渋滞する道路を車で2時間も3時間もかけて辿り着いた海は、人だらけでかえってストレスをために行くような状態でした。

子どものころから贅沢な自然の中でしか遊んでこなかった僕には、東京が苦しくて仕方ありません。狭い部屋で思い出すのは、綺麗な故郷の海のことばかり。恋しくて、帰りたくて、なんとか敦賀にUターンしようと、全く畑違いの建材メーカーに転職することにしました。それが、壱岐いきに来る前までお世話になった会社です。20年務めて、機械工作や設備保全の知識と技術を叩き込んでもらいました。(結果としてそれが今役に立っているので、人生、何がどう転ぶか本当にわからないと思います)

敦賀つるがに戻ってからは、希望通り幸せな海との蜜月を送ることができました。相変わらず、釣りをしたり、サーフィンを楽しんだり。敦賀つるがは海がきれいで魚がよく釣れ、しかも近畿圏に近いため、釣り人が押し寄せてきました。人のいない穴場だった磯が人だらけになってしまい、困っていた時にSUPに出会います。SUPで沖に出て釣りをすると、これがびっくりするくらい釣れて、しばらくSUP釣りにはまっていました。

ある時、友達とSUPで遊んでいると、その友達が僕に、シュノーケルとマスク、足ひれを貸してくれました。素潜りとの出会いです。潜ってみて、びっくりしました。外から見えている海と、中にいて見える海は、こんなにも違うのかと思ったんです。

何より、大きな魚がウヨウヨいることに度肝を抜かれました。こんなにいたのに、釣れなかったの?!と。それに、釣りだとどうしても、食べられないサイズの幼魚や、フグなど毒のある魚が釣れてしまうこともあります。エサ代や道具代もかかります。でも、潜って魚を突くことができれば、欲しい魚だけを狙えますし、道具はヤス一本あればいい。断然こっちの方が便利です。その日から、僕は海では素潜り一本で遊ぶようになりました。

海の中では海藻が揺らめき、その間を無数の魚が泳ぎまわっています。水の透明度が高くて、深いところまで見通せるので、鳥になって空を飛んでいるような浮遊感が味わえます。その光景の中にいて、海と一体になっている自分を感じると、幸福感に満たされ、頭の中から余計なこと、くだらないことが消えていきました。目の前のことだけが世界の全てになり、精神が研ぎ澄まされていくのを感じます。海に癒され、ずっとここにいたいと思いました。素潜りを覚えて、ますます僕の生活の中に、海が無くてはならないものになっていきました。

僕の生き方を変えた出会い

そんなある日のことです。いつものように、大きな魚を求めて磯を泳ぎ回っていると、90㎝もある大きなコブダイに出会いました。普通は、大きな魚ほど警戒心が強く、こちらに気づくとすぐに逃げてしまうものです。けれども、そのコブダイはちっとも逃げようとせず、僕が近づいてもじっと動きません。バスっと一突きで仕留めることができました。

コブダイ Wikipediaより

大きな獲物をゲットした喜びで、嬉しくて嬉しくて、空に飛んで行ってしまいそうな気分でした。

突いたコブダイは、まだ生きて大暴れしています。僕は、とどめを刺すために急所をナイフで突きました。それでもなかなか鎮まらないコブダイと無我夢中で格闘する中、じっとこちらを見ていた彼と見つめ合う瞬間があったんです。その時、僕はコブダイが何か訴えかけているように感じました。「何だろう、何が言いたいんだろう?」静かで深い彼の目が、伝えようとしていることに意識を集中しました。

その瞬間。
「海のことは任せた」僕はコブダイにそう言われたような気がしました。はっきり言葉で言われたわけではありません。でも「俺の体はくれてやるから、お前はこれから海のためになることをしろ」というような、メッセージを確かに受け取ったんです。僕の中に、海を託された使命感が生まれた日でした。

けれど、「海は任せた」と言われても、具体的に何をすればいいのかまでは、わかりません。何のことだろう?と思いながら周りを見渡すと、日本海の沿岸ってゴミだらけなんです。大陸から流れつくゴミもあれば、川から流れてくるゴミもあれば、漁で使われていた定置網のごみなんかも、冬の荒波でバンバン打ち上げられてくる。

冬の日本海側のビーチ。どこもこんな感じです

しかも、調べてみると、そういったプラスチックのゴミは、海で波に削られどんどん細かくなって、マイクロプラスチックになって漂っているというんです。エサと間違えてそれらを食べてしまう生き物もいます。人間の出したゴミのせいで、もの言えぬ彼らが悪影響を受けていることがわかりました。

ああ、コブダイはこれを言いたかったのかと思いました。海がどんどん悪い方向に行っているのを、僕に何とか食い止めてほしかったんだな、と思ったんです。

そこから僕は、一人で海ゴミを拾うようになりました。けれど個人の活動では、拾ったゴミを収集してもらうのにも制約があります。市役所に相談に出向いたり、こういう活動に詳しい人に話を聞きに行ったり、仕事をしながらでもできることを広げようと頑張りました。その後、僕と同じように海が大好きな2人の仲間に出会って「Team Clean Blue」として、本格的に海岸清掃の活動を始めたんです。

ますます海のことを考える時間が増えていきました。これまでは、遊ばせてもらうだけだった海を、今度は自分が守らなくてはいけないと思うと、いろんなことが気になります。ゴミの問題もそうですが、僕が魚を突くのに潜っていた海で、どんどん海藻が消えていくのを目の当たりにしたのも、心を痛めた出来事の一つでした。

海藻の森がどんどん消えて、あたり一面砂漠のように変わっていくんです。何年も同じところで潜っていると、それがはっきりわかるんですね。去年は、あそこまで藻があった。今年は10m後退した、って。これが、磯焼けの進行なのか、と思いました。

こんな大きな問題を、仕事の片手間にボランティアで解決しようと思うのは、無理なのではないか?
僕は、そう思うようになりました。

磯焼けを食い止めたい

磯焼けは、敦賀の潜り漁師さんたちの間でも問題になっているようでした。どんどん貝やウニが獲れなくなっていたのです。

磯焼けが起きると何が問題なのでしょう?
磯焼けというのは、海に生えている海藻が、何らかの理由で無くなっていくことです。

①海水温の上昇で藻が育たない
②食害(藻を食べてしまう生き物が増えすぎて、食いつくされる)


これらが主な原因として挙げられていますが、詳しいことはまだはっきりとはわかっていません。

「人間が食べない海藻がいくら消えたところで、問題ないじゃないか」と思われそうですが、そうではありません。海藻が生える藻場もばは、魚やその他の生き物たちの産卵場所ですし、稚魚たちの隠れ場所です。藻がないと、海の生き物たちは繁殖できないし、生まれた卵も成長できないのです。

さらに、最近は陸上の植物たちが二酸化炭素を取り込む「グリーンカーボン」に対して、「ブルーカーボン」という言葉も話題になっていますよね。海藻が、海に溶けている二酸化炭素を光合成で取り込んでくれるおかげで、大気中の二酸化炭素を減らすことができているのが今なのです。

でも、これから海藻がどんどん無くなってしまうと、その分、大気中の温室効果ガスが増え、地球温暖化が進みます。藻場もばが無くなって困るのは、海の生き物だけではないのです。

僕には技術も知恵もない

僕ははじめ、「敦賀つるがの海では、ウニが海藻を食べているのだから、ウニさえ潰せば磯焼けは食い止められるのではないか」と考えていました。そこで、その土地の漁師さんに話して、僕が潜ってウニをつぶすことを承知していただきました。

ムラサキウニ

もともと、ウニは非常に飢えに強い生き物で、食べるものが無くなっても死にません。ただ、栄養状態が悪いと生殖器官が育たなくなるので、実の入ってないウニになってしまいます。(ウニの可食部は卵巣・精巣です)

敦賀のムラサキウニたちはまさにこの状態で、中身がスカスカで食べる所のないウニばかりでした。もともと敦賀では、ムラサキウニを漁の対象として獲っていないこともあり、漁師さんたちも、僕が、ウニをつぶすことを許してくれたのだと思います。

ところが、しばらくして、その土地の漁師の組合長さんが替わりました。その方は、僕がウニをつぶすことに対して「漁師じゃない人がウニに触るのは、あまりいいことだとは思えないので、潰すのはここまでにして欲しい」と言われました。

長年海で生きてきた人にすれば、たとえ食害を及ぼす生き物でも、ただ殺すというのには、抵抗があったのだろうと思います。小さくても命ですし、その命を糧に暮らしてきたわけですから。

僕はその結果、またもや、磯焼けが進行していくのをただ眺めるだけになってしまいました。できることが何もないのです。

ほかの地方では、磯焼け対策としてウニの養殖をしたりしています。ウニを捕まえてきて、陸上の水槽でクズ野菜などを餌として与え、可食部を増やしてから出荷する方法ですね。三浦半島のキャベツウニなどが有名です。

とても良いアイデアではありますが、三浦はキャベツの一大生産地で、出荷できない大量のキャベツが廃棄される土地だからこそできることでしょう。敦賀で同じことができるとは思えません。

僕は本当に行き詰まりを感じてしまいました。海を何とかしたい気持ちだけでは、コブダイとの約束が守れません。海を守るための、知識と技術が必要でした。

ちょうどそんなときに、壱岐いきで「磯焼け対策を一緒にやらないか」という、地域おこし協力隊の募集が出ていたんです。これだ!と思いました。お給料をいただきながら、どっぷり海のことを考えられて、海を再生できる技術を身に付けられる!
狙ったようなタイミングの募集でした。

ホンダワラを増やして春藻場を作る

壱岐いきの磯焼け対策は、他の地域とはちょっと違っています。それも、移住を決めた理由の一つです。

食害生物を駆除するとか、捉えて養殖して出荷するというやり方では、減ってしまった藻場もばの再生は自然任せになります。壱岐では藻の減ってしまったところに、人が育てた藻を植えて増やそうとしていました。

壱岐いきでも磯焼けの原因は、気候変動による海水温上昇と食害の2つがありました。昔から島の周囲には豊かな藻場があったんです。そこには、アワビやサザエが喜んで食べる昆布の仲間のアラメ・カジメもたくさんありました。これらの海藻は、高温に弱いので海水温が上がると育ちません。水温上昇の影響を受けて、藻場は徐々に減少していきました。けれどもそれを食べる生き物たちの数は変わりません。バランスが崩れて、あっという間に藻は食い尽くされてしまいました。

僕の勤める壱岐栽培センターというところでは、平成のはじめ頃、この消えたアラメ・カジメの藻場を増やそうとしていました。なぜなら、壱岐では、アワビやウニが大事な水産資源で、彼らの食べる海藻がアラメ・カジメだったからです。でも、せっかく人の手で植えたアラメ・カジメも、アワビやウニの口に入る前に、イスズミという魚が全部食べちゃったらしいんですね。

イスズミ Wikipediaより

イスズミは、50㎝を超える大きな魚で、何千匹という群れで回遊してきます。そんなのに襲われたら、ちょっとした藻場なんて、ひとたまりもありません。ならば、このイスズミを捕まえて食べればいいと思うんですが、磯臭いと嫌われてこのあたりでは誰も食べない魚なんですね。食べないから数が減らない。減らないのでますます食圧が高まるという悪循環が繰り返されていました。これではアラメ・カジメをいくら育てて植えても、効果は期待できません。

そこで対案として挙がったのが、ホンダワラ類による春藻場はるもば作りです。

ホンダワラ類の「春藻場」

ホンダワラ類は春先に生える藻で、バーッと成長して増えて、夏前にはちぎれて流れて行ってしまいます。アラメ・カジメのように一年中生えている「四季藻場しきもば」にはなりませんが、夏の高水温の影響を受けにくいので、気候変動にも強そうです。それにホンダワラ類は、アラメ・カジメほど食害に遭わず、島の周囲にもかろうじて生き残っていました。(きっと、魚たちにとって、さほど美味しくないのでしょう)

ホンダワラ類を積極的に増やすことは、ムラサキウニに良い影響がありました。ムラサキウニは6月ごろに産卵するのですが、ホンダワラ類の春藻場はるもばがあれば、それを食べて身が入るんです。ウニだけでも出荷できる状態に持っていければ、壱岐の漁師さんたちも助かります。

そこで壱岐栽培センターでは、僕の着任する何年も前から、全国でも珍しいホンダワラ類の種苗しゅびょう生産を手がけるようになったのです。

アップで見たホンダワラ類の海藻

日本の海を再生したい

地域おこし協力隊として赴任した僕の担当も、ホンダワラ類とカサゴの種苗しゅびょう生産となっています。藻場の再生技術を学び、いずれは、壱岐と敦賀を拠点に日本中の海を磯焼けから回復させたいと思っています。

今、壱岐では冬の間、漁師さんたちによるイスズミの駆除が行われています。市が補助金を出して、イスズミハンターになってもらっているんです。獲ったイスズミは肥料として島外に販売しているんですが、大したお金になりません。

イスズミを人間が美味しく食べられるように加工できれば、漁師さんたちも張り切ってイスズミを獲ってくれるようになり、藻場の再生も早まるかもしれません。これについては、ちょっとした加工のアイデアがあるので、近々に実験してみようと思っています。

僕の夢は、豊かで美しい海を次世代の子供たちに引き継いでいく事です。そのために、学べることを学び、試せることを試し、自分の知識と経験値をあげていきたいと思っています。

名子朋宏:
福井県敦賀市出身。福井県立大大学院生物資源学研究科を卒業後、建材メーカーに勤める傍ら、敦賀の海ごみ対策などを行う団体「Team Clean Blue」を立ち上げ、ごみ拾いや幼稚園での環境教育などに取り組んでいたが、壱岐市の協力隊の募集を知り、家族7人での移住を決めた。


最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。