私が思う「世界平和」
その昔付き合っていた人が、食に貪欲な人で、
「人生80年として、1日三回しかご飯が食べられないわけだよね。
死ぬまでにあと何回ご飯を食べられるんだろう?と考えると、
その一回を適当に済ませることが許せない。
世の中にはまだ食べたことがない美味しいものがたくさん溢れているのに!」
と言って、私にも同じように感じることを強要するような人だった。
私は、この1週間、考えるのがめんどくさいから、という理由で、
自分で大量に作ったカレーを毎日食べていたんだけど、
まったくなんとも思わないどころか、毎回
「おいしーなー、私天才だなー」
と思っていたくらいなので、
当然、その人とは合わずにすぐ別れた。
その人からすると、私は
「どっかおかしい」(から直してあげた方がいい対象)
ということになるらしい。
私は私で、図書館や本屋に行くたび
「世の中にはこんなに面白そうなものが溢れているのに、
全部読む前に死んじゃうんだなぁ」
と悲しくなり、
本を読まない人は、どっかおかしい、と昔は思ってた。
今は、いろんな人がいるんだなーと思うだけ。
「どっかおかしい(から直してやろう)」
と決めつけてくる人とは距離を置く。たとえそれが親切心であっても。
おかしいという感想を持つ人がいたって構わないけど、
強制されるのは嫌だ。
私とは合わないのがわかっているのに、一緒にはいられない。
合わない人が私の世界の中にいて、接点を持つからめんどくさいことになるわけだ。
会わずに済ませることができるなら、会わないのがお互いのためだと思う。
それが不可能なら、おかしいと言われてもセミが鳴いてるなーくらいに思っとけばいい。
「聞いてんのかよ?!」
と怒られたら、
「聞いてないよ」
と堂々と返せばいい。
そのうち諦めて、かまってこなくなるよ。
そしたら、もんのすごく平和だよね。
全ての人と仲良くする必要なんてない。
合わない人は、どーやっても合わないんだから、
心の中の遠くに置けばいいだけ。
でも、そーいう人にも親切にはできるから、
頼まれたことが負担でなければ、基本、やる。
そんなもんでいいんじゃないですかねぇ。
完璧に全人類が仲良くすることを「世界平和」だと思ってたら、
何億年かかっても実現しないけど、
いろんな個性を持ったコミュニティが、別々に同時に不干渉に存在し、
時々、手をかせるところは手を貸しながらやっていく。
そんなあたりが、世界平和の現実的ラインだと思う。