「誰とでも仲良く」に思うこと
10月は幼稚園の願書配布があるらしく、私の周りの母ちゃんたちも、幼稚園の話題でにぎやかだ。
幼稚園について、一つ思っていることがあるので書く。
ある園は、その昔看板に
「誰とでも仲良くできる子を育てます。」
「一人一人を大切にしています。」
と掲げていた。
一見、素敵な保育方針だけれど、矛盾していることに気づけるだろうか。
「誰とでも仲良く」は、「一人一人を大切に」していたらなかなかできない事だと思う。
だって、「誰とでも仲良くするには、自分の主義主張を抑えて、相手にあわせなくてはいけない場面」が必ず出てくるから。
一方「一人一人を大切にする」というのは、私の中では、一人一人の気持ちを尊重することだ。
誰かに合わせて、やりたくないことにニコニコ付き合える子どもを育てることを目標に置いてたら、
その子の気持ちは大切になんかできないよね。
「誰とでも仲良く」してほしいのは、大人のエゴだ。
自分が幼い頃「誰とでも仲良くしなさい」と育てられてきて「誰とでも仲良くするべき」という刷り込みができた。
その「仲良くするべき」という刷り込みに縛られたエゴがざわざわもやもやと騒いでいるだけだ。
ケンカしてぶつかり合ってわかりあう、その過程を怖くてやらせてもらえずに、大人になった人たちが、
「ケンカしたらおしまいだ」と思っている。
子どもは、ケンカしてもその五分後には仲良く笑って遊んでいるのに。
私は誰とでも仲良くなんかできなくていいから、いつも、、自分と仲良くできる、自分の気持ちがわかる、自分の気持ちに正直な子供を育てたい。
仲よく出来なくても、その場にいることをお互いが許せたらそれでいい。
社会ってそういものでしょう?
自分と考えや感じ方が合わない人を受け入れまくっていたら、自分が壊れます。
逆に、そういう人達を排除しまくっていたら、それは抑圧につながる。
仲よく出来なくてもいい、でも、排除はしない、共存する。
せっかく幼稚園という初めて親から離れる社会に出るのだから、そういう事を教えてくれるところがいいなと思う。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。