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いい人撲滅運動

私は、他人と何かをするというのが得意ではない。
むしろ圧倒的に苦手だ。

大人数で何かをするときには、全体の意思決定というものが必要になってくる。
その調整やら、心理的な駆け引きやら、空気を読むやらができないので、できるだけ一人でやれることをしたいと思っているし、そうでなければ、独裁者のような立ち位置でできることしかしてない。
いつ、どこで、何をするか決めるのは私。来たかったらおいで。
そういうスタンス。

なんでこうなのかなー、誰かと一緒にできたほうが楽しいことだってたくさんあるのに、わざわざ一人を選ぶのって、なんでなんだろうか?と自分のことを若干マイナス評価していたのだけれど、もしかして、これか?と思うことがあったので書く。

私はたぶん、いい人というのが苦手なのだ。

いい人、というのは、私の中では「四方八方に気を使い、他人の気持ちを推し量り、争わずにうまいこといかせようとする人」である。

「えええ?いい人ってつまり、協調性のある人とか、調整のうまい人じゃないの?いないと困るじゃん?いい人を嫌うって、どういうことなのよ?あんたおかしいんじゃない?」と思われた方もいると思うので、私の偏見がたっぷり入った説明をしてみる。

いい人は、自分の意見を持たない。
自分の意見があれば、周りに気を使って「あの人はAって思うかもしれない、でも、この人はBって思うかもしれない」といちいち思い悩むことなく「私はこうしたい」と言う。
意思決定って「私はこうしたい」が出そろってから、じゃあ、どうしようか、を話すことなのに、そもそもの「私がどうしたいか」を言わずに(言えずに?)他人の思惑ばかりを気にしていたら、話し合いができない。
あの人や、この人がどう思うかは、あの人やこの人が自分で言えばいいことである。
それを、「でも、遠慮して言えないかもしれないし。」と優しい人の顔をして、言えない(と思い込んでいる)人の意見を汲み取ろうとする姿勢が、まず、他人への人権侵害だと知ったほうがいい。

人には自分の意見を主張する権利がある。

いい人が、言えない(と思い込んでいる)人の胸の内を慮って言った内容が、まったく的外れだったとして、「それ、違います、私そんなこと思ってません」と言えない人だったらどうするのだ?全く違う推論をもとに話し合いを行うなんて不毛すぎる。

それに、「遠慮して言えないかもしれない」と思うのは自分の投影だ。
自分が、(本当はこうしたいという気持ちが仮にあったとしても、他人の思惑を気にして)遠慮して言えない人だから、人もそうだと決めつけて、私が思いやってあげるから、あなたたちも、私が言えないときには思いやってよね、というアピールをしているのだと思う。

でもって、争わずにうまくいかせようとするっていうのが、もう決定的にダメ。
いい人には「争う」っていうのが、いじわるされるとか、いじめとか、喧嘩とかそういうネガティブな印象しかないのではないかと思う。
お互いが言いたいことを全部主張し、それをそのまま受け取ってちゃんと聞けば、話の「争点」が明確になり、どうすれば目的に適うかが、わかりやすく整理される。
それなのに、自分と違う意見を、すべて自分に対する攻撃のように感じ、いじわるされないように、いじめられないようにと、そこばっかり気にして人の話をちゃんと聞いてないから、表面的な穏やかさだけを求めて、無為な時間だけが流れる話し合いになってしまう。

そして、いい人は、そういう話し合いの席で、決まりかけたことに異議を唱えられず(和を乱すことを自分に許してない)、ストレスを抱え込み、裏でいろいろ操作しようとすることがある。
「あの時は言えなかったけど、ほんとは・・・」ってやつがそれだ。

その時、言えやあああああああああああああ!!

いい人が母親になると最悪である。
例えば、自分の子とよその子がトラブった時など、明らかに先方に非があって、親が謝りに来てくれた、なんて時に、
「いいのよ、きっと〇〇くんも、うちの子に△△されて嫌だったんでしょう?うちの子も悪いんだから気にしないで」
などと平気で言ってしまうのだ。ほんとにわが子が一ミリも悪くなくても!
わが子より、よその子を、というより自分の体面というか、やさしい自分という「見え方」を重視するので、わが子の気持ちなどお構いなしなのだ。
断言する。
いい人に育てられた子供は確実にグレるか、病む。当たり前だ。
自分を愛してくれるはずの人が、常に自分よりも世間体を気にしてたら、「なんだこいつ?」って思うでしょ、親でも。

私は、性格的には圧倒的に向いてにないのに、たまたまちょっと勉強ができたせいで、小中学校時代、毎年クラス委員をやらされていて、女子の世界のもめごとに辟易しているのである。
そして、大体は、はっきりものをいうタイプの人より、この一見いい人が、トラブルの根源になっていることがやったらめったら多いのだ。
そんなに引っ掻き回してどうしたいのか?と思うけれど、ご本人は、みんなの気持ちを掬い取っていいことをしていると信じて疑ってない。
うわあああ、あなたのメタ認知はいったいどんだけ歪んでるの?である。

そして、書きながら思ったけれど、私、集団になるといい人が一定の割合で存在しているから関わり合いになるのが嫌で避けてるんだと思ってたんだけど。。。

ちがーう!!
これは、私のことでもある。
集団になると、どうしてもいい人ぶりたくなる私のことでもある。

そりゃそうだ。自分の中にない要素には、人は反応したりしない。

私はまず、私の中のいい人撲滅運動をしてからじゃないと、たぶん、何者にもなれず、死んでいくな、と思う。

露悪的である必要はない。淡々と、自分の言いたいことをちゃんと言う。
そこから、私のいい人撲滅運動を始めていこうと思う。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。