伝える手間を省かない方がいい理由
数年前、お借りしていた古民家の周りの草刈りをしつつ考えていたこと。
わたしは物心ついてから、マンションくらしが多くて、一戸建てのおうちのメンテナンスというのが、よくわからない。
だから、草刈りってのも、美観の問題だけだとずっと思ってた。
先日、おうちのメンテナンスのプロが来たときに、古民家の床板と壁の隙間が空いてるので、ゴキブリの訪問がありそうで怖いという話をしていたら、
「それより、小さい子が集まるところだからムカデの害の方が心配ですね」と教えてもらった。
家の床下というのは、もともと湿気がこもりやすいところなので、ムカデなどの棲家になってることが多い。
さらに、家の周りの草刈りをしないで長年放置していると、腐葉土の層ができて地面付近の湿度が上がり、ムカデなどの害虫が生息しやすい環境が出来上がるんだって。
へー!!!
知らないでいると、それが必要な理由というのを勝手に想像して、自分の判断で不要と決めてしまうことがある。
何年か前、NHKの今日の料理で、若い女性がかなりご年配のお料理の大家にご飯の炊き方を習ってるシーンを見たことがある。
大家の先生は、
「最初にお米をボウルに入れたら、一気に水を注ぎ込み、混ぜないで捨てるのです」
と説明していた。若い女性は、ハイハイと聞いていたんだけど、お水を入れたあとに、たぶん、いつもの習慣で手でかきまぜてしまい、先生に
「まぜちゃだめって言ったでしょ!」
と怒鳴られていた。
「混ぜてはいけない理由」が、彼女には教えられてないからわからなかっただけなのに、テレビであんなに叱られて、気の毒だった。
世の中って、こういうこと多いなあと思う。
説明した方が納得してすっとやってもらえることを、そのひと手間を惜しんだばかりに、理に叶わない自己流がまかり通ってしまう。
質問しない方にも非はあるんだけど、
「まさかこんなことに意味があるのか?」
と思えるような単純なことに、いちいち疑問を持つことができる、というのも、ある種の才能ではないかと思う。
全ての人に期待できる能力ではない。
技術も文化も、伝える側に「伝えたい意思」がある以上、教わる側に期待するより、伝える側が丁寧でなくてはいけないんだなあ、と思った。
「そんなことくらい、わかるでしょ!」というのは禁句なのね。
わたしはどっちかというと、「そんなことくらい、わかるでしょ」言われる側で、自分が使うことはまずないのだけど、気をつけよう。