古賀さんのこと
今日は、半年間続いたバトンズの学校の最後の講義の日だった。
講師の古賀さんは、いつにも増してお母さんのようだった。厳しいフィードバックだけ読んでいると、古賀さんは「父性の人」に見えるのだが、私は古賀さんの中身は「おかん」であり「母性の人」なのではないかと思っている。
「ライターとして生きていく上でこれは覚えておくといい」ということを、いくつもいくつも語ってくださる。時間が許すなら、まだあと20個は出てきそうだ。いずれも古賀さんのライター人生で、身をもって掴んだことを、大盤振る舞いで教えてくださる。
それはまるで、就職で初めて実家を出て一人暮らしする子供に、「郵便受けにチラシを貯めると留守だと思って泥棒に狙われるからねっ」「帰宅が遅くなるってわかってる日は、外から見えるところ1箇所だけでも灯りをつけていくのよ。それだけで防犯効果があるから!」「めんどうでも掃除はしなさい。周りまわってそれが心を健康に保ってくれるから」「それからね……」みたいに、オカン的ライフハックを、心配と期待と愛を込めて延々教えてくださっているようなのである。
「私たちは、古賀さんの子どもなのだなあ」と改めて思った。半年間、あの古賀さんが時間と頭と心を私たちだけに注ぎ、育てよう伸ばそうと、慈しんでくれた存在なのだ。何があってもきちんと生きて、お母さんの愛情に報いるような、周りに愛を返せる人間にならなくてはならない。
実際は私の方が古賀さんより遥かに年上なのだけれども、そんなことは関係ない。いただいたものは、増やして社会に返す。それだけが大事なことだ。
思えば「なんで私はこんなところに来てしまったのだろう?」という、強烈な場違い感で始まったバトンズの学校だった。自分以外の人が、みんなすごく見える。偉く見える。賢く見える。才能の塊に見える。
それが少しだけ和らいだのは、古賀さんの前職での活躍を伺った時だった。古賀さんは、新卒で入社したメガネのチェーン店で、九州での販売実績No. 1店員だったというのだ。それを聞いて、「ん?」と思った。この人、もしかして天才ではなく努力の人なのかな?と思ったのである。
私が知っている天才と呼ばれた人たちは、「それ以外できない人たち」だった。「漫画しか描けないから漫画家になった」「音楽以外のことは日常生活すら満足に営めない廃人」「小説が書けなかったらただのクズ」そういう、一点のみ突出した生活不適応者が天才なのだと思っていた。
ところが目の前の古賀さんは、実は営業マンとしても優れた才能を発揮していたというのである。なんとなんと、全世界累計出版部数が一千万部に届こうとするモンスター書籍「嫌われる勇気シリーズ」のライターは、天才肌の感覚人間ではなく、徹底的に突き詰めて考える努力の人なのだった。
だとしたら。
古賀さんと同じだけ努力ができれば、そしてその努力を正しい方向に正しいやり方で投下できれば、もしかすると……?
一筋の光明が見えた気がした。
そこから、バトンズの学校に行っても、深く呼吸ができるようになったのである。天才たちの中で、凡才が肩身を狭くして講義を聞いていると思い込んでいたのが「やればできるのかもしれない」と思うようになった。
それもこれも、古賀さんがいつも等身大の姿をそのまま見せてくださったからだ。偉く見せよう、箔をつけようなんてことは、絶対しなかった。
バトンズの学校は、渦中ではしんどかったが、思い返すとびっくりするくらい幸せな半年だった。
噛み締めながら、思い出しながら、講義録を読み返しながら、フィードバックをしつこく見返しながら、目の前の仕事に丁寧に向き合っていこうと思う。