「思い込みを覆す現代の反戦マンガ」
進撃の巨人を29巻まで一気読みした今年の夏、私は掟破りなこの漫画の魅力について、興奮して誰彼かまわず話してみたのだが、誰にも共感を得られなかったので、おっかしーなー、と思いここに書いてみる。
私は進撃の巨人を、タイトルに挙げた二点においてめちゃくちゃ評価している。
改めて書くと
①「この漫画はこういう世界観で書かれている」と読者が「設定」として捕らえていることを簡単に覆すところ
②戦闘シーンと、そこに至る人物の葛藤を丁寧に書くことで、加害者と被害者は全く同じであるという、戦争の実態を暴きだし、現代の反戦マンガとして機能しているところ
である。
順を追って説明する。
①「この漫画はこういう世界観で書かれている」という「設定」を簡単に覆すところ
マンガやSFの世界では、『この物語の登場人物たちは、こういう世界で生きていることを前提に、こういう価値観に従って生きている』という設定が随所に示され、そしてその大前提は最終回まで覆されることはまずない。
たとえば、「HUNTER×HUNTER」なら、「念能力というものが存在する世界」で「念能力を極めるために、さまざまな事件を乗り越えつつ成長していく少年たちの物語」であり、途中で念能力なんてものは実はありませーん、とはならない。
「ONEPIECE」なら、「海賊たちが跳梁跋扈する大航海時代に、悪魔の実を食べて特殊能力を身に着けた少年ルフィが、ひとつながりの秘宝を求めて仲間と冒険する物語」であり、ここでも、「悪魔の実」という能力の前提条件が覆ることはない。
そして単純化された世界の中で、正義は最後まで正義で、どんな手を使っても悪を倒して良いという勧善懲悪のストーリー進行に則り、正義は必ず勝つという大団円を迎えるのである。
進撃の巨人では、「巨人によって人類が蹂躙され滅亡寸前の世界で、わずかに生き延びた者たちが壁を作り、巨人の襲撃を防ぎながら暮らしている」というのが大前提である。当然、人類視点で描かれるので、人間が正義なら、巨人は悪という対立図式がそこにある。
なのに、途中でこれがボロボロ崩れていく。
巨人は存在そのものが悪のはずなのに、「実は人間が薬で巨人にされていたのでした」という最初の崩壊が起きる。
まさに、これである。
さらに、「壁の外に人類はいない」という設定も、登場人物たちの好奇心により22巻という長い時間をかけて破壊され、実は自分たち生き残った人類は、巨人に喰われるだけの被害者ではなく、加害者になれる血を持った種族なのだと知る。
そして、23巻以降では、「巨人化できる力を使いこなして、戦闘員となる人達」が描かれ、その血ゆえに迫害され追い込まれ、国家に忠誠を誓うよう都合よく洗脳されたアナザーストーリーが始まる。
大どんでん返しの連続だ。「生き残った人類は壁の中にしかいない」どころか、「海の向こうには大国がひしめいていて、壁の中で鎖国していた間に、世界の国々はどんどん発展し、いまだ近代兵器を持たずに気合いと体力で勝負していたのが、エレンたちだったのだ」と突然突きつけられるのだ。(なんか、黒船来航前の日本のようじゃない?)最初の設定はいったいなんだったのか?
こうして、設定が変化するたび、被害者加害者が入れ替わり、善悪も見方次第でしかない、誰かが悪いという一元的なものの見方は間違いだ、と圧倒的なストーリーで読者に迫る。これ、これ。これが、すごいのだ。
②加害者と被害者は全く同じであるという、戦争の実態を暴きだし、現代の反戦マンガとして機能しているところ
話しが逸れるが、私たちは小学校から、さんざん反戦教育というものを受けてきた。日本は、戦争を放棄した唯一の国で、平和憲法があって、先の大戦では、広島、長崎に原爆を落とされた、世界でただ一つの被爆国だ、と。
そして、国語の教科書では「ちいちゃんのかげおくり(あまんきみこ)」「大人になれなかった弟たちに(米倉 斉加年)」「ガラスのうさぎ(高木敏子)」「凧になったお母さん(野坂昭如)」などなど、これでもかと、悲しい戦争被害者の話を聞かされ、「こんな悲しいことが二度と起きないようにしましょうね」と諭されるのだ。
だが、具体的にどうしたらいいのかは教わらない。戦争加害者としての実態も教わらない。「戦争が起きたら、こんなに悲惨なことが待ってるのよ」という話はたくさんあふれているのに、「どうして戦争が起きるのか」「どうやったらそれがなくせるのか」は教科書に載ってない。
名作「はだしのゲン」ですら、主人公はいつも被害者で、健気に過酷な運命に立ち向かう事はしても、これを防ぐにはどうしたらよかったのか、が提示されない。「戦争の原因は天皇」という悪者探しで思考が停止しており、じゃあ、天皇が居なければ戦争は起きなかったのか?という問いが無い。
違うのだ。劣等感、罪悪感、その他個々人の心のうちにあるものが、戦争を起こす。その種は小さくても、立場や環境が、それを育ててしまうのだ。私たちは誰でも、加害者になりうる存在だ。それを知らされない反戦教育ってなんだろうとずっと思っていた。
進撃の巨人は、まさに、その私の物足りなさに、どんぴしゃで答えてくれる物語だ。誰だって、自分の都合で動く。その結果、誰かを傷つけてしまうこともあれば、傷つけられることもある。それを許せるか?知らなかったんだからと、快く許せるか?と、つねに問われているように思う。
そこが本作品の、最高に素晴らしいところだ。全巻文科省の予算で購入して、あらゆる小学校の図書館に置いてほしいと思う。
真の反戦教育とは、相手の立場を鑑みて、自分がされて嫌だったことを、どこまで許せるかという、人間力が試されるのだ、と。