尽くす女は恐ろしい
※この投稿は、天狼院書店が主催するライターズ倶楽部での課題投稿において、ボツになったものを掲載してみる試みです。課題は毎週5000文字以内で、与えられたテーマに沿って書いて提出し、面白ければ天狼院書店のWEB天狼院に掲載され、面白くなければボツになります。このときのテーマは「光と闇」でした。
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幼いころ、母方の実家に行くとよく見た光景がある。
叔父たちが広間でごちそうを前に飲めや歌えの大宴会をしているのに、
叔母や従姉たちは台所の板の間で正座してお茶漬けをすすっているのだ。
叔母たちは、自分たちの夕飯は適当にさっさとかきこんで立ち上がると、
またかいがいしく男たちの世話に出向いていく。
お酒をついで、つまみを運び、何かやれと言われれば唄や踊りを見せる。
そうやって場を盛り上げては、また台所に戻ってくるくると働く。
近所の人たちが招かれて宴席にやってくることもあったが、
玄関までは夫婦一緒にやってきても、その先は男は座敷へ女は台所へと
みんながみんなそのように分かれていくのだった。
「おばちゃんはどうして自分で作ったごちそうを食べないで、
お茶漬け食べてるの?」
幼い私が尋ねると、叔母は判で押したようにいつも同じ答えを返す。
「だってお父さんが働いてくれるから、私たちご飯が食べられるんだもの。
おいしいものたくさん食べてもらわなきゃ。
大事にしないと罰が当たるわ」
……
「今の日本でさすがにこれはないでしょ」
と思われた方は、これ以上読まなくてもかまいません。
あなたの感性は現代の女性の考え方にマッチしていらっしゃると思います。
何もしなくてもよくおモテになるはずです。
「こんなのは当たり前だ。女は男の世話をするものだ」
と思ったあなた。
失礼ながら、女性に全くご縁がないのでは?
これから私があなたの人生に役に立つかもしれない話をいたします。
しばしお時間を頂ければと思います。
心の準備をしてお読みください。
……
冒頭のシーンは、私が小学校生の頃、つまり、今から50年近く前の九州のある地方での出来事である。
夏休みのたびに私たち一家は、寝台列車に揺られて九州にある母の実家まで旅をした。
蛇口をひねると出てくる硫黄くさい水。
いつも煙を噴き上げる山。
そんな土地に母の実家はあった。
男尊女卑、という言葉はずいぶん後から知った。
なるほど、あれがそうだったのかと現物を知っているだけに納得するのも早かった。
典型的な男尊女卑の文化がそこにあったのだった。
これから話したいのはそんな土地で生きる、母の義理の姉、私の叔母にあたる人の話である。
叔母は19歳で叔父のもとに嫁いできたという。
その若さで長男の嫁として、知らない他人ばかりの中で知らない男の両親の世話をし家を切り盛りすることになったのだった。
叔父は当時、終戦を迎えて地元に帰ってきたところだった。
海軍士官学校出のバリバリのエリートで若くて血気盛んだったため、
本当は都会で一旗揚げたかったらしい。
が、父親に「戻って家を継げ」と言われ仕方なく田舎の山奥のわずかな畑と牛を継いだ。
そこに叔母は、山二つ越えた村から嫁にきたのだった。
私の母は叔父とは14歳離れているので、叔母が嫁いできたころはまだ小学生だった。
叔母は小さい弟妹にも優しい兄嫁だったと母は言う。
「お前は器量が悪いから、せめていつも笑っていなさい。誰にでも優しくしてかわいがられるようになりなさい」
叔母はそう言われて育ったそうで、素直にそれを実践していた。
それを聞いた叔父までもが叔母に
「お前は器量が悪いから」
と言うようになるのはあっという間だった。
嫁は自分の持ち物。
自分の持ち物は人前でひけらかしたりせず、下げて謙遜するという日本の文化がそうさせていたのかもしれない。
それにしても、いつもいつも「お前はブスだ」と言われながら、それでも笑って他人に優しくするなんてとんでもない精神力だと思う。
私なら黙って鏡を見せながら、鼻でせせら笑う。
そんなこと言えるほど、あんた男前なの? という嫌味を視線に込めて。
叔母は大した人だと思う。
暴れないだけでもすごいのに、そこでニコニコ笑えるなんて我慢の天才かと思う。
母が子供の頃に、叔母が泣いているのを見たのは一度だけなのだそうだ。
それは叔父との間にできた最初の男の子を三歳で亡くした時だ。
病気で亡くなったその小さな亡骸にすがって叔母はいつまでも泣いていた。
男尊女卑の文化の中で育ってきた男はこんな時に慰める言葉を持たない。
「いつまで泣いているんだ! 泣いたって死んだもんは生き返らん! 泣くな!」
叔父は一喝した。
叔母は涙を拭くと、次の日からまた笑って暮らすようになったという。
一番すさまじいエピソードだけ書いてみたが、似たようなことは枚挙にいとまがない。
叔父はただ不器用だったのかもしれない。
環境が叔父から優しさを表現することを奪ったのかもしれない。
叔母はパートナーである叔父に自分の気持ちを受け入れてもらえることがないまま、それでも常に笑顔で叔父を立て三歩下がって尽くしてきたのであった。
うちの母も同じ文化の中で育ってきたはずなのに、そうとは思えないほど父を尻に敷く人だった。
立てても立てても、すぐにへにゃっとへたってしまう父だったから仕方ないのだろう。
父は母の実家を訪れた時だけは、叔母から下にも置かない丁重な扱いを受け
「お義姉さんは本当にできた人だ(うちの奥さんもこういう人だったらいいのに)」
と感動して言っていた。
それほど叔母は周り中から「できた嫁」だと思われていたのである。
さてそれから40年が経過した。
順調に皆が歳をとる。
叔父と叔母も歳をとった。
叔父は毎晩の晩酌とごちそうで糖尿病を患い足を切断して車いす生活になった。
それを介護する叔母は認知症になり、前頭葉のストッパーが外れてしまった。
その結果どうなったか。
叔母は、毎日毎日、車いすの叔父に向かって過去の恨みつらみを言うようになったのである。
「あの時、私はとても悲しかったのにお父さんはこんな風に言った」
「あの時、お父さんがこうしたからうまくいかなかったのに私のせいにして怒鳴った」
などなど、出るわ出るわ。
あるときは、話に熱がこもりすぎて座ったまま失禁し、それでもまだ話し続けていたという。
叔母は、朝ご飯を食べたかどうかは覚えていられなくても、過去に叔父から受けた理不尽な仕打ちは忘れられないようで、一日中動けない叔父にはりついてぶつぶつ言い続けるのだった。
それでも体は達者だし、長年義母の介護を一手に引き受けていたため、身についた習性で叔父の介護はできてしまう。
叔父は逃げることもできず叔母の手で世話されながら過去の行為に対する非難を延々聞き続けることになった。
最初は叔父も
「そんな昔のこといまさら言っても始まらんだろう!」
と怒鳴ったりしていたのだが、理性のストッパーの外れた叔母は怒鳴られると子どものようにわんわん泣く。
病気が叔母から我慢を取り上げたので、好きなだけ泣けるのだ。
叔父は泣かれて困惑しても鬱陶しくても、怒鳴ればよけいに泣くし、かといって自力ではその場を離れることができない。
両親の世話をする娘たちは、どうなることかと見守っていた。
もしかするとあるいは、父が謝る場面が見られるかもしれない。
母が父の謝罪を受け入れて仲睦まじく余生を送れるようになるかもしれない。
そんな期待をした。
が、叔父はついに謝れなかった。
謝り方を知らなかったのかもしれない。
来る日も来る日も恨み言を聞かされながら黙りこんでいた。
反論もせず、ただひたすら聞きたくない嫌な話を聞かされつづけていた。
ああ、いやだいやだと思いながら我慢して。
耐えて耐えて、ある日、脳の血管が切れた。
そのまま、ころりと叔父は逝ってしまったのだった。
叔父の我慢の限界は一年だった。
叔母は50年以上我慢し、それをぶちまけて叔父の後を追うように亡くなった。
私はこの話を思い出すたびに、尽くす女の恐ろしさを思う。
男を立てる笑顔の裏に何を隠しているのだろうかと、つい勘ぐってしまう。
目の前でニコニコしているこの人もぶちまけたい何かを抱えて、それでも笑っているのではないのかと想像し、ものすごい闇を感じてしまうのだ。
だから、私は基本的に尽くす女という人種が苦手である。
怖いのである。
尽くす女は一般に「あげまん」とされる。
(この呼び方も好きではないのだが、わかりやすいので使わせてもらう)
叔母も間違いなくあげまんだった。
叔父は叔母のおかげで近所でも信頼が厚く地元の顔役だったし会社でもかなりの出世をした。
見事な内助の功である。
けれど、ふたを開けてみれば、叔母は本心ではゆるせない思いを抱えながら叔父を支えていたのである。
ということは、だ。
もしも叔母が心から叔父を尊敬し叔父のためなら何でもしようという気概で尽くしまくっていたなら、叔父の立身出世は地元の顔役程度じゃすまなかったのではないだろうか。
新宿駅前の広場に叔父の銅像が建てられ、待ち合わせのメッカになるほどの大活躍を見せたかもしれないではないか。
叔父は製パン工場に勤務していたので、そのジャンルで銅像を建てられるくらいメジャーになろうと思ったら、アンパンマンの顔くらい焼けないと無理だったかもしれないが。
叔父は最高の伴侶に恵まれながら、男尊女卑という生き方を貫いたせいで、ジャムおじさんにも銅像にもなり損ねたのである。
あげまんの使い道を誤った例であろう。
昔、武家の娘は「三歩下がって夫の影を踏まず」という教育を受けてきたという。
人生50年の時代には、それでも最期の時まで脳は元気で理性も働いたのだろう。
だから我慢を墓場まで持っていくことができたのだと思う。
今や人生100年の時代だ。
堪忍袋は途中でいっぱいになり破裂する。
その先もまだ50年人生が続くのだ。
いくら「妻の鑑」とおだてられようと、これはおかしいと気づくときが来ると思う。
老いてから袋にたまった闇をぶちまけられる覚悟無しに、女にだけ我慢を背負わせてはいけないとつくづく思う。
男尊女卑は、一部の殿方からするとあこがれの世界なのかもしれない。
が、目に見える光だけにとらわれていると、いずれ闇に足をすくわれる。
表面上、かいがいしく尽くしてくれる妻であっても、卑しめられ虐げられた女は怖いのだ。
上も下もない対等な関係が作れてこそ、夫婦はうまくいくのだと思う。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。