雨が降ると・・(短編小説)

世の中には、雨の音や匂いが好きだという人がいるけど、A子はまったくそうは感じなかった。ナメクジの行列を眺めながら、この憂鬱な季節が早く過ぎ去ってしまえばいいのにと思った。レンガ造りの花壇には、毎年ナメクジが大量発生する。A子は朝学校に行くとき、この生き物を何度か踏んでしまったことがあった。ナメクジは「アジの開き」のように平べったくなって、のびているのだけど、気持ち悪いと思ったことはなかった。なぜならほかにもたくさんの平べったくなった「それ」がそこらじゅうに落ちているからだ。弟のBが踏んでは潰しを繰り返し、花壇はナメクジの墓場と化している。A子はべっとりと肌にまとわりつく湿気が嫌いだ。汗なのか湿気なのか、服はびっしょりと濡れて、身体が重くなる。まるで自分がナメクジになった気分だ。そんな時、ふと南国のビーチを思い浮かべると幾分気分が良くなる。憂鬱な世界の対極にある楽園、それがハワイだった。かち割られたココナッツジュースにストローを突っ込んでチューチューと音を立てながら飲んでいる自分を想像する。きらきらと光る波打ち際にはカニの親子が行き来している。ヤシガニかもしれない、かなり大きい。右左右左シャカシャカ揺れながら仲良く移動していく。エメラルドの海には色とりどりの熱帯魚が口をパクパクさせながら泳いでいる。手を伸ばせば、すぐに捕まえられそうだ。スコールが来ても全然平気だ。心地よい大粒の雨水が日焼けで火照った肌を冷やしてくれる。太陽が水平線に落ちていくと、肉厚のステーキやロブスターの焼ける匂いが、そこら中漂ってくる。さっき見たヤシガニをBBQで焼くとおいしそうだ。ぷりぷりと身が詰まっている。酢醤油をたっぷりとつける。ハワイに酢醤油があるのかな?いやそんなことはどうでもいい、だってハワイなんて行ったこともないのだから。運ばれてきた料理がテーブルを埋め尽くす。ん?何かおかしい。全然美味しそうじゃない。でもこの異物はどこかで見たことがある。給仕係もおかしいぞ。顔は真っ白で、よく見ると目も鼻もない。口だけが器用に開くのっぺらぼうの給仕係が料理を説明をしてくれる「こちらは前菜は・・・自家製ナメクジのマリネ」「ナメクジのシーザーサラダ」「熟成ナメクジのステーキ特製ソース付き」「そしてデザートは、新鮮なナメクジを絞ったナメナメジュースです。これを飲めば元気100倍...」のっぺらぼうの給仕係がそう言いいながら、ベトベトの手で「ハイどうぞ」と一匹の熟成ナメクジをフォークで突き刺し自分の口をパクパクしている。A子に早く食べろというジェスチャーだろう。A子はムッと口をへの字にして首を横に振る。それから給仕係はナメナメジュースのグラスを手にとって、ゴグゴグと飲み始めた。一滴残らず飲み干すと「すいません、あまりにも美味しそうだったので、お客様のお飲みモノに手をつけてしまいました」と言って大きなゲップを3回続けざまにした。「代わりと言ってなんですが、私の脇腹のこの部分を切り分けますんでぜひ召し上がれ」とお万十を二つに分けるみたいに脇腹をつかむとベトベトした塊が取れた。そしてA子の口にめがけてその塊を突っ込んできた。A子はとっさにテーブルにあった調味料入れを掴み、給仕係に投げつけた。パラパラと塩の粒が宙に舞った。給仕係はフッと消えてなくなり、空の皿だけがテーブルに並んでいた。やがてまぶしい光がまぶたを照らした。気づくとA子はいつもの自分のベットの上で横になっていた。何日も降り続いた雨はあがり久しぶりの太陽が顔をのぞかせていた。「お姉ちゃん起きて!」弟のBが突然部屋に入ってきた。よく見るとBは、白くて丸いつるんとしたものをくわえている。そしてモグモグと顎を動かしている。「お姉ちゃん、ゆで卵美味しいよ」そう言うとバタバタと部屋を出ていった。A子はため息を一つついてようやく憂鬱な季節が過ぎ去ったと気分が良くなった。

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